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「海獣の子供」感想<第1部> 人が「霊止」になる「第二の誕生」の物語

2019/06/29(Sat) Category : 映画
【「海獣の子供」感想】

消えたジンベエが見せた真実-------------------------------------

生きていることにどこか疲れている登場人物達。
本当の思いでない行動は、見えない疲れが蓄積していくよね。

常に気がかりが無意識の中にあって心ここにあらず。
意識は、“今”の自分を見ていない。

自らが紡いでいる虚構の網に絡め取られて
目の前の現実に即応できず、どこか上の空。

え?それでいいの?それ以外にすることがあるの?今
…命への思いが薄い。

動いてはいるけれど、繋がることはできない幽霊のよう。
生命燃えさかる夏なのに、冷たい。

自分もまた、溌剌と空を飛べる肉体を持ちながら、
気持ちを表現できない肉体は棺桶と化して水底に沈んでいく。




缶ビール片手に“空”(くう)を見ている母親。
ニセモノの“海”を見ている父親。

2人とも、その姿(形)を脳内母親に見せることで一生懸命。
2人とも、自分の心を見ていない。
だから、人の心と繋がれない。

父の居場所は水族館―母親の手の平の中の自由。
母の居場所は“空”(くう)の家―中身を食べられたカタツムリの殻のよう。

それぞれの居場所(脚本の子宮)の中で眠り続ける二親。
琉花の居場所がない。




生まれたときから感じている孤独感、空虚感
温かい命と繋がっていない寂寥感、荒涼感

ゼロ歳から違和感の中に置かれている子どもは
それを象徴する事象に出逢うことがある
あ、私が感じていたのはこれだったのか、と。

家族という密な関係であるはずが空疎な時空で生きてきた女の子の目に映ったのは、濃密に響き合う魚の群れ。生命賛歌の喜びのダンス。

陸の上で感じたことのない命が、そして
コミュニケーションが、水の中にあった。

両手はそれぞれ両親の手に繋がれていたはずなのに、
両脇に両親が居ない。

そこに立ち昇ってくる二つの黒く巨大な魚影(ジンベエ)。
不意に現れた黒い影は、光りの泡となって消えていった。

「あなたには、両親は居ないのです」
―それは、そう告げていた。小さいちゃんが見せた真実…





「空」と「海」の実感が虚構を壊し始める-----------------------------

けれど、自分が「母無し子」だと思いたくない。
創造主(母親)が自ら創ったものを“見ない”なんて許されようものか。

あなたに見向きもされないなんて透明人間と同じ。
何をやっても気づかれもしない透明人間のままじゃあ人生始まれない。

私はここにいるんだ。
お前らが創ったんだろ、気づけよバカヤロウ。
青い哀しみを赤い怒りが覆う。

これから人生最高の夏が始まろうって時(中2)なのに、
夏の入口に佇んだまま、動けないでいる。




そこに、「空」と「海」が現れた。
囚人経験者が町でバッタリ出会ったようなもの。
似たもの同士 臭いで分かる。
親がいない―土俵が同じだった。

が、違いがあった。
彼らには「育ての親」(ジュゴン)がいた。

大自然に受け止めてもらった彼らは、だからあるがままで居られた。
大自然と繋がった彼らは、実存が保証された落ち着きの中に居た。

だから、私のようにイライラしていない。
だから、私と違って思ったままを言葉にできる。




母親が見ていた“空”の代わりに、琉花は「空」を見、
父親が見ていた“海”の代わりに、琉花は「海」を見た。

そこには、存在と体温と心とホンモノがあった。
まっすぐに互いの存在を見つめ合うまなざしと、
払いのける手ではなく、しっかりとつかみ合う手があった。

実感が虚構を壊し始めた。





「空」と「海」の使命~“霊止”を見つけること-------------------------

寄せては返す波打ち際―
ニセモノの虚構界とホンモノの現実界の狭間に立つ琉花

あなたは、どちら側の住人? 「空」が問いかける。
虚構界の住人は命を道具にしてしまうから、隕石は渡せない。

隕石は地球を弥栄(いやさか)にする宝―命の源。
「空」は、宙(そら)から託された命の源を渡す相手を見極める者。

“人魂”を感じることのできる「海」は、“霊止”(ひと)になれる原石のような人間を直感的に選び出す者。

(日本は日の国=霊の国。彦(霊子)、姫(霊女)、ヒミコ(霊御子)、ヒルコ(霊留子)、ヒルメ(霊留女)の国)

この陰陽二人の者によって琉花は育まれていく。
「人は乳房」―そう、この二人が両の乳房。

この地球では、ストローク飢餓と脚本人生の闇に落ちていない者など居ない。琉花は新たに父親(空)と母親(海)を得て、育て直されていく。





産道-----------------------------------------------

タイムリミット―「空」は琉花に隕石を渡す。
「海のために必要になったら、腹を裂いて渡してやって」と―。

違和感。が、「空」にはこの表現しかできなかったのかもしれない。

「母の子」のまま生き通すことを決めている母親一神教の修道女達は、「子の母」になることを拒む。
我が子の名付けに関わらない、あるいは突き放した名付けにする、自分の代理母となる宿名を付ける、神からの授かり物という名分で切り離す、誕生日を祝わない、子供扱いしない(子供が好きそうな料理を作らない、子供が喜びそうな所へ行かない、放置する、面倒見させる…etcetc)―書けばきりがない―その一つが、子を産むときに産道を通さないこと。

産道を抜け出る苦労が母と子の力を合わせる最初の場面だ。だから、脳内母親のために生きる女性はそれを拒み、腹を割く方に持って行くことがある。手足となる子を産んでも、次は自分の代理母とする、あるいは孤独の仲間とすることを無意識に決めていたら、その子は帝王切開になったりする。
(帝王切開する人がこういう人だと言っているわけではありません)

時間切れで見切り発車しなければならなかったから、まだ見極めていないけれど「空」は琉花に隕石を渡した…母体として完全に認めてはいないことを「腹を裂いて」という表現で伝えたのか…。

けれど、それでは
果てない波はちゃんと止まらないんだ。

でも大丈夫。
琉花は海に手を引かれて、緑の森という産道を抜けたよ。





隕石は、扱われ方で自己を知る-------------------------------------

隕石を渡された瞬間(とき)から、「誕生祭」は否応なしに始まっていく。
星々(命)を産す(むす)ために、「海」が琉花のお腹の隕石を奪おうとする。

ダメ! それではダメだ。
産すばれた命が、道具となって結ぶだけ。

琉花は隕石を奪い返し、自分の手から「海」に飲ませる。
そう、手が大事。

命の源である隕石は、自分がどのように扱われているのか感じている。
憎まれ拒絶されているのか、怒りをぶつけられ乱暴に扱われているのか、怖れられ敬遠されているのか、ピリピリ神経質か、ため息つかれ厄介扱いされているのか、慇懃無礼他人行儀なのか、こわごわガラス細工のように心配されているのか…

隕石は、自分の扱われ方によって自分の価値、自分とこの世(3次元地球)との関係を知る。

愛しみと配慮を持って力強く丁寧に大切に扱われてこそ、隕石は安全と安心の中で信頼と勇気を与えられ、豊かな命の源となる。


「私なんかじゃ…」と言った琉花は、放置され大事にされなかった隕石。
デデは「あんたでいいんだよ」―自分(小さいちゃん)を信じろと言った。

(緑の帽子、白髪、焦げ茶の肌のデデは琉花の代理母←理由は第3部で)

そう、生みの親が自分を大事に扱わなかったとしても、それは親が自分の脳内母親に見せるため&ストローク飢餓を埋めるためにやっていたこと。あなたにはなんの問題もなかった。
だから、自分が自分(小さいちゃん)を大事に扱えばいい。されば、自分(小さいちゃん)が自分を信じて「自信」となり、莫大なパワーを発揮できる。

隕石を奪い返した時、琉花は母親になった。
そして、その手で隕石を「海」にのませた。
だから、「海」は赤ん坊(スターチャイルド)になれた。





「誕生祭」は人が「霊止」になったことへの祝福-------------------------

ジュゴンに育てられた「空」と「海」が琉花の育て親となり、
命を吹き返した琉花が「空」と「海」の母親となった。

隕石を奪い合う琉花と「海」は、先陣を争うようにジャンプしゆくオキゴンドウのようにフーガ(遁走曲)を奏で、大きな鯨の口に呑み込まれていたはずが、気づけば虚空に居た。

真っ黒い大きな闇(口)は、子を丸呑みする鬼子母神の口。
その口中から逃れようと抗う必要はない。

無我夢中になればいい。それは、時を忘れて「小さいちゃん」と繋がっていること。その絆が太くなったときに、勝手に自由の空に居る。そう、囚われていたのは自らを縛る虚構(思考)。




この展開になり得たのは、どこかの場面で琉花が「見たい!」と意思表示したからだ。
虚構を生きる者は現実を見ない。相手に確認しない。
「見ザル言わザル聞かザル」でなければ虚構を維持できない(現実を利用できない)からだ。

その原点は、母親の実態を知りたくないこと。
母親という現実を見たくないために、人は壮大な虚構の宇宙を生きている。

けれど琉花は目を背けずに“見る”決意をした。
その決意が、この展開を産んだ。




そして、「見る決意」ができたのは、自分が小さいちゃんと繋がって背骨ができたからだ。もう、母親という岩盤が崩壊しても自分の姿勢を保つことができる。更地になった後のゼロポイントから、どこへでも好きなところに自分の足で歩いて行ける。

だから、お母さんに絶望してもいい。お母さんの実相を直視しよう。
この決意が、「第二の誕生」を導いた。

「誕生祭」―それは、人が「霊止」になったことへの祝福。
一人の人間が霊止になるだけで、こんなにも地球は軽くなれるから。
そして、霊止から豊かな生態系が育まれていくから。
水源の一滴が、やがて大河となるから。


そう…これは、
「生命誕生の物語」ではなく、心理的な「第二の誕生の物語」―













【初音ミク「深海少女」】



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