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「令和」に思う

2019/04/08(Mon) Category : 見方・考え方・価値観-パラダイム
我が子に名を付けるとき、そこには願いが込められています。
ただ表層意識で理屈を付けても、実際は無意識(脚本やストローク飢餓)の意図によって付けられていることも多くあり、子はその名に込められた無意識の意図を背負って人生を歩んでいくことになります。

けれど、その意図を洞察して分かったときに暗示効果はなくなり、親を背負わない自分の人生の幕が開いていくわけです。そして、その名が名実ともに自分の名となっていきます。

さて、元号とは、時代に名前を付けること。そこには、これからはこういう時代にしていこうという国の意図があるでしょう。

これからの時代に「令和(れいわ)」という名前がつきましたね。
「令和」は、間もなく生まれてくる赤ちゃんです。

赤ちゃんは、親が積極的に関わっていくことでどんどん吸収して育っていきます。私たちも、新しく名付けられた時代(赤ちゃん)を大事に育てていきたいと思います。

以下は、私なりに「令和」ちゃんと関わるためのとりまとめメモのようなものです。

1.2019年5月1日午前零時誕生 「令和」(れいわ)
2.「大化」から数えて248番目(大化は初とされています)
3.出典 万葉集 (元号初の日本古典より引用)
4.梅の花の歌32首の序文より採る
「初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」
5.天平二年(730年)正月十三日に太宰府の帥老(大伴旅人)の邸宅に集まって宴を開いたときの序 



●最初の年号とされる「大化」の意味-----------------------------------

ついに、この時代(天平729-749)に焦点が当たったか…という驚き。
その前に、最初の年号とされる「大化」についてみておきましょう。

645年、後の天智天皇&中臣鎌足によるクーデターにより、古代大和共生連合屈指の名門である蘇我氏の入鹿は暗殺され、異なる政治体制に大化けさせられます(大化の改新)。この時に朝廷の歴史書を保管していた書庫も炎上し、過去の歴史は消されました。

(*1 中臣鎌足は百済王の王子豊璋という説あり。百済王族は古代日本とも関係の深い扶余族。人質として兄弟で日本に住んでおり、弟・百済王善光は帰化。)

(*2 クーデターを巨視的に見ると、線が引ける大地と線を引けない海―領土を奪い合う大陸文明と協力しなければ生きられない海洋文明の激突の側面もあったでしょう。大雑把に言えば、大陸文明は略奪と支配、海洋文明は受入と共生です。
 海洋文明は生き延びるために歴史(学び)を残し知恵を共有し合いますが、大陸文明は“支配”を正統づけるために過去を抹殺するため、歴史を書き換えることは常套手段です。)

(*3 大陸文明は何波かにわかれて海洋列島に入ってきていますが、このクーデターの時から元号が始まったことに象徴されているように、まとまった大集団で大陸文明が入ってきたわけです。
特に660年百済滅亡後、中大兄皇子は大量の移民を近江に配し、667年そこに宮を構えて668年に天智天皇となります。)

(*4 余談ですが、ふと思い出すのは映画「大いなる西部」。西部は広大な大陸で、奪い合うマッチョの世界ですが、東から来た優男の船乗り(グレゴリー・ペック)の方がはるかに大きかった―40年以上前に見た当時、しびれたのを思い出します)


「大化の改新」を覚える際に「無事故(645)の改革」などと覚えさせられましたが、とんでもない刷り込み。天皇眼前での殺害という史上最悪のクーデターだったわけです。

また、「大化」以前に元号がないことにされていますが、過去を抹殺したのでしょう。藤原仲麻呂の時代に神武以来の天皇の諡号を漢字2文字の漢風でつけ直させたように、日本の開化の始まりをここに持ってきたかった藤原一族が後からつけた元号なのでしょう。




●突き崩される古代大和共生連合-------------------------------------

さて、一度奪われた政権を、その名も大海人(おおあま)=天武天皇が奪還し、天武は旧勢力の拠点に藤原京を構えます。

けれど、皇后鸕野讃良(天智の娘)は不比等(鎌足の子)と結託していました。天智&鎌足の野望は、子供達にセットで引き継がれていたわけです。
そして、天武天皇没(686年)後、鸕野讃良は我が子やライバル姉の子を葬り去り、自らが天皇(持統=天智朝を「継体持統」した天皇)となりました(690年)。

そして、古代大和共生連合の神祇官かつ警察(神による裁き)かつ軍部とも言うべき物部氏を藤原京に留守居役という名目で置き去りにして、平城京に遷都します(710年)。

こうして皇子達は殺され(体制継続の芽は摘まれ)、古代大和共生連合のトップ2である蘇我氏(政治の要)、物部氏(軍事の要)は排除され、また、大和連合を支えた吉備の国の吉備真備や玄昉(物部一族)らは716年に唐に遠ざけられます。

邪魔者を排除した中で、持統天皇は藤原不比等と共に「日本書紀」(720)を整備―天孫降臨のアマテラス神話(いわばアマテラス=持統)を作ることによって、自らを正当化する根拠としました。
「天智&鎌足」が打ち立てたクーデター政権を、その子ども達である「持統&不比等」が継投・強化したわけです。




●抹殺された縄文古来の神-----------------------------------------

この時、持統天皇は古代大和共生連合が祀っていた夫婦神である「アマテル&瀬織津姫」を抹殺しました(抹殺するために作られた古事記・日本書紀に瀬織津姫が登場しないのは当然です)。
神話に違う神社があっては正統性の根拠が疑われることになりますので、抵抗する神社は廃され、殺された神主もいるくらい徹底され、その動きは明治まで1000年も続いたそうです。

この時代、唐を経由した海外文化の導入が盛んに行われたのは、全国津々浦々にある「縄文古来」の由来を持つ祭りや習俗まで大衆から消すことはできませんから、それぞれに「大陸由来」の謂われを当ててカムフラージュする必要があったからでしょう。

また、大衆側も神社(産土神)を潰されてはたまりませんから、祭神瀬織津姫の名を変えるに当たって、外来の神の名を借りる必要があったでしょう。かくして全国的な運動になったのではないかと思います。

それは新権力に屈したわけではありません。
水は容器によっていかようにも形を変えますが、水に変わりはありません。外来神や男神に姿を変えても中身は瀬織津姫だというのが、姿形に囚われない日本人の考えでした。このように柔軟な受け止めができたのは、後で触れますが万物に神(瀬織津姫)は宿るという真理を体得していたからでしょう。

さらに言えば、権力者が変わり、国の形(支配者や体制)がどう変わろうとも心は変わらない―日本人が守ってきたその「心」とは、自然を愛し、自然と共生していく心です。大地を領土とは見ず、母と見なす心性です。「瀬織津姫」とは「自然」の代名詞であり、自然を愛でる日本人の智恵といってもいいでしょう。

巨視的に見れば、不安の塊である「持統&不比等」を日本が受け止めたと言えるでしょう。




●藤原4兄弟の勝利宣言「天平」-------------------------------------

さて、正当性を示す神話を作り上げて残るは、藤原不比等の娘(光明子)を皇后にすること。その目論見の中、藤原4兄弟に囲まれた完全な傀儡天皇として724年に聖武天皇(不比等の外孫)が即位しました。

藤原4兄弟は、まず征隼人持節大将軍(征夷大将軍)であった大伴旅人を64歳にして大宰府に左遷(728年)。物部氏が古代大和連合の軍部とすれば、大伴氏は天皇親衛隊のようなものでしたから、大伴氏が左遷されたことは天皇一族にとっては打撃でした。

そして、親衛隊排除後の729年、長屋王(持統に殺された天武の息子の子)が一族もろとも滅亡させられ、最も有力であった天武の孫の血筋も断たれます。また、古豪達も刑死・左遷などの憂き目に遭いました。

天下を平らげた藤原氏は「天平」と改元し、改元の5日後に藤原光明子(不比等の娘)を皇后に立てる詔を出しています。

なお、長屋王だけではなく高官も次々に殺されたので、最高位として残った大伴旅人が730年11月に大納言に任ぜられて帰京します。が、毒を盛られたのか731年に病没しました。

かくして、蘇我・物部・大伴・吉備・橘・佐伯などの古代大和共生連合の古豪を突き崩し、天武系の血筋を断ち切って、天下を平らげた「天平」の藤原時代が始まったわけです。

振り返ってみましょう。

645 乙巳の変  (天智&鎌足による大化のクーデターで蘇我氏崩壊)
660 百済滅亡  (古代日本とも関係の深い扶余族)
668 天智天皇  (国を失った百済王族を背景に成立した王朝)
673 天武天皇  (古代大和共生連合の復興)
676 藤原京建都開始(古代最大の都)
686 天武崩御  (崩御後の空位期間に持統が天武系皇子抹殺)
690 持統 天皇に即位  (持統&不比等体制確立)
710 平城京遷都 (物部氏を藤原京に置き去る)
716 遣唐使    (吉備氏を唐に遠ざける)
720 日本書紀完成(瀬織津姫抹殺/神話の書き換え)
724 聖武天皇即位(不比等の外孫:母が不比等の娘)
728 太宰府に左遷(大伴氏を遠ざける)
729.3 長屋王の変(天武系孫抹殺/橘、佐伯等々古豪刑死、左遷)
729.8 天平に改元→5日後に藤原光明子(不比等の娘)を皇后に立てる詔
731 大伴旅人病没




●聖武vs光明の天平時代----------------------------------------------

盤石の藤原時代到来と思われましたが、735年に古代大和連合の吉備真備・玄昉らが、遠ざけていた唐から種子島に漂着、何とか帰国を果たし、737年に藤原四兄弟が天然痘で死去したことにより形勢逆転。

(*1 入鹿暗殺、長屋王他古豪の謀殺などの血塗られた過去、及び天罰とも言える藤原四兄弟の死去が、その後藤原一族を筆頭とする平安貴族を怯えさせ、大衆に御霊信仰を生むわけです)

(*2 余談ですが、吉備真備の子孫が陰陽師となり、そこへ弟子入りしたのが安倍希名、その子が安倍晴明。かくして、吉備真備が持ち帰った秘伝「簠簋内伝」は安倍晴明に受け継がれました


聖武天皇は「奈良の大仏(アマテル)+宇佐神宮(瀬織津姫)」の組み合わせ(神仏習合)で二柱を復活させ、この二柱の精神を「国分寺+国分尼寺」という形で伝える(&旧勢力をそこに集める)ことで、全国を軌道修正しようとします。

740年に藤原広嗣が乱を起こしますが吉備真備が鎮圧。一方、744年に聖武天皇は息子(安積親王)を失い(後に立太子させる大炊王を私邸に囲っていた藤原仲麻呂が毒殺)、この時には既に聖武天皇と光明皇后の道は分かれています。
744年に光明皇后が書写した「楽毅論」には「藤三娘」の署名をしており、楽毅論といい署名といい、藤原一族の味方をする決意が表れています。


ここから闘いは、聖武&孝謙天皇(父娘)vs光明皇后&藤原仲麻呂(不比等の子と孫)の闘いになります。746年に光明皇后は藤原仲麻呂(4兄弟長男・武智麻呂の子)を抜擢し、吉備真備・玄昉らを筑紫に左遷。

側近を奪われ、藤原体制をひっくり返すためにどうしても成し遂げなければならない大仏建立事業も暗礁に乗り上げ、聖武天皇は窮地に立たされました。




●元号(最強の広報手段)を用いた闘い-------------------------------------

窮地の中で大仏鋳造の黄金が陸奥国で発見されて狂喜した749年、聖武天皇は元号を「天平感宝」に改元しました。「天平感宝」とは、大仏を作ることが出来る宝(黄金)に感謝し、三宝(仏教=仏法僧)をもって天下を平す(ならす)―そういう意味だと思います。

神道の頂点に立つ神官である天皇―その立場を聖武天皇は活用して、天皇自らが「三宝の奴」となるという宣言をしました。つまり、神道の上に仏教を置き、仏教によって国を統治するという意志を「天平感宝」という元号で全国に知らしめたのです。


「日本書紀」をバイブルとする新・神道システム(物部神道に変わる国家神道)で日本を牛耳ろうとした藤原一族にとって、聖武天皇が打ち出した「国家仏教」システムは目の上のたんこぶ。藤原一族の天下を示す「天平」が、「天平感宝」というスローガンに塗り替えられるわけにはいきませんでした。

元号を変えるためには聖武天皇を引きずり下ろさなければなりません。そこで同年、光明皇后は紫微中台を設置し、天皇を超える最高権力者となり、仲麻呂に政権と軍権の両方を掌握させ、娘(孝謙天皇)を傀儡天皇にすることで実権を握りました。かくして、「天平感宝」はわずか3ヶ月の幻の元号となりました。

譲位と同時に改められた元号は「天平勝宝」。これは、「三宝に勝つ(国家神道は仏教に勝る)」と言っているのか、「三宝をもって勝つ(仏教によって困難な状況を切り抜ける)」と言っているのか―それぞれの勢力の思いが込められているでしょう。
というのも、その後は「不比等の娘:光明」vs「聖武の娘:孝謙」の娘対決かつ母vs娘の闘いが始まるからです。

元号には思い(願いや意図)が込められていますね~。




●古代大和共生連合の要の一人、大伴旅人-------------------------------

さて、列島激動の天平時代を駆け足で眺めましたが、730年とはどういう年だったかというと、前年に長屋王一族が皆殺しにあって古代大和連合が総崩れとなり、政権を藤原一族が握って(光明子立后)、古豪の重鎮達が刑死や左遷された年です。高官達も次々に殺されていく血なまぐさい最中にありました。

天皇親衛隊とも言うべき大伴氏、しかもかつての征隼人持節大将軍(征夷大将軍)であり、古代大和連合の要といってもよい大伴旅人は、左遷されて天皇一族を守れなかった上に、九州にあって中央の藤原4兄弟による横暴を見続けざるを得なかったわけですから、その無念たるやいかばかりか。

その臥薪嘗胆の旅人の邸宅に集まって梅の酒宴を開いた―それが単なる宴であろうはずもありません。けれど時は「天平」―天皇は不比等の外孫、皇后は不比等の娘、その両者を藤原4兄弟が守り、まさに藤原一族が天下を平らげていました。

その後、吉備真備・玄昉らが帰朝したり、藤原4兄弟が死去したり、聖武天皇が気骨を表して形勢が逆転していくなど思いもしない絶望の中に旅人はいました。

集まったのは、「天平二年(730年)正月十三日」。
旧正月でしょうから2月13日でしょう。2月だから梅の宴も開催できるわけです。

序文には「初春令月」とあります。
古代は1~3月が春でした。「令月」は「仲春令月」、「仲春」は春の真ん中で2月のこと。「令」は令(よ)い=「よい」「立派な」「優れた」「清らかな」という意味(令名、令嬢)。「令月」だけで「2月」を指します。




●序文の一般的解釈-------------------------------------------------

そういう背景を元に序文を読んでみましょう。まずは一般的解釈から。

初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。
庭舞新蝶、空歸故鴈。
於是盖天坐地、促膝飛觴、忘言一室之裏、開衿煙霞之外、淡然自放、快然自足。
若非翰苑、何以攄情。
詩紀落梅之篇。
古今夫何異矣。
宜賦園梅聊成短詠。



------------------
初春の令月(れいげつ)、氣淑(よ)く風和(やわら)ぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫(くゆら)す。

加之(しかのみにあらず)、曙の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて盖(きぬがさ)を傾け、夕の岫(みね)に霧結び、鳥は穀(うすもの)に封(こ)められて林に迷ふ。

庭には新蝶舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。

ここに天を盖(きぬがさ)とし、地を座(しきい)とし、膝を促(ちかづ)け觴(さかづき)を飛ばし、言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開き、淡然と自ら放(ゆる)し、快然と自ら足る。

若し翰苑(かんえん)にあらずば、何を以ちてか情(こころ)を攄(の)べむ。
詩に落梅の篇を紀す。
古(いにしへ)と今とそれ何ぞ異ならむ。
宜しく園の梅を賦(ふ)して、聊(いささ)か短詠を成すべし。



------------------
初春2月。空気は澄み、風は穏やかで、梅は女性が鏡の前で白粉の蓋を開けた時のように花開き、蘭(香草の総称)は、通り過ぎた女性の匂い袋の残り香のように漂っている。

それだけではなく、朝焼けに染まる峰には雲がかかり、松はその雲に覆われて笠がかかったように見え、夕方から峰に立ち込めていた霧により、鳥はその霧の幕(とばり)の中で林中を彷徨う。

庭には今年の蝶が舞い、空には去年の雁が帰っていく。

ここに、天を屋根、大地を座として、膝を近づけて酒を酌み交わし、言葉を忘れ、煙霞の外に胸襟を開いて自らを解放し、心ゆくまで快然としよう。

和歌によらないで、どうやってこの思いを述べ尽くせようか。
詩に「落梅の篇」を紀そう。
昔も今も何ら変わるところはない。
さぁ、庭の梅をお題として、いささか和歌を詠んでみよう。




●大自然に名をつけた智恵-------------------------------------------

いかにも長閑な序に見えますね。
けれど、何やら感じる強い思いと長閑さのちぐはぐさに違和感を感じます。

時は2月中旬満月の頃。月に梅に酒―風情の道具立ても揃っています。この道具立てを見れば、彼らが古代大和連合の奉じた神(=持統に封じられた神)に向かっていることが分かります。
まずこの道具立てが何を表しているのかを見てみましょう。

古代大和連合が奉じた神は「アマテル&瀬織津姫」の夫婦神。
アマテルは不動の太陽神。

瀬織津姫は
太陽と対をなして生命活動に影響を与える月神であり、
陽光なきところで命を育む火神(マグマ)かつ地球神(地母神)であり、
生命の源 水神であり、
その水(雨)をたたえる雲神であり、
その水(雨)を降らせる雷神であり、
雲がぶつかって川になる所かつ海を育む山神であり、
山を形成する石神、岩神であり、
山が産み出した滝神、川神、池神、湖神であり、
その川が流れ出て生命の胎盤となる海神であり、
萌え出ずる草神であり、それを守る高木の神であり、
草木から得られる薬神であり、
穀物を育む田神であり……

きりがありませんが、自然界の現象―森羅万象―自然そのものが「瀬織津姫」という神名で形容されています。「山川草木」とは瀬織津姫のことです。

水は動植物から鉱物に至る地球上の全てに含まれており、気相・液相・固相の三相を持つ水は、雨から雪、氷河に至る全ての気象現象の中にあり、山から海に至る全ての構造の中にあります。

その森羅万象に神がいる=八百万の神々とは瀬織津姫の別名です。言い換えれば、八百万の神々の親が瀬織津姫なのです。


「瀬織津姫」というキーワードで、人々は自然の循環を学ぶことが出来、かつ自然を愛し大切にするようになるわけですから、名がない大自然そのものに「瀬織津姫」という名を与えたことは、とても優れた叡智だったと思います。

(→この叡智が現代に受け継がれ、工作機械にさえ名前をつけて大切にメンテしているわけですね。ロボットを愛するメンタリティの根底には自然を擬人化して大切にした智恵があります)


その森羅万象の根っこにあるのが火と水。火と水が生命を育み、また生命活動を維持するにはエントロピーを低減させなければなりませんが、火(マグマ)と水の循環が地球のエントロピーを低減させており、それを浄化と呼んだわけです。

その生命活動が調和を保てずに暴走し、大規模にエントロピーを低減させる必要が出たときに自然災害が起こり、人間から見ると破壊神のように見えるわけですね。

というわけで、火と水を司る火水(かみ)である瀬織津姫は生命を育む神であり、浄化の神―祓戸大神であり、畏れ多き破壊神でもあるわけです。生命を産み出し、育み、維持し、浄化(破壊)する―「あ」(始まり)から「ん」(終わり)までの全プロセスを司る―まさに、「神」とは瀬織津姫でした。




●瀬織津姫の隠喩である梅と酒-----------------------------------------

ところが、突如その神名を使えば殺されることになったわけです。しかも、それを命じたのが「天皇」であれば従わざるを得ません。

縄文以来、列島に住む人々の土台として自明のことのように共有していたキーワードを封じられたわけです。民族のアイデンティティともいうべき共通語(共有価値)が失われたのです。
あなたならどうするでしょうか。

少しでも気づかれようものならクーデター政権によって抹殺されるとなれば、瀬織津姫を語るときに隠語を使うか、代わりとなるものに言寄せるしかありません。代わりとなるものは縄文古来ではなく大陸由来であった方が疑われずにすみます。

そこで隠語は、瀬織津姫を表すのに「サ行」―特に「佐」の字を用いました。
「佐久那太理に落ち多岐つ」の「佐」です)

「サの字」と言えば瀬織津姫。
「サクラ」は、サ(瀬織津姫)の磐座(いわくら)。
「サの方の花」は、日本固有の藤。
「サケ」は、サ(瀬織津姫)の氣(エネルギー)。

大伴旅人は酒をこよなく愛し、酒の歌を歌ったとありますが、瀬織津姫を愛し、その価値を共有していた古代大和連合の時代を歌っていたわけです。


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また、桜は瀬織津姫そのものですから堂々と愛でるわけにもいかず、代わりとなるものを探し当てたのが当時輸入された白梅でした。

(桜が堂々と日本の国花として認められる日が来るといいですね。ちなみに生け花の世界では松竹梅を挿ける「方形体」は天円の松・地方の梅・和合の竹で「天円地方和合の姿」(アマテルと瀬織津姫合体の姿)を表していますが、前方後円墳も天円地方墳、日の丸の旗も天円地方を表しているとわかれば、歴史の見方も変わってくるのではないでしょうか)

梅は、古事記や日本書紀には登場せず、万葉集でも8世紀に入ってからの歌になるので、7世紀の後半に遣隋使や遣唐使が苗を持ち帰って普及させたと推測されていますが、急速な梅の普及には、聖武天皇が二柱のシンボルとなる国分寺や七重塔を各地に建てた気迫に通じるものが覗えます。
太宰府が梅の名所となったように、梅の名所は古代大和連合の力が強かった地域かもしれません。

万葉集に詠まれた梅の歌の大部分が大伴旅人と関係があるそうですが、旅人は梅を普及させることで「自然を愛し、自然と共生する」という根底価値を維持しようとしたのかもしれません。

それは、武力や政権奪取により勝者の価値を押しつける支配ではなく、文化・習俗の力で自然との共生(←そのためには当然人々の和が必要となります)価値を広めるやり方です。

現代でもアニメ等を通じて日本の価値観が世界に広まっていますが、まさにそのやり方をしたと言えるかもしれません。


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当時、梅の花を酒盃に浮かべる風習があったそうですが、月見酒(酒杯に月影)、花見酒(酒杯に桜)や重陽の節句(酒杯に菊)も同じ。自然(瀬織津姫のシンボル月、桜、梅、菊)を愛で、瀬織津姫のエネルギーを飲んでいたわけです。

なお、万葉集で最も多く歌われている花は萩ですが、萩もまた瀬織津姫植物でしたね。

梅については下記をご参照下さい。
「梅」と瀬織津姫


万葉集はあらゆる人々の歌を載せていますが、そういう希有な歌集になったのは、これほどの人々が津々浦々で藤原政権の仕打ちを憂えている、かつての時代を懐かしんでいることの抗議としての意味があったからではないかと思います。(現代でも政権に抗議するときに署名を集めますが、そのようなもの)

万葉集が訴えているのは、支配の空しさと共生の喜びではないでしょうか。




●「蘭」について----------------------------------------------------

序文には、梅と並んで蘭が出てきますね。

俳句では、「蘭」は秋の季語とされていますが、実際は冬の花なので、蘭を用いて俳句の意図する季節感を盛り込むのは難しいとのこと。

中国における四君子では、蘭は春、竹は夏、菊は秋、梅は冬とされていますので、ますます秋から遠ざかりますね。

で、中国名の「蘭草/香草」が、「秋の七草」の一つ藤袴(フジバカマ)だそうですから、藤袴のことを蘭と呼んでいる可能性があります。

なぜ藤袴のことを中国名からとって蘭と呼んだのか。蘭の字は東を門の中に閉じ込めていますね。西が瀬織津姫の象徴なら、東はアマテルの象徴です。蘭の字を当てることで、“アマテルを閉じ込めた渡来の藤原”を暗示したのかもしれません。(「詩経」の中で「蕳」は「蘭」のことだそうですから、太陽神=日=東がつながりますね)


蘭は被子植物の中では最も後に地球上に現れた植物だそうで、短期間に急速に適応放散した進化の早い植物だそうです。
また、土壌に根を下ろさず、樹木や岩盤などに根を張って生活する着生植物であり、自分自身は光合成をせず菌類にたよって生きる腐生植物になっているものも多いそうです。
これらの特徴も新興の渡来一族藤原氏を彷彿とさせます。

また、蘭の英名はOrchidで、ギリシャ語の「睾丸」からきています。図を見ると二個の塊根から茎が直立する様は陰茎を思わせ、プリニウスの博物誌には性欲亢進剤としての効用が書かれているそうです。その茎の先に沢山の花を咲かせる―まさに藤原不比等のようです。

それから、屈原(343 - 277 B.C.) は君主を美人になぞらえ、君子とその美徳、小人とその悪徳にそれぞれ蘭と雑草をあてたそうですから、洋の東西を問わず蘭は高貴な男性をイメージさせる植物だったのかもしれません。

屈原の詩の中に「紉秋蘭以為佩」(秋蘭をつないで佩とした)というのがあるそうで、これなども太刀を佩(は)く時に用いるきらびやかな腰帯を思わせます。




●体制転覆の嘆きと自然を愛する心を広める宣言をした序文-------

では、上記のことを元に序文を解釈してみましょう。

「初春令月、氣淑風和、」

初春2月―(長屋王一族が皆殺しにされ)政権が転覆して初めての2月。
が、氣(瀬織津姫のエネルギー)は澄み、風(アマテル)と和している。
(二柱はバラバラにされたが、大自然は変わることはない)


「梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。」

梅(瀬織津姫)は真実を写す鏡の前で粉飾を披(あば)き、
蘭(藤原一族)は殺生後(珮後)の血煙の香を漂わせている。


「加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。」

のみならず(去年の長屋王抹殺だけではなく)、
曙の嶺(期待の天武天皇)に雲がかかり(藤原不比等の影が差し)、
松(天皇)は羅をかけられて(皇后:後の持統天皇の罠によって)
笠を傾け(皇子達を殺され)、
(+アマテル(天照)は、「日本書紀」によりアマテラス(天照)という虚構をかけられて隠され)

夕方には峰に霧が立ちこめ(現在はもはや皇室は藤原4兄弟に牛耳られ)、
鳥(龍神=瀬織津姫)は穀(年少の召使い→新参の藤原氏)に封じられて林中(アマテルと分離されて淋しい中)を彷徨う。


「庭舞新蝶、空歸故鴈。」

庭(朝廷)には新蝶(渡来の光明皇后)が舞い(登場し)、
故雁(天武の孫、長屋王一族)は空に帰った(亡くなった)。


「於是盖天坐地、促膝飛觴、忘言一室之裏、開衿煙霞之外、淡然自放、快然自足。」

ここに、天を屋根、大地を座として(大自然=瀬織津姫の中で)、膝を近づけて觴(さかずき)を飛ばし(やがて大水の源流となるわずかな飛沫を飛ばし)、この部屋で話したことは外に漏らさず、今は政争(煙霞)の外に身を置き、胸襟を開いて淡然と自らを解放し、心ゆくまで快然としよう。


「若非翰苑、何以攄情。詩紀落梅之篇。」

(*「翰苑」とは、大宰府天満宮に伝世された、これ以外は存在しない唯一の貴重な唐の書(660年成立/現在は国宝)で、卑弥呼や神功皇后など女王のことが書かれているようです。藤原一族が抹消しようとした歴史がそこにあると言うことでしょう)

もし(太宰府に来て出逢った)「翰苑」がなかったら、この思いを述べ尽くすよすがはなかった。
この「翰苑」に、落梅(抹殺された瀬織津姫/及び天武天皇一族)の詩を記そう。


「古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。」

昔も今も(天武天皇がおわした輝かしい過去も、天武天皇の子はおろか孫まで亡くなってしまった今も)、自然は何ら変わるところはない(大切なのは、「氣淑風和」の自然を守ることだ)。
さぁ、落梅の梅のことを人々に聞かせ、同時に自然を愛する心と男女共生の心を広く行き渡らせるために、たのしんで和歌を詠んでみよう。


・・・私はここに、老将軍の気骨を見る思いが致します。

海洋国家日本における伝統として書かれたものは残る。ただし、大陸型支配者が現れれば、「焚書坑儒」に見られるがごとく歴史書は隠滅され、「日本書紀」に見られるがごとく歴史は改ざんされもする。けれど、一見政治や歴史に関係のない和歌に託せば、この思いを伝えることができるだろう。ならば、千年先の者に、この思いを伝えよう。―そういう気迫が伝わってくるようです。




●「令和」に込められた思い------------------------------------------

「令和」は、「初春令月、氣淑風和」から採られています。

「令」は、ひざまずいて神意を聴く冠をいただいた人。
日本において神意を聴く最高位の人は天皇。
神といえば、鹿や亀の骨を焼いて占った縄文古来から持統以前までは瀬織津姫。(鹿も亀も瀬織津姫の神使いです)

ですから、「令」は瀬織津姫の意を聴く天皇を表しています。
「令」が瀬織津姫を暗示するからこそ、これまで「令」がつく元号を出し得なかったのでしょう。だからこそ、「令」がつくこと自体が革命と思えるのです。


「令」+「口」で、「聴いた神意を申しつける」→「命」となります。
天意で生きるのが「命」なんですね。
そして、神意を実行して生きるのが「生命」なのでしょう。

(現代、世界を席巻しているアニメも、「anima」(魂/命)からきています。そして、日本のアニメは「anime」で通っているようです。海を舞台に支配しない生き方を貫くルフィを描く「ワンピース」や、二柱のメタファとも言える「君の名は。」等が大ヒットしたのも面白いですね。)


「令」は「よい」「立派な」「優れた」「おさ」「清らかな」という意味があり (例:令名、令息、令嬢)ますが、そのイメージの元は瀬織津姫だったわけです。「令月」は瀬織津姫の月、2月です。(まぁ、1以外はそれぞれ異なる理由から全て瀬織津姫ナンバーのようですが、その筆頭が2ですね)

「和」は、ここでは「風」とセットであり、風(アマテル)を思い起こさせます。


「令和」を思い浮かべるときに、「令月」+「風和」を思い出すことになりますが、つまり、「令和」は「瀬織津姫+アマテル」を表していると言ってもいいでしょう。

私は、象徴としての天皇はどうあるべきかを考え、実行し続けた明仁天皇と美智子皇后は、まさに夫婦神の二柱が示す理想の姿を体現すべく努力された天皇&皇后だと敬愛しております(若い頃は天皇のことなど全く知らず気にもせず、天皇について学び初めてまだ数年ですが)。

それは、次の点です。
・自然を愛し、自然に学ぶ (自然の研究者です)
・人の声を聴く (跪いて災害に遭われた方の気持ちを聴かれる姿)
・陰陽和合 (夫婦相和す姿)
・和をもって尊しとす (国と国の仲を保つ尽力をされ続けました)

まさに人の範になられたと思います。
天皇の背を追って、私もいきたい―そう、思わせられます。

天皇は、象徴とはどうあるべきかの追求に終わりはないと言われました。その天皇が、生前に譲位される。それは、象徴としての道を引き継いで欲しいという切なる思いからでしょう。

発案者及び政府がどのような思いでこれを採用したのかは知りません。けれど、「令和」(瀬織津姫とアマテルの夫婦神が示す立派な和の姿)とは、今上天皇から皇太子への贈り物だと思うのです。




●元号初。日本古典より引用されたことの意味---------------------------

ところで、天皇名に漢風諡号を付けることを命じたのは、光明皇后(不比等の子)がバックにつき権勢を振るった藤原仲麻呂(不比等の孫)。実際につけたのは、天智の玄孫(やしゃご)の淡海三船(おうみのみふね:722-785)です。

クーデター政権を正当化するように、初代神武から44代元正天皇に至る天皇に漢風の名を付けました。天皇名にも既に作為(虚構)が入っているということです。


さて、明仁天皇は当時猛反対されながらも“平民”から妃を迎えました。ここに、皇后の親族が天皇を操る「持統&不比等体制」は終わりを告げたのです。
これが本当の無血革命でした。そして、美智子皇后は天皇を支え、素晴らしくそのお勤めを果たされました。

続いて、元号が日本の古典から採られることになりました。それも数ある古典の中から万葉集。しかも、大伴旅人の序から。
これは、全てを漢風に書き換えることで古代日本を封印する嚆矢となった「天智&鎌足体制」の終焉(大化の終焉)を示していると思います。


虚構の終焉が始まったのではないでしょうか。
ただそれは、日本国内のみにおける虚構の終焉ではありません。




●待てなくなった地球------------------------------------------------

2014年の「アナと雪の女王」の歌「ありのままで」の大ヒットや
2016年の映画「君の名は。」の大ヒットでも感じましたが、大きな流れがきているように思います。

その流れとは、なんでしょうか。

イギリスは植民地主義がダメなことを証明し、
ドイツは全体主義がダメなことを証明し、
ソ連は共産主義がダメなことを証明し、
アメリカは金融主義がダメなことを証明し、
中国は鵜飼型資本主義がダメなことを証明しました。

それ以前に遡れば、各民族が色んなダメなことを証明してきたことが分かるでしょう。人類は実験を繰り返してダメなことを証明し続けてきています。

ではなぜ「○○主義」や「□□体制」に依存していくのか。
それは、持統の徹底ぶりを見れば分かります。

強烈な不安が、持統をあそこまで突き動かしたわけです。
同時に、国を失い居場所が欲しい不比等ら百済の末裔のエネルギーがそれに加わりました。

つまるところ、「安心できる居場所」を確保したいのです。その確保のために、人は万里の長城を造るほど壮大なこともやってしまうのです。

その原動力となるのは、親から受け止めてもらえなかったが故の存在不安(ストローク飢餓)であり、それを埋めるための「時間の構造化」をしながら生きる結果、互いに道具にし合い、その中に生まれてくる子は存在不安を植え付けられ・・・ハラスメント界が終わらないわけです。

ハラスメント界では脳内母親に認めてもらうためにゲームの相手を探し続けます。異民族に蹂躙され万里の長城を造った中国と、個々人が銃で武装しているアメリカは、不安心理の面で似たもの同士です。例えばアメリカは、

1.日本に太平洋の覇権争奪のゲームを仕掛け、
2.ソ連にイデオロギー対立のゲームを仕掛け、
3.中東に一神教対立のゲームを仕掛け、
4.中国に経済覇権争奪のゲームを仕掛け・・・
強さナンバー1であり続けることで不安から逃れようとしているかのようです。

けれど各国がそんなことを続けている間に地球は傷つき汚れ、無駄に増大するエントロピーを異常気象や天変地異の形で放出せざるを得なくなりました。

もはや不安からの逃走を続けている人類に地球の方が待てなくなってきました。




●日本が大切にしてきた価値------------------------------------------

その人類の方向性を変えるカギを日本が持っていると思います。
例えば、上記の仕掛け(土俵)に乗るのは価値が同じだからです。

1.海洋国家である日本は、海路を断たれたときに参戦せざるを得ませんでしたが、その他の仕掛けには本来乗れません。

2.人間の“労働”だけに価値があると思っていません(マルクスの考え方が定着しないのです)。自然の恵み(自然の働き、自然が造ったもの)に価値を見いだし、感謝して無駄なく活かしきることに価値を置きます。職人は自然を探求し、自然を活かすプロですから、職人を大事にするわけです。

2&4.日本人は人も生態系の一部と考えているので、「所有」という概念がありません。だから、「私有」が優秀か、「共有」が優秀かの対立である資本主義vs共産主義の土俵、もしくは資本主義vs鵜飼型資本主義の土俵にうまく乗れないのです。

3.日本は言わば本当の平和の神の在り方である二神教(夫婦神)の国―二柱を本とする国なので「二本」→日本なのでしょう。
ただ困難に遭って闘うときは一点突破が必要ですから、一神教が有利。
藤原一族が一神教に作りかえたのは古豪連合と闘うため。
明治政府が神仏分離したのも列強と闘うに当たって一神教に戻す必要があったためでしょう。
(列強に互すことができたのは、大陸の考え方が藤原一族を通じて血肉となっていたからでしょう。何事も糾える縄のごとしです。)


世界を息苦しくさせ、かつ地球を追い詰めているのは、労働と所有の概念であり、それに基づいた思想やヒエラルキーです。
また、宗教も自分の“外”に神を置く限り、その目を気にし続けなければなりません。その行動は、「母親一神教」の行動とよく似ています。

それらの行き詰まりをブレイクスルーできる哲学を日本人は持っています。
その根底にあるのは、地球の「絶対的富」である水
それに気づけば、石油文明に象徴される資源争奪文明は終わりを告げるでしょう。

無機物、有機物の全てにある水。
万物に神(水神・瀬織津姫)は宿ります。
外在神ではなく内在神なのです。
これに気づけば、外在形一神教の対立も終わるでしょう。

日本には宗教(外在神)がないのに倫理があると外人が驚くのは、自然(水)を大切にする心(内在神)があるからです。

その心性を育んだものは、列島のこの気候風土でしょう。
だから列島のこの気候風土を愛するのです。

日本人にあるのは、愛国心と言うよりも愛郷土心。
この列島の美しい自然を守りたい心です。

自分を育んでくれた大地(母)を荒らすものは、国といえど敵なのです。
大伴旅人にとって、国(時の権力)が敵となってしまったように―

人種や民族のことを言っても、自分が色んな国に輪廻転生してきたことを考えれば空しい話。
血筋にしても縄文、弥生以来、複雑に混血しまくっているでしょうから意味がありません。

職人が、自分の魂を受け継ぐ人であれば、人種や血筋を問わず伝授していくように、自然を慈しみ、大切にする心があれば「二本人」だと思います。


後は、安心できる居場所は外にはない―自分自身が「心」の居場所ということに気づき、自分とインナーチャイルドが一体化すれば自足し、ハラスメント界から抜けていくことになるでしょう。そういう人が増えれば、ハラスメント界は自壊していきます。
そして、自分のいるところがどこでも居場所、つまり、地球が居場所になるわけです。

“外”に意識を向けるのではなく、自然や心に意識を向けるときにきているのではないでしょうか。



●安倍首相の説明の言葉------------------------------------------

上記の意味を込めて、安倍首相が述べた次の言葉は、よかったと思います。

『「令和」には、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められております。』

『悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然。こうした日本の国柄を、しっかりと次の時代へと引き継いでいく。厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め、「令和」に決定いたしました。』


最初の方を少し変えましょう。

『「令和」には、男女(夫婦)が美しく心を寄せ合う中で、文化(子)が健全に生まれ育つ、という意味が込められております。』

国の危機は人口問題ではありません。
ストローク飢餓の餓鬼人間が増えれば増えるほど、国は傾いていくだけです。「存在不安フリー」の人間をいかに増やすことができるのか―それが国の盛衰を分けますし、地球の未来を決めるでしょう。

そのためには、男性がもっと家庭や子どもに関われ、女性も安心して子どもと向き合える環境を作ること。子どもの様子を見つめる時間的余裕と子どもの気持ちを聴ける心の余裕を持てる社会にすること―それこそが国の役割です。

何故こういうことを書くかというと、カウンセリングで最後に辿り着くのが、全ての人が記憶にはない「0歳児の叫び」だからです。生まれた直後から、赤ちゃんは人の“手”に翻弄されるわけですが、その触れられ方によって自分の存在価値や自分と外界との関係が植え付けられていきます。だから、赤ちゃんの目を見て、声を聴いて、丁寧に大切に接して欲しい。

「三つ子の魂百まで」と言いますが、生まれてから3年間が最初の勝負でしょう。なので、そのことを肝に銘じて政策を立案していただきたいと思います。
(なお、3歳過ぎたらアウトというのではありません。自分の存在の本体は感情なので、自分が自分の気持ちを実感しないように生きている間はいつでも存在不安に陥りますし、逆に気持ちを言って実感できるようになれば存在不安は解消されていきます)

私も、「身近な自然」と「子ども」―それをテーマに「令和」の時代に関わっていきたいと思います。





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二神教(夫婦神)について

令和に関する考察、なるほどと思いながら拝読させていただきました。
君の名はの記事あたりから少し気になり始めたのですが、中尾さんはLGBTについてはどのようにお考えでしょうか?

例えば同性愛者の場合は夫婦+子という家族の形は難しいと思うのですが、夫婦神というのは便宜上の表記で、手を取り合う二人の人間、という単位であれば性別は関係ないととらえてもいいのでしょうか?

 
    
 
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