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仏像と赤ちゃん

2018/01/20(Sat) Category : 子育て
以前、仁王像の阿吽の表情は、赤ちゃんの表情を模したものと推測しました。赤ちゃんが泣き出す前に口をへの字に結んでいる様子と、今にも「オンギャー」と泣き出そうとして口を歪めている形です。

そう思って赤ちゃんを見ると、他にも多々仏像に取り入れられている表情が沢山あるなぁと気づきました。

・くりくり頭で寝ている表情は、まんま地蔵菩薩です。
・目をつむったまま微笑するときの表情(アルカイックスマイル)も、とても神々しくて手を合わせたくなります。
・寝入りばなや寝た後で薄目を開けるときの半眼は、とても神秘的で、まさに菩薩の目。
・この半眼にアルカイックスマイルが加わると、まさに光臨という感じ(←全く爺馬鹿ですね~)

・眉―赤ちゃんの眉は薄く、仏像も線画だよね
・耳―赤ちゃんの耳は肉厚で柔らかく、いわゆる福耳
・鼻―仏像の鼻も決して高くないよね
・唇―幅が狭い肉厚の唇も赤ちゃんそのものです
・頬―仏像の頬も赤ちゃんのように下ぶくれでふっくらしています

・手の形―あのふくふくとした仏像の手はまさに赤ちゃん。
・指の形もそう。人差し指と小指が緩く離れて軽く握っているあの曖昧な手の形も仏像でよく見ますし
・独鈷杵など握っているときの独特の持ち方を見て、この不自然な持ち方は何だと思っていましたが、赤ちゃんの握り方を思い出すと「なるほどね~」って感じ。

・胴体もそう。赤ちゃんは、まん丸頭の下に首がなくてズドンと胸厚の胴体がきますが、仏像もまさに同じです。


こうしてみると、仏像って赤ちゃんをモデルに作られているんだなぁとつくづく思いました。



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そして、それも考えてみれば当然だなぁ、と。

みんなを惹きつけるシンボルを作りたいわけですからね。

赤ちゃんほど、人を惹きつける存在はないよね~。

寝ている顔はかわいらしくも拝みたくなるほど神々しいので、ためつすがめつ眺めて見飽きることがありません。こんなに間近にお地蔵様を眺められてありがたい感じ。

しかも、寝ていても夢を見ているときは瞼の下で眼球が動いていたり、微笑んだり、困り顔したり、伸びやあくびや時にくしゃみ、ゲップやおならが出そうなときには顔を真っ赤にして息んだりむずがったり、睡眠が浅いときには外の様子を感じていることが覗えたり、チラッと薄目でこちらを見たり・・・ともあれ、その表情を見ていて見飽きることがありません。



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先の記事で『胡座の片足の膝の部分に頭、一方の内ももの部分に赤ちゃんの足が当たり、お尻は座布団に落ち着く』という体勢を、勝手に「絶対安心領域」と呼んでいます.

それは、赤ちゃんが本当に安心しきって寝ている様子からそう名付けたわけですが、心が信頼で結ばれていることも感じます。
それに、私にとってもぬくもりを感じつつ、とても気持ちが落ち着くので、アッという間に2時間3時間経ってしまいます。

なぜこんなにも気持ちが落ち着くのかと考えると、
赤ちゃんは私に何も押しつけてないからだなー、と。

理想や欲を押しつけてくることもなければ、
勝手なレッテル貼りをしてくることもない。
心配や不安を投げかけてくることもなければ、
怒りをぶつけてくることもない。
我慢や苦労を見せる演出もなければ、
ゲームを仕掛けてくることもない。


お腹空いたり気持ちが悪ければむずがったり泣いたり、
おっぱいには遮二無二むしゃぶり付き、
興味をひかれればじっと見つめ、
眠くなったら大あくび。
―ただ、あるがままにそこにいるだけ。

あ~、なるほどねー。
赤ちゃんには脅威が無い。構える必要が無い。
自分を飾る必要も、守る必要も無い。
自分を解放したまま、共にそこにいることが出来る。

だから、楽だし落ち着くんだ。


いつも泰然として変わらずにそこにいる庭のマーガレットと同じ。
何も要求せず、ただそこに安定して存在している。
どんな辛い日でも、自分の足で文句も言わずに立っている。
その苦労を主張することもない。
栄華を誇ることもない。

だから寄り添うことが出来るし、1日に何回でも顔(花がなくても、その存在)を見に行くのだ。

まさに、赤ちゃんも自然そのもの。
だから、赤ちゃんと共にいるとき、むしろ充電されている感があるんだね。

自由である赤ちゃんの存在自体が、
傍にいる人に「自由でいいよ」という“許可”を与えています。 

そういう存在だからこそ、こちらも優しく大事に、大切にしたい思いが湧くわけですね~。




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これは、両親と比べるとはっきりわかります。
ストローク飢餓で生きている両親は、「存在自体がうるさい」。

「私の存在を認めろ」というメッセージが、表情から声から言葉から動作ふるまいから全てに渡って演出に満ち満ちていて、黙ってそこにいるだけでも“うるさい”。

本当に好対照です。
赤ちゃんは泣いていてもうるさくないし、
親は黙っていてもうるさいのです。

これが、
気持ちと共にある人と
気持ちを封じて生きている人の違い。


「私の存在」=「感情」ですから、それを認めるには、赤ちゃんのように自由に感情表現するだけでいいんですけどね。




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ところで、下記に面白い記事がありました。
file198 「仏像入門」(NHK)

仏師、江里康慧(えりこうけい)さんは、仏像の手を彫るとき、「赤子の手」を意識して彫るそうです。むっちりした手が仏の穢れなさ、暖かさ、柔和さ、おおらかさをを感じさせますが、爪が赤ちゃんのように外側に反っていることまで、とは。

改めて赤ちゃんの指を見ると、あー確かに外側に反ってるわー。
やっぱり、仏像は赤ちゃんがモデルだったんですね~。



「子宝」とはよく言ったもの。
自分のすぐ傍に「仏」が降臨してくれるわけです。
本当にありがたい。
よくぞ生まれてきてくれました(私の傍に存在してくれました)という感じ。

この仏を拝むことが出来る期間も、そう長くはありません。
そう思うと、1日1日が大切な日々です。







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