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「海獣の子供」感想<第3部> 色彩でたどる加奈子の物語

2019/07/01(Mon) Category : 映画
【「海獣の子供」感想】

脳が色を見る見方----------------------------------------------------

色彩も素晴らしかった。
気持ちと共に瞳の色まで変わっていた。

色で気持ちを暗示していたわけだが、実際人は色の暗示の中で生きている。脳は全てを記憶していて、子供は母親と繋がりたいので、母親と関係の深い色(母親カラー)を無意識に結びつけている。そして、衣食住の全てにおいて母親カラーを配することで、自分を脚本人生の中に閉じ込める。

気づかないから暗示効果が出るわけで、気づいてしまえばその束縛効果は薄れ、気持ちが出やすくなる。そして、母親から卒業したとき、全ての色が自分のものになる。

尚、脳は体験を通して、また、補色でものを見ている。
例えば田園で育った人は緑の水田が黄金色の穂になるのを見ているので、緑を見ながら黄色も見ている。
よく見る色の取り合わせも利用する―紅白、青白、赤緑、黒黄、等々。

補色とは正反対の色のことで、赤-緑、青-橙、黄-紫などが補色関係にあって互いを際立たせる。精肉売り場のショーケースで緑色のマットが敷いてあるのは、肉の赤みが強調されて鮮度が高く感じられるからだそうだ。
また、赤を長時間見つめた後に視線を移すとそこに緑色の残像補色が現れる。これを心理補色というそうだが、血を長時間見る外科手術では、この残像補色の影響を下げるために緑衣を着るとのこと。

こういう知識を知らなくても、皆さん無意識に母親カラーを取り入れている―人間て凄いなぁと思う。





脚本人生の周りは母親カラーで埋める-----------------------------------

さて、これまでの体験でわかってきたことは、人は「脳内母親の胎内」とも言うべき地域を選んで住んでいると言うこと。家のカラーはその家の母親が支配していると言うこと。

その母親の主観で見ると、自分を「おかえりなさい」と迎える玄関、寝室、及び浴室・トイレなどに「自分の母親カラー」(母方の母親カラー/子供から見ると祖母カラー)を配している。

自分の居場所である台所、及び居間・子供部屋など家人を自分の中に閉じ込めたい所は、「自分の母親カラー」+「自分カラー」を配している。まぁ、その家で育った子供にとっては、その全てが「母親カラー」となるわけだが。

(尚、以下は多様な側面を持つ事実を、一つの側面から切り取ったものに過ぎませんので、こじつけと思いながら読まれて構いません)





加奈子が子宮としてこもる町-----------------------------------

というわけで、まず注目したのは家の玄関。
緑の蔦に囲まれた、暗い緑の格子が重苦しい。まるで、閉ざされて朽ちた監獄のようだ。その隣に寄り添うようにちょこんとくっついている錆びた郵便受け。汚れた赤の中央の小さな枠の中に白い表札。

蔦葛のイメージは焦げ茶と緑。格子戸も焦げ茶と緑。
焦げ茶と緑は「加奈子の母親」カラーだろう。
つまり、植物や樹木、山は「加奈子の母親」。

寄り添うポストの赤は加奈子カラー。
そのお腹の部分が白―それは、母親に忠誠を尽くす加奈子の脚本カラーかもしれない。(紅白のセットも加奈子カラー。また、白の対置色である黒も加奈子カラー)

人は自分の頭と足元を母親カラーで固める(まぁ、衣類もです)が、
加奈子は緑の帽子を被っているし、琉花は赤い傘をさしていた。
また、琉花を囲む鯨の胎内は赤だった。

(先の記事で、デデが琉花の代理母と言ったのも、緑の帽子、焦げ茶の顔、白髪→代理祖母っぽいですが、頭が白髪=加奈子カラーだったからです)



--------------------------------
緑と赤を混ぜると光の場合は黄色、絵の具なら茶色になる。
つまり、黄色~茶色にかけての色は、加奈子にとって母親と合体した幸せカラー。

琉花の自転車は黄緑―合体カラー+加奈子の母カラーなので、この色からも、琉花が加奈子から見ると代理母と見なされていることが示唆される。



--------------------------------
緑の山を背景に紅白のハイビスカスが群生する様は、加奈子の楽園だろう(緑・焦げ茶、赤・白・黄がそろい踏み)。
入道雲をバックにしたヒマワリも、白、緑・焦げ茶、黄で幸せな風景。
…あぁ、この町は「脚本加奈子」にとって母親の胎内のような町なんだなと思う。

けれど、引きこもっているのでそれらを見ない。「人(母親以外)と繋がるな」「母親以外を見るな」という禁止令の中で生きているため、この“胎内のような町”からくる他の暗示が強く働くからだ。

モノが古びてくると茶けた感じになるが、「脚本加奈子」にとってそれは喜びの色なので、赤い郵便受けが古びるのもOK。
下記のものは全て自分と母親が一心同体の幸せのオブジェとなる。

白茶けたトタンに蔓延る蔦。
白茶けた堤防に這う蔦。
白茶けた橋の欄干を覆う蔦。
胎内のような緑の森の中―その先に見える白茶けた浜。
緑に囲まれた白茶けたコートと紅白のゴールポスト。
青緑色の海と白茶けた砂浜。

トタン、堤防、橋、ゴールポスト、コート、砂浜―固く乾いて動かないもの、あるいは土台となるものばかり…「動かずにそこに居る」―これが加奈子の脚本であり、加奈子もまた「母を見る目」の役をしてきたんだろう。その結果が現在の姿であり、このシンボル達のように心が渇いて動かなくなってしまった。

この胎内のような町の中で、加奈子は胎児のように引きこもっている(=人と繋がらない姿を脳内母親に見せている)。





父親・正明のカラー----------------------------------------------

父親・正明はくすんだ青い服を着ていたので、彼の母親カラーを青と見てみよう。正明は青い水槽に囲まれた世界に住んでいる。(琉花から見れば、青は父親カラーとなります)

水族館のエントランスが面白い。屋根を支える支柱の上部が青だが、上を覆う屋根の裏側の色が緑だ。つまり、父親も緑に覆われていて、加奈子の土俵の中にいる。


さて、母親一神教の人同士が何故結婚できるのかといえば、相手の中に自分の母親の要素を見ているからだ。夫にとっても妻にとっても、配偶者は自分の「代理母」だ。つまり、青は琉花にとっては父親カラー、正明にとっては母親カラーだが、加奈子にとっては「隠れ母親カラー」ということになる。

おさらい―
焦げ茶と緑 加奈子の母親カラー
赤白黒灰  加奈子カラー
黄(金)   加奈子の幸せカラー(母親との合体カラー)
青      正明カラー(加奈子の「隠れ母親カラー」)

この物語の舞台―全ての出来事の背景にあるのが、青空、白い入道雲、緑の山、青緑の海、白茶けた砂浜。

青空をバックにした入道雲も、母親に見られている加奈子。
緑の山&青緑の海の前にある白い砂浜も、母親の前の加奈子。
―まさに、加奈子が母親の世界に住んでいることが解る。

また、琉花にとっても、祖母&両親の色が揃っていて、ここが琉花の子宮。
そこが琉花を育む子宮となるのか、琉花を閉じ込める監獄となるのか―それは、琉花の意志と無意識次第だ。





母親・加奈子の心象風景~嵐-----------------------------

琉花が住む町は、自然が身近にある豊かな町だ。
それは色彩豊かな水槽の中にも通じる。

けれど、その豊かな自然に背を向けて、加奈子は引きこもっている。
その加奈子と空を飛ぶ琉花の関係を象徴するような場面があった。

嵐の中を自転車で抜ける場面だ。
白黒グレーのモノクロ画面が、そこが加奈子ワールドであることを示唆している。色彩豊かな町に居ても、加奈子の心理世界はモノクロの嵐ワールドなのだ。

琉花の頭上に走る白い稲光は、ピリピリしている加奈子。
琉花を監視するかのようにそびえる黒い木が「脚本加奈子」、まとわりついてくる緑がかった雨がかまってちゃんの「ストローク飢餓加奈子」だろう。

まとわりついてくる母親の中で子供は窒息しかかっている。これが、母親にまとわりつかれている子供の実体だ。見えない水圧の中で動いているため、他の子供と同じことができにくい。

その上、水圧に抗しながら動いているため、何をしていてもエネルギーの浪費が激しく疲れやすい。それどころか、寝ても起きても耐圧し続けているため常時漏電しているようなものなので、やがて外に出るエネルギーがなくなって引きこもっていく。

他の人と同じようにできないのも疲れやすいのも体質などではなく、母親を背負って歩いているから、あるいは見えない母親が生き霊のようにまとわりついているからだと思えば、何か気づくところがあるかもしれない。

まとわりつく雨を魚群に感じたのは、母親を感情なき魚のように感じているからだろう。だから、水槽を見たときにそれが自然豊かな自分の町を暗示し、中を泳ぐ巨大な二つの魚影―豊かな色彩の中で唯一のモノクロ―を両親と感じてしまったのだろう。

そして、その中でただ一人人間であり、そこを自在に泳ぐ“海”に、琉花は自分を投影したのかもしれない。





子供が嵐の中に居続ける理由-----------------------------

けれど、嵐を抜けて解ったはずだ。
自分は本来自由で、どこにでも行けるのだと。
そして、抜け出たときに絡みついてくるものは何もないことを。

上で母親が子供にまとわりついている、と書いたが、それは「母親ワールド」の中にいるときに擬似的にそう感じていること。本当は、誰もが琉花のように抜け出ることができるのに、なぜ子供達はその嵐の領域から出ないのか?

いれば、嵐の中で雨風に打たれ続け、体は冷えて重くなり、歩くだけで精一杯の状態になり、生命エネルギーが奪われていくだけ。にもかかわらず、なぜその世界から出ようとしないのか?

なぜなら、その嵐がお母さんだからだ。

そこから出てしまうと絡みついてくるものが無くなってしまう。無くなれば、お母さんが自分にまとわりついてくるという虚構さえ作れなくなってしまう。

外に出たときに、「自分と母親は関係が無かった」「関係性がゼロだった」と解ってしまうことが、子供にとっては絶望なのだ。それが無意識の最奥で解っているから、出ることは最初から選択肢にない。


とはいえ、母親は自分の脳内母に見せるために、そこで雨を降らせ続けているだけ。雨は子供にまとわりつくために降っているのではない。完全に自己完結した世界だから、どうあがいても関係性は作れない。

それが許せないのは子供の方なのだ。なんとしてでも、自分と母親は関係があると思い込みたい。その手応えを感じ、虚構を紡げるとすれば、あの嵐の中で雨風に打たれる以外にないのだ。





自己洗脳後の世界にリアリティを付与する演出感情-----------------

けれど、自ら選んでそこに居ると気づいてしまうと、「母親がまとわりついてくること」も「自分が動けない」ことも全て自作自演とわかり、結局母親と自分は無関係だったことまで解ってしまうことになるので、自分がそれに気づかないよう自己洗脳する。

現実を脳が都合よく取捨選択して勝手に解釈していけば、自己洗脳はたやすい。そのようにして「母親が自分をつかまえている」という自らが作った虚構界を常に維持していく。

その虚構界に入り込んでしまうと、息苦しい、体が重い、顔を上げられない、足を取られる、動くのが面倒だ、冷たくて無感覚になる、辛い、苦しい…などの感覚や感情が湧いてくる。これらの感覚や感情が虚構にリアリティを与える。

そのリアリティは、「お母さんにまとわりつかれて苦しい」という虚構をリアル化することで、自ら選んでそこに居ることに気づかせないために必要なのだ。

そして、これらの感情を感じている時に“お母さんのとの絆(関係あり)”を感じることができるので、今度はその感覚を維持すべく、嵐の状況を自分の周りに作り続けていく―それをすることが人生となる。こうして、我知らず虚構(脚本)を現実化する人生を歩いている。


さて、そもそも母親は自分など眼中になかった、もう自由になっていいと解ったとしよう。けれど子供は健気。そこに残されている母親はそれで幸せなのかという、後ろ髪を引かれる思いが残る。

その回答が次に書く場面に現れていた。





光に消えた黒い魚影と闇に躍り出た黒い魚影-----------------------------

明るく豊かな色彩の中で黒い魚影(ジンベエ)は消えたが、
夜の大都会の前に黒い魚影(ザトウクジラ)は躍り出た。

大都会は黒というよりも深い焦げ茶地に茶、黄、金、虚空に漂っているのは緑。つまり、この大都会は「加奈子の母親」ワールドであり、その中で輝く「脚本加奈子」(黄色が輝けば金となります)。

そこに躍り出てきた十字架のようなクジラ(黒)は「加奈子」なのだろう。


光りの中に消えたジンベエは
暗闇の中にザトウとなって躍り出た―

光りの中に消えたジンベエ=現実界から消えた加奈子
暗闇の中に躍り出たザトウ=虚構界(脚本人生)で絶好調の加奈子

現実の中で加奈子は魂の抜けた人形のようでそこに実体を感じられないが、その姿は無意識に脳内母親に見せている姿。つまり、無意識の脚本世界で加奈子は絶好調に踊っている―まさにこのことを映像は伝えていた。お見事というしかない。


このように、外からどう見えようとも、虚構界に住む人々は皆脚本絶好調で生きている。例えば「我慢と苦労」の脚本で生きている人は、望んでそれをしていたら我慢にも苦労にもならないので、望まないことを押しつけられる状況に自分を置かなければならない。

脚本はそういう場や人を的確に選び、その中から代理母(ターゲット)を採用し(自分の脚本舞台上に上げ)、自分が「我慢と苦労」を見せる“見せ場”ができるよう状況を落とし込んでいく。

その状況の中で表層意識が嘆き苦しむとき、「我慢と苦労」の脚本はリアリティを与えられて絶好調の喜びの中にある。このように、人は脚本を現実に落とし込んで生きている。





赤潮(表層+無意識第一層)と夜光虫(無意識第二層)---------

整理すれば、
加奈子の表層は酒に飲まれて引きこもっている。
加奈子の無意識第一層は、涙と怒りの嵐。
加奈子の無意識第二層は、あの躍り上がるザトウ。

表層は、舞台上で迫真の演技中。
無意識第一層は、その演技にリアリティを与える演出感情。
無意識第二層は、その演出(状況)を仕組み、成功させて喜ぶ脚本。


これは、「赤潮」と「夜光虫」にも現れている。
昼間は、汚らしい赤潮として漂っている。(表層+無意識第一層)
が、夜になると、神秘的に青く光る。(無意識第二層)

表層で見せている赤(加奈子カラー)の本質は、
闇の中で光り輝く青(隠れ加奈子カラー)だ。

真っ赤に燃える入道雲の上に、青い星空が広がっていたね。
見えている風景の背後には星空があると言うこと。


お母さんはなんの心配もいらない。
むしろ、観客(琉花)がいる間はハッスルするだけ。なぜなら、自分のことを心配したり、反発したりする子供が居るということ自体が、自分が脚本劇場を生きていることの逆証明になるからだ。

だから、心置きなく、お母さんを卒業していい。





白い化石のような古代鮫----------------------------------------------

黒い魚影が出たので、白い魚影も挙げておこう。
琉花が、海や空を通して深海で“見た”のは、白い化石のような古代鮫だった。

第一部で書いたが、琉花が自分を取り戻せたのは、目を背けずに母親を見る意志を持ったからだ。

その母親は自分の記憶の中に居る。記憶の中から立ち現れる光景をエンプティチェアで再現し、次にその母子のやり取りを当時出てこなかった感情を表現して実演することによって、母親の実体を体で知ることになる。

深海に潜ったことは、記憶の海の深部に潜ったと言ってもいいだろう。そこで琉花は、加奈子の脚本(白は加奈子の脚本カラー)と出会うことになる。
それはトゲトゲしい顔つきの生きた化石のようなサメだった。

このサメが、虚構を維持するためにネタを探し回り、脚本を現実化する方へと本人を落とし込んでいく。そして、クライマックスの“見せ場”に来たときに、ザトウとなって躍り上がるのだ。





嫌悪する虫は親の投影----------------------------------------------

教室は、緑の黒板に焦げ茶の机―琉花が押しのけた机は加奈子の母親だった。「お母さんから離れろ!」と、亡霊(加奈子の母親)に言っていたのかもしれない。

けれど、第二部で見たとおり、琉花にとってそれは加奈子カラーでもあるので、「私にまとわりつくな!」とも言っている。宇宙はフラクタルだ。

その椅子の真ん中で寝転ぶ様は、魚群を囲む鯨の泡の包囲網とリンクする。(宇宙はフラクタルだw)


坂を駆け下りていくが、「通り抜けできません」という黄色、「止まれ」の赤白の信号―足を止めようとする“加奈子”が次々に出てくる。

肩に止まった黒白のカミキリムシ。不意にやってきて、肩を掴まえてこっちを向けとばかりにギィギィ文句言うカミキリムシも“加奈子”のメタファ。

そのカミキリムシをにらみ返したね。
まだ反骨があるが、辿り着いたのは、蔦が覆う白茶けた橋の下の影の中(=“加奈子”の胎内)だった。


尚、ここで見られるとおり、皆さん自分の親の特徴を的確に捉えて、無意識のうちにそれを嫌悪したり、怖れたり、逆にそれを使って遊んだりしている。
それは、鯨のように黒くて大きなものばかりではなく、蚊、蠅、蜂、蛾、蝙蝠、毛虫、ナメクジ、ゴキブリ、蜘蛛、蛇、ネズミ、ウサギ、犬…いろんなものがメタファになっている。

自分が毛嫌いしているものがあれば、それが自分の親にどこか似ていないか観察してみるといいかも。





片方の天国は片方の地獄----------------------------------------------

お母さんが変われるチャンスがあるとすれば、お母さんのインナーチャイルドが外在化した存在といってもいい子供が、気持ちのままに飛び出していくときだ。その姿が、お母さんのインナーチャイルドを揺さぶるだろう。

けれど、それを見てお母さんが気持ちの世界に行くのか行かないのか、それはお母さんの選択だ。連れて行きたい気持ちは心からよく分かるが、水の中の生き物を外に連れ出すことはできない。

たとえば、「我慢と苦労」の脚本で生きている人にとって、その“見せ場”がないことは脳内母親との縁が切れる地獄だ。不幸を目指す人は全ての不幸が糧になるので負けがない。負けがないオールマイティの世界から出る意味はどこにも無い。

不幸を目指す人と幸せを目指す人のベクトルは真逆。
互いに片方の天国が片方の地獄となる。
同じ時空では生きていけないことが解るだろう。



けれど、自分は変われた―なら、お母さんだって変われるはず、と思うのはエゴだ。変われたのは、何らかの「受け止められ体験」をしていたから。その時に種が蒔かれ、知らず背骨(内骨格)ができていた。

そのチャンスがなかった人は、甲羅(外骨格)をまとって生きるしかない。自分が甲羅を脱ぎ捨てられたのは、内骨格ができていたからだが、だからといって、親の甲羅を引っぺがそうとすれば死んでしまうだけ。親も死にたくないので、壮絶なバトルになるだけだ。

水棲生物は陸上では生きていけないことを真に理解して欲しい。
そして、水棲生物はそこに居るからこそ幸せであることも―





真っ赤なカニの意味----------------------------------------------

最後に真っ赤なカニが出てきた。
あれが加奈子なんだなぁ、と思った。

加奈子は、幽霊から形ある生き物になった。
魚から陸上に上がれる甲殻類(カニ)になった。

これは、琉花の意識が自分から去ったと感じたことによる変化だろう。
けれど、そこからさらに人になれるのかどうか、それは加奈子の問題だ。
それを、人間のお母さんになってくれというのは、子供のエゴだ。

琉花、あなたはよく頑張った。

幽霊をカニにしただけでも、本当に凄いことをしたんだよ。
子供として親にしてあげられる精一杯のことをした。

よくやったと思う。



…子供の健気さに  涙があふれる



もう十分。
もう、自由になっていい。

それぞれが形ある別個の存在となった今、あなたを邪魔するものは居ない。
そして、カニにはカニの在り方と幸せがある。それを邪魔する権利もあなたにはない。

それぞれの在り方を認めてあげること―それが、本当の愛でしょう?





「空の椅子」に座っている人-------------------------------------

エンディング―「海の幽霊」に合わせて流れるのは、砂浜に置かれた「椅子」の映像。

家の中に、空の椅子、一人がけのソファ、椅子のごときオブジェなどが置かれていることがある。置かれている位置や配色、どのように使われているのかを見れば、その椅子が何を意味しているのかが見えてくる。

日常の光景の中の記憶なので、話される方はさほど気にしていなかったりするけれど、その意味を知って愕然としたり腑に落ちたり…。



この椅子は海の方を向いている。
白茶けた椅子は、自分と母親が合体した、加奈子にとっての「幸せの椅子」。
その椅子が、青空と入道雲を見ている。青空(母親)に見守られる入道雲(加奈子)…「幸せの風景」だ。

「幸せの椅子」が見ている「幸せの風景」

全てを許すおおらかな青空(母親)と
モクモクとどこまでも高く伸びやかに躍動する入道雲(娘)。

誰しもが望む幸せの光景―



ささやかでいい、
その一瞬が欲しいためだけに、
そこ(椅子)に居続け、
こちらを振り向かない母親を見続けた。

その間に自分に振り向かれない「小さいちゃん」はいなくなり、
実体が
消えた…



やがて第一幕の帳がおり、ホンモノの赤(夕焼け)と青(星空)に包まれ、新たな夜明けを迎える―椅子の上には、赤いハイビスカスの花が置かれていた。

映画のラストの赤いカニに重なる。

透明人間だった加奈子は、琉花、海、空のおかげで実体を取り戻した。
けれど…


色彩を通して浮かび上がってきたのは、
映画には描かれていない加奈子の物語。

漫画も読んでいないので具体的には知らないけれど、
心象風景をたどっている内に
涙が

あふれた。





波に洗われる小さな岩-------------------------------------

砂に埋もれている波打ち際の小さな岩。

焦げ茶と緑の岩(加奈子の母親)。
白茶けた砂(加奈子)に囲まれている。
洗う波は青空を写して青と白(自分と加奈子)。

あなたは、ずっとそこに居たんだね。
だから、加奈子もそこから動けなかった。

あなたは、自己完結してそこに居る。
だから、加奈子は最初から自由だった(本当はね)。

あなたは、嵐だろうが凪だろうが周りとは無関係。
だから、悔しい加奈子は執着した。

あなたは、ただ そこに 居ただけ
すべては、加奈子の独り芝居の物語。















【米津玄師 「海の幽霊」】




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