プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


中尾相談室のカウンセリング概要
カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
08 ≪│2023/09│≫ 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

「赤ちゃん」に恩返し

2019/01/07(Mon) Category : 子育て
あけましておめでとうございます。

昨年は母が亡くなった悲しい年ながら、穏やかな年の瀬を迎えることができました。それが成せたのは次のような要因があったからでしょう。

1.自分の思いは自分が救ったこと
2.母が救われたかった部分は救ったこと
3.母没後、四十九日間喪に服したこと

1.自分の中の母への思いは、過去数年にわたって一人で十分に受け止めてきました。
カラオケボックスに一人で行き、気持ちを言葉にして泣いたこともよくありましたが、このような重層的で複雑な思いは自分以外に分かるはずもありません。そのように感情を自ら受け止めていったことで「心のコップ」は空になっていきました。母に伝わらずとも思い残すことはなくなっていったわけです。

2.母が故郷を離れて転々流転する道を選ぶ原点となった幼児期の悲しい出来事―それをふと私に漏らしたときに、母のせいではないことを伝えました。母は「心が軽くなった」「墓場まで持って行くつもりだった。」とホッとしていました。たった一人で80年も抱え込んでいた重荷を下ろすことができたわけです。
母はそこまでで十分だったのでしょう。その後は、母のチャイルドを救いたい私と脚本を貫きたい母の無意識との闘いがあったわけですが、互いにやりきった感がありました。最後は、「お母さん、よく頑張ってきたね。あっぱれだったよ」「“母親”のために一筋に生きたことを俺が認めるよ」と母の人生を全て認めました。
不思議なことですが、母が亡くなったのは、そう声をかけた翌日でした。
母が脚本人生を生ききるのを見るのは残念でしたが、ある意味あっぱれ―やっと楽になったねと送り出すことができました。

3.喪に服したと書きましたが、実際に体験して四十九日くらいかかるなぁと実感しました。実務的にやることが沢山ありますし、いずれ父にも訪れることですから、後半はこれを機に同様の整理を父の分も行い、父の人生の振り返りも行いました。また、残された父の今後の道筋も整える必要がありました。まる2ヶ月休んだわけで贅沢に思える話ですが、アッという間に過ぎた感じです。

四十九日を通じて過去を振り返り、最後に「中尾相談室のカウンセリング概要」をまとめることができたわけです。それは、母からの卒業証書のようなものだったでしょう。新たに基盤を整えて再スタートできたのはよかったと思います。(とはいえ、父のことも色々とあり、振り返りも続いていますので、新規受付には至っておりませんが)




「赤ちゃん」との自律した人間関係-------------------------------------------

穏やかにいられる理由として、もう一つ、大きな大きな要因があります。
孫(娘の子)のRちゃんの存在です。

一昨年12月に生まれて1歳になったばかり。生後2ヶ月間我が家で暮らしましたので、母は賑やかな中で晩年を過ごすことができました。Rちゃんは母も救ってくれたと思います。今の父にとっても、一番の癒やしと潤いがRちゃんでしょう。Rちゃんには感謝です。

そして、私にとっても救いだったと言えるでしょう。
絶え間ない変化と、成長への努力、そして屈託ない笑顔が、癒やしと活力、勇気を与えてくれました。

いえ、それどころではありません。


Rちゃん誕生の2ヶ月後に還暦を迎え、赤いちゃんちゃんこを着て新たに生まれ直した私。まさにこれまでの脚本を終え、「第二の誕生」をなしたかのようでした。そう、共に0歳の“幼なじみ”(笑)。

言葉がなくても目で会話ができる。
肌で癒やし合っている。
互いに肩を手の平で優しくトントンして受け止め合っている。

間に全幅の信頼しかなく、
互いへの要求も、押しつけも、不満もない、互いにあるがままでいられる。
とてもラクで充実した関係。

「笑顔で見る」ということは、相手の全存在を肯定的に認めるという最高のストロークです。
私は、自律した人同士の関係を、生まれて初めて味わったのかもしれません。




子育てとは恩返し----------------------------------------------------

実は、我が子の時も同じものがありましたが、特に幼児期以降、私たちの脚本が邪魔をしてしまいました。でも、子供達が私たちに幸せをくれたという思いも同時にありました。なので、子供達に対しては「恩返し」の思いをもって見守っています。

なお、世間ではよく「親に恩返し」と言いますが、私は逆だと思っています。私が子供達から幸せをもらい、今、Rちゃんが上3世代に幸せを与えているように、赤ちゃんが我がとこに来てくれただけで感謝です。後はその恩返ししかありませんので、「親が子に恩返し」が正解。

人生珠玉の喜びをもたらしてくれた存在だからこそ、その恩返しをするためにできる限りのサポートをするわけで、子育てとは子どもに恩を返すことです。

Rちゃんに接していると、娘の時のことがかぶって30年前にタイムスリップします。子や孫は、本当に自分を若返らせてくれる存在だなぁと思います。
それに、娘を見るときも赤ちゃん時代の俤(おもかげ)と二重写しになりますので、あの赤ちゃんがこの赤ちゃんを生んだか、と面白い。そして、この赤ちゃんが30年後くらいにまた赤ちゃんを生むまで、孫の成長を見届けたいと思うのです。




スタートした人生を豊かに締めくくるために----------------------------

私の前には、人生をスタートさせたばかりの赤ちゃんと、人生を締めくくろうとしている両親の2つの存在があります。

目を合わせず、自分のことしかないままに生き通した(&している)両親。
澄んだ宝石のような瞳で、まっすぐにこちらを見続けるRちゃん。

両親を見る私には哀しみがあり、
Rちゃんを見る私には喜びがありました。

両親は見たくない姿をさらし続けましたが、
Rちゃんからは目を離すのがもったいなく、いつまでも見ていられます。

そう、「親の親役」=「親を見る“目”の役」として見るのではなく、
見ていたいから見ているのです。


人の世で何が大切なのかがよく分かりますね。
両親を突き動かしてきたストローク飢餓と脚本―それを糊塗するための思考、その全てが薄っぺらくつまらない。
思いのままに行動する率直さと伸びやかさ、心からの笑顔を放つRちゃんの存在そのものが、私に癒やしと活力、勇気を与えてくれたのです。

この赤ちゃんを我が両親のようにさせず、いかに今のありようを維持したまま大人にできるか―それが、私達人間社会の課題なんだろうと思います。







さて、風邪を引いてしまい、熱はさほどでもありませんが、喉荒れと咳がやや酷い状況で、仕事初めは2,3日先になりそうです。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。








関連記事
 
Comment0  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
検索フォーム
 
 
著作
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
会場でお会いしましょう(^^)
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
QRコード
 
QRコード