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気負わずにまっすぐに立ち続ける

2018/01/28(Sun) Category : 子育て
風邪をひいて床に伏しておりました。
諸事滞っておりますが、何卒ご了承下さい。
また、皆様もお気をつけ下さい。

熱は2日ほどでひきましたが、それ以上に辛かったのが胃と腰の痛み。
丁度みぞおちの辺りの胃の上部でチャンバラをしている感じ。時折、ザクザクザクッと剣で切られる痛みが(ちと大袈裟ですが)、酷いときには10秒に1回程度あってまんじりと出来ない夜もあり、「俺なんかやったか~?」と、思わず振り返りたくなるほど。
(→喉も常にいがらっぽかったので、おそらく逆流性食道炎)。

同時に腰痛も酷く、どの体勢で寝ても腰に響くので、まぁ普段ストレスに耐えているところに集中的に症状が出たのでしょう。
「黙っていてもこんだけ耐えてんだぞ~、思い知れー」・・・普段の生活習慣を大反省した次第(--;)。

同じ姿勢で居続けるのはストレスですね~。
運動や体操を習慣になるように取り入れなければ・・・。



赤ちゃん------------------------------------------------------

病気になってつくづく思ったこと。
これ母子家庭、父子家庭他、配偶者の手を借りられない状況で、赤ちゃんを抱えた当人(親)が病気になったらしんどすぎるなー、ということ。

赤ちゃんにうつすわけにはいかないし、といって他に頼る人がいなければ世話しなければいけないし・・。しかも、乳飲み子であれば3時間おきにおっぱいを要求してくるので体を休めてもいられないし・・・こりゃ心身共に、辛い、苦しい。


実際、我が家の場合、娘を主軸として私と妻の3人が赤ちゃんを支えているわけです。そこにハードな仕事をぬって時折泊まりに来る旦那さんが加わります。だから、娘夫婦が私たちに赤ちゃんを預けて外出することも出来れば、私が預かって妻と娘で出かけることもあります。

私たちが仕事をしているときは、気持ちのいいリビングで日に当たりながら、私の母が娘と赤ちゃんを見ていたりします。何も出来なくても、そこに居てくれるだけで閉塞状況が解かれ心の支えになるものです。

そういう点で、娘(母親)を支える環境が万全であるからこそ娘も余裕を持って育児のみに専念でき、だから、赤ちゃんの「魔の3週目」もそう酷くならずにすんでいるのでしょう。

ちなみに、私が数日地方に出向いていたとき、その初日1日だけは泣きが収まらなかったそう。妻の実感では、いつもいる私が居ないということが微妙に赤ちゃんの緊張を招いたよう。
娘の方は「あれ、泣き止まない。どうしたんだろう」という焦りが少しあったそうなので、私の不在→赤ちゃんの不安→娘の焦り・・・という具合に赤ちゃんを落ち着かせなくしていったのでしょう。

ここで言いたいのは、「子は鏡」ということ。赤ちゃんは自分の生理的欲求や甘え泣きでなく泣いている場合は、親を含めた環境に対するメッセージがあるだろうと言うことです。

今は、昼間はお目々パッチリの時はあれこれ眺めていますが、基本おっぱい以外はよく寝ます。夜8時くらいからぐずり始めますが、大体2時間半なので娘はその心づもりで十分付き合ってやり、寝た後は3時間後におっぱいが欲しくて一度起きるだけなようです。



---------------------------------------------------------
今、我が家には次の4世代がいます。
第一世代 私の祖父母
第二世代 私たち夫婦
第三世代 娘夫婦
第四世代 赤ちゃん

娘夫婦は忙しい盛りの世代です。それに不慣れだと過剰に背負いがち。だから、少し余裕のある私たち世代のサポートがとても重要になってくるなぁと。

妻は食事の支えであり、体験者として娘の心配事へのアドバイザー。ちょっとしたことでも、最初は大いに気になったりするもの。それはこうなんだと早くわかれば、悩むことに無駄なエネルギーを使わずにすみます。

私が自分で意識したのは、赤ちゃんの「絶対安全基地」になること。
といって、取り立ててどうのではなく、いつも余裕を持って笑顔で接する(笑顔にならざるを得ないんですが)だけのこと。

例えば留守番をしたときに胡座の間に寝かせたまま撮りためていた番組を見ていたりもするわけですが、その間何度のぞき込んでも飽きない。時折頭をなでたり、手を握ったり、それに対する反応を見て楽しんだり。

目がだんだんしっかりし始めると、こちらが見ていないときにじっとこちらを見ていたりもします。すると、思わず鼻と鼻の頭をこすり合わせて挨拶したり。

寝ている途中で起きてむずがるときは、オムツやおっぱいの他に、ゲップやおなら。背中トントンか、お腹ユサユサです。それをすることで赤ちゃんが泣き止むようであれば、それをしている内にいいゲップやおならが出たりします。

ウンチがたまっていて出そうになければ、妻が綿棒でお尻をツンツンして大量にウンチが出たこともありました。

赤ちゃんは泣くことで何かを要求していますから、こちらがそれに応えていくことで、赤ちゃんと私たちの間に信頼関係が出来ていくことが実感としてわかります。


沐浴なども時に3人がかり(私が支えていたいからなんですが)。
この時も私が赤ちゃんの手に指を握らせたりしながら(力強く握ってきますね~)ずっと笑いながら赤ちゃんを見ていますので、安心感があるだろうと思います。

私が赤ちゃんを下から支え見守り、妻と娘の2人が丁寧に洗う姿を見ていると、男性は大黒柱的に下支えして、女性が細やかな文化を“人”の上に育んでいくんだろうなぁという気がしました。


このように、常に自分を笑顔で見ている目があるということ。
「笑顔でその存在を見る」―そのこと自体が、その存在を無条件に認めていることになりますので、みんなの心の安定に繋がっているだろうなぁと思います。

(はい、以上は全て手前味噌の話なので半分に聞いてね~)






----------------------------------------------------------------

一方、病気になってもう一つわかったことは、と申しますか「ああやっぱり・・・」ということなんですが、父や母がいろいろとやらかすということ。

父は、たとえて言えば「内圧が高い人」なので、「外気」が彼の中に入っていく構造にありません。つまり、言葉も感情も入っていきません。一方で、制限がなくなれば内圧は所構わず吹き出ますので、それがいろんな意味での“散らかし”となって現れます。

しかも、年が行くにつれてストローク飢餓は深まり、自己確認のためになり振り構わなくなっていきますから、時として酷いアクシデントが起きると言うことです。
それを野放しにすると家の空間秩序も人間の形も崩れていきますので、こちらができることは「気負わずにまっすぐに立ち続ける」ということです。

「まっすぐに立つ」というのは、ただ立っていればいいのではなく、言うべき時は言う、本人がしたことは本人に返す、必要なことは毎日確認する・・・自律した人にはしなくていいことばかりですが、これを日々繰り返す。

「気負わずに」というのは、上記のことをわからせようとかウンザリして行うのではなく、淡々とということ。加えて、父は相手を怒らせる無責任な返答の仕方をしますので、それに乗らないこと。強いエネルギーをもらうことは本人の自己確認になっているだけですから。


-------------------------------
とはいえ、断固として怒る必要がある場合もあります。自分から逃げ続けている人にとっての人生は壮大な時間つぶしです。仕事や趣味(など意識を向ける対象)がある内はいいですが、それらがなくなってくると、体やモノを自分で壊して自分で治すというマッチポンプをすることがあります。

体の方は自分で案配をよく心得ているようですが、家の方はたまったものではありませんので、かつてわざと乱暴に扱って雨戸を壊したときには激しく怒りました。
その後も、それをやったらいずれ壊れるだろうというようなことをしようとしましたので、未然に防ぐことを何度か繰り返す内に家に対して仕掛けることはしなくなったように思います。

(絶対ダメなんだということを体レベルでわからなければ、あの手この手で仕掛け続けますので、本気で怒る必要があります。次に同じようなことをしようとしたときに、「面倒くさいことになりそうだな」と思ってやめる―そういう抑止力です。つまり、本気で怒っても、「面倒くさい」程度の抑止力にしかならないわけですが、それで十分です)

とはいえ全てに注意を払うことは、その時間を父のためにかけることになって意味が無いので妥協点を自分で作っておきます。たとえば、家の破壊はダメだけど、鍋や茶碗などその他のモノについては父のお金で買い換えればいいので、そこは割り切るとか。

“散らかし”についても、そこに置かれたら家族全員への暗示的影響が強いと思われる場合は排除しますが、それ以外は容認するとか。

このように、父との同居の4年間は、いわば拡張主義の中国と同居したようなもので(失礼。でも米中など武装超大国の根っこにあるのは存在不安とストローク飢餓。自由主義と共産主義―真逆なのに同じに見えるのは、存在不安者のやることは同じだからです。理屈(虚構)はどちらがより自己正当化できるか程度のもの)、2階への領空侵犯は絶対にさせない、領土(家)の破壊は未然に防ぐ、父の飛び地をあちこちに作らせない―そういう“見えない闘い”をずっとしつつ“現家族の平和”を守ってきた4年間でした。

(最近、娘にそういう話をすると「えーっ、全然知らなかったー」と驚いていましたが、平和な日常は見えないところで保たれていたわけです。そして、今はそういう視点で、毎日のようにスクランブル発進をしている自衛隊を見ています)

このように未然に防いだり、大きく逸脱させないように「気負わずにまっすぐに立ち続ける」―ということは、地味ながら結構大変なことをしているわけで、それが胃痛腰痛になって現れたか?(笑)






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他方、「何もせずにそこに居る」という脚本を生きる母にとって、私が風邪で寝込んだということは、1日中寝っぱなしの人が傍に登場してしまったのでさぁ大変・・・という解説に入る前に、この脚本の人がどういう人生を送るのかごく大雑把に触れます。

・動いてはいけないので「意欲」を放棄します。意欲があると動きたくなって辛いからです。欲(選択)を放棄することで、何もしないで居ることへの苦痛を感じないですみます。
・ということは自分の意志を持たずに漂うことになりますから不安です。不安感情があることが自分の意志を持っていない(自分では選択しない人生を送っている)ことの逆証明になりますので、この不安感情は脚本を生きている“基本的証拠物件”として手放しません(演出感情)。

・動くなと言われても、生活上動かなければならないわけで、では脳はそれをどう処理するかというと、自分より圧倒的によく動く相手を配偶者にするわけです。すると、家に居着かず移動し続けている父を見ているだけで「私は動いてないよ」と脳内母親に言えるわけですね。脳(脚本)の世界は自己洗脳の世界なので、このような子供だましで、普通に生活して動いていても「何もせずにそこに居る」という脚本を生きることができます。


他にも多々ありますが、本題ではないのでここで割愛。
4年前ほぼ寝たきり状態だった母を引き取り、海を見た母のチャイルドは喜んだでしょう(元々海沿い育ちなので)。やがて押し車を押して500mほども歩く快挙!を成し遂げました。

が、脚本による足の引っ張りが始まります。歩き方がおかしくなり、父と無意識の共犯で足を骨折し、車椅子となり・・・父との闘いが「拡張」との闘いであったとすれば、母との闘いは「縮小」との闘いの4年間でした。


それは際限がありません。足を殺し家の中にこもるようになって終わりではなく、上体をまっすぐに立たせない“努力”をし続けるフェーズに移行しました。

例えば、ベッドから起きるときに手が体の邪魔をしています。起こそうとしていないばかりか、引きずり戻そうという手の位置の場合もあります。
椅子に座っているときも左か右に強硬に傾け続けますが(どちらに傾くかはその時々で違います)、この時も手が椅子のバーをガッチリと握っています。
左右でない場合は、浅くなってのけぞるような体勢になって滑り落ちたり、逆に胸が膝にくっつくような前屈みになってその上体を起こせなかったり・・・。

いやはやここまでかと思うほど、いついかなる時も「私は起きてないよ(横になってるよ)」と脳内母親に“見せる”べく、上体がまっすぐなことがありません。以前は父と居ると歪み、私と居るとまっすぐになっていたのですが、今や背骨はまっすぐには立たせないという強い意志が働いているかのようでさえあります。自分の背骨がないとはこういうことだなぁとつくづく感じます。


さらに、そこでも終わりではありません。「何もせずにそこに居る」役、「母親を見る“目”」役の方は、結局首から上だけあればいいので、その脚本の最終ゴールは「植物人間」なのです。
そのため、小さい頃から首から頭にかけての怪我やアクシデントが多く、むち打ちや頸椎損傷、頸椎骨折などを経て植物人間になることを目指しています。あるいは背骨狙いもあります。(気づいて下さいね)

母の場合も、「首折り」と「背骨折り」の2つがあります。
母の腕の力は上記に見るがごとく強いし、自分を“伏す”ための動きに関してはサッと手が出るのに、つんのめって頭から突っ込みそうになるときは手を出そうとしません。これは「首折り」狙いですね。

あるときは、テーブルにつかまり立ちしていたと思うや、あろうことか不意に両手を離して後ろに倒れたことがありました。呆気にとられましたが、「背骨折り」(腰椎圧迫骨折)を狙ったのでしょう。


父との闘いも母との闘いも気が抜けるものではありません。
それに、いずれも相手の無意識との闘いなので、なかなか闘いようがなく、本人も表層意識で抗う術を持っていません。

この4年間、あらゆることを試して到達した地点が、「気負わずにまっすぐに立ち続ける」という地点でした。それのみが、なんとか2人の逸脱を最小限に出来るのです。



------------------------------------------
ところが、私が風邪で寝たきりになった。

動き回る父は、母を動いてないように見せる役割を果たしましたが、
寝込んだ息子は、母が動いていることを浮かび上がらせました。

これでデイサービスに行こうものなら、「動いている」ことが第三者の目にも実証され、虚構が崩壊してしまいます。母の世界にあっては、母が「動かないナンバー1」の座に居なければ脳内母親から認めてもらえないのです。この「見捨てられ恐怖」によって相当に追い詰められたのだろうと思います。

同時に、植物人間を目指す脚本としては、またとないチャンスがきました。
さらに、私は母の代理母でしたから、その代理母が倒れたということは、それに「遅れをとってはならじ」になるわけです。

私が寝込んだ翌日の夜、毎夜トイレに起きている父が異変を発見しました。なぜか母がベッドから少し離れた床に俯けに倒れていたそうです。そのときには、体が冷えて言葉も朦朧としていたそう。そして、その朝のデイサービスは断ることになりました・・・。

その日は1日寝ており、翌日から徐々に回復しはじめ日常に復帰しつつありますが、次のステージに向かいつつあることも確かです。


学んだことは、例えば、私が顔を見せないことで母親が気にした場合は、とにかく私が動いていることにする―「嘘も方便」ですね。その程度のウソで脚本人生はごまかせます。
とはいえ、それを言ったところで、最終的に植物人間まっしぐらの母の脚本が変わることはありませんが、少なくとも今回のような突発的な行動は回避できるはずです。








親と自分は無関係-----------------------------------

さて、私がこの事例をあえて書いたのは、まず親の「人柄」と「ストローク飢餓行動及び脚本行動」は違うということを認識して欲しいからです。前者は好きですが、後者はほぼ自動実行で行われるもので、人格とは無関係です。

次に、自分の行動(人生)と親の行動(人生)は無関係ということを知って欲しいのです。今回、私の行動(風邪で寝込む)がきっかけとなってそれぞれアクシデントが起こりましたが、それを「こっちが高熱で苦しんでいるときに何やってくれてんだよ」と父に怒っても仕方が無いし、自分が寝込む+顔を見せないだけで母にあの行動までさせたのか、ならおちおち風邪もひいていられない、と責任を背負う必要もありません。

ここを間違うと自分の一挙一動が全て親とリンクしているかのような閉塞感に陥り、この親が居る限り自分の人生は開けないと殺意が芽生えるか、親のそういう姿を見ずにすむように過剰に頑張り続けてボロボロになってメンタルを病むか・・・そういうことになっていきます。


両親それぞれにとって日常の全ての場面は“発動”のきっかけでしかなく、その両親の行動を自分と結びつけたがっているのは、実は子どもの側です。
親は、上記の通り自分の脳内母親に見せる行動しかしていません。けれど子にとってそこがわかることは絶望なので、親が自分を見ないことになんらかの理由を勝手につけてそこにしがみつこうとします。

たとえば、親がああいう行動をするのは、「私を憎んでる(嫌ってる、蔑んでる、馬鹿にしている、妬んでる、邪魔にしている、支配しようとしている・・・)からだ」と思っている方が“繋がり”ができますから、「無関係」よりもはるかに「憎まれている」の方がいいのです。しかも、親が憎しみという感情を持っていることに出来ますから、「感情で生きてない親」より絶対的にいい。

なので、「感情で生きておらず脳内母親以外とは誰一人関わらず生きている親」という現実は一切無視して、「私を憎んでる親」という虚像(←これが脳内母親です)を作り出して、その脳内母親と関わり続ける人生を歩むことになります。

まぁ ↑ここは、自分の中に「親にあきらめないチャイルド」が居ることを知り、その子をきちんと受け止めてあげるまで続くでしょう。





気負わずにまっすぐに立ち続ける-----------------------------------

病の間もすくすくと成長を続けてくれている赤ちゃん。
病をチャンスとばかりに大騒動を引き起こした両親。

私は、
赤ちゃんとは自律した者同士の信頼と連携を感じることが出来ますが、
両親とは、肉親の情はありますがそれぞれ個別という感じです。
(依存とか共依存ということでもありませんね)

だから、
しばらくぶりに赤ちゃんを私の膝の定位置に載せ、その輝く瞳と見つめ合ったとき、互いにその存在を確認し合った気がしました。
「よっ、久しぶり」って感じ。

それだけで、互いが落ち着き、気力が充実してくる感じです。

いえ・・・それ以上。
心から、
嬉しい―


何にも言わなくていいんだね。
気持ちを伝え合う必要さえないんだね。

目と目で認め合っている。
それで、十分!


互いがもたれ合ってない。
互いに好きにやっている―けれど、互いが相手はそこに居るとわかっている感じ。



一方の親も同じです。
親は親で好きにやっている。

ただ、チャイルドで生きて欲しかった。
この思いで、かつて何度も何度も泣きました。

私の中に居る「親をあきらめないチャイルド」の慟哭も聞きました。
この子はいなくなることはありませんので、ある歌を聞く度に涙が溢れます。

けれど私は、無力であることを悟り、
親はあっぱれに一貫して生き通しています。

今は、「気負わずにまっすぐに立ち続ける」という修行をさせてくれているのだと思いながら接しています。









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