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「長いお別れ」~父のこと 5.胎内回帰と後頭部

2019/07/11(Thu) Category : 二世帯同居・介護
【「長いお別れ」~父のこと】

木工せずゴロ寝する理由------------------------------------------

意識を向ける“対象”が消える→心置きなく自分の好きなことができる、というのが本来の姿でしょう。私は、毎年のように父を彫刻、木工の世界に誘おうとしました。全てから解放されて今こそ自由なときなのです。親に認められんとしてなすべきことは全てしました。あと残るのは、唯一「小さいちゃん」がやりたいことだけ―それが木工でしょう。

けれど、あの手この手で馬を川縁まで連れて行くのですが、ついに馬は水を飲もうとはしませんでした。これほど、「大工にするつもりはない」という母親の一言(禁止令)は杭のように刺さっている。いえ、母親との唯一の絆としてしがみついているのです。

そして、デイサービスに行く日以外はゴロゴロと寝ているようになりました。ゴロゴロ寝るのは3つの意味がありました。
1つは、色んな場所で寝る―これは自分の痕跡残しです。犬が縄張りに小便をかけて回るようなもの。イメージでは体臭をこすりつけるとでもいいましょうか…あり得ない所で寝ていたこともありました。
また、自分が寝た所=自分ですので、そこを人が歩くことで、人と繋がっている、あるいは人から認知されている感じになります。

2つは、視線を得るためです。異様な所で寝ているとビックリされます。そう想像する段階で、既に仮想ストロークを得ています。

最後は、父の幼児期の頃の再現です。昔の家には倉があり、その2階で母親が機を織っており、その周りでゴロゴロしていたそうですが、つまり、ゴロゴロして居るときが唯一母親を独占できているときだったわけです。なので、父の虚構界では、ゴロゴロしているときは母・ツタの傍に居るときなのです。

実際、ダイニングのベンチのような横長の椅子の上で、今にも落ちそうに寝ていたのは驚きでした。その向かいは私の椅子があり、わざわざその椅子に自分の椅子をくっつけて置いてありました。代理ツタに寄り添い、代理ツタの目の前で寝ていたわけです。


老人は子供返りすると言いますが、子供をちゃんと経験してきた人はかような返り方はしないでしょう。この最終コーナーにおいても父は小さいちゃんを封じ込めたまま、脳内ツタだけを見続けていたのでした。





目と耳を閉じて夢現で生きる----------------------------------------------

意識を向ける“対象”が消えていく中で意識をそらし続けるためには、自分自身に意識を向けるネタを作ればいい。それが、「脚本を支えるストローク飢餓行動」で書いたことです。

耳が遠くなるともの忘れや認知症が進むと言われていますが、父の場合は因果が逆です。

そもそも脚本で生きている人にとっての現実とは、脚本ストーリーに落とし込むために利用するものでしかありません。だから、利用したいときに利用したい所だけを見て、不都合な部分は無視するか記憶から消す、あるいは都合よく改ざんします。

そうしやすいように、事実を確認しない、無視する、相手の話や気持ちを聞かない、理解しようとしない―のが、生きる基本形ですので、目が見えにくい、耳が聞こえにくいというのは、彼らにとってメリットでしかありません。ちゃんと把握しなかったことを目や耳のせいにできるからです。なので、耳目にハッキリと確認させる対策をととっても、それを無効化します。

例えば、時間関連のトラブルはよくありましたので、腕時計をデジタルに替えて一目見て分かるようにしたことがありますが、間もなくその時計を失くしました。
また、真夜中に「夕方だ」「明け方だ」と言い張って外に出ようとしたことが何度かありました。外を見せても事実を見ようとしませんし、色々ねじ曲げますので、父の部屋を出るすぐ上の壁に大きなアナログ時計を付けました。イヤでも目に入りますが、それさえも見ません。

補聴器は、過去に父自ら数十万円もするものを買って、何度か無くしたことがあり、今度は集音器に変えましたが、付けるのをとても嫌がりました。しばらく攻防がありましたが、結局壊してしまいました。

つまり、見える・聞こえることが不都合だから壊しているわけです。日常を共にしてしてわかることは、実は聞こえているんだなぁ、ということ。
分かりたくない時に聞こえないふりで無反応、人を近寄らせたい場合は聞こえないふりして頭を近づけてきますが、自分の都合で聞こえる程度を使い分けていることがバレバレです。

けれど虚実ない交ぜの人生をずっと送っていますので、その都度変わることになんの恥もありません。現実に関わりなく、その瞬間自分が言っていることが常に“本当”なのです。たとえそれが、夢や白昼夢であっても―脚本人生の行き着く先は夢うつつの境がない世界…

認知症に向かう父を見ていて思うのは、機能低下で認知症になるのではなく、そもそも都合よく事実を利用するために事実を確認しないという生き方が認知症を招いており、また認知症を目指すために機能低下させているということです。





脚本人間の“存在の本体”は「脳」------------------------------

耳が聞こえないメリットは他にもあります。

1つは、大声を出してもらえること。声の圧を感じることで、自分の存在を確認できます。
もう一つは、相手に近づくことができること。聞こえないからと近寄ることで、何らかの相手の反応を引き出すことができ、それも自己確認に使えます。

そして、近づくときに目の前に頭をぬっと突き出してきます。後頭部を見せたがるんですね。その理由の1つは、自分は見られる存在であって見る存在にはなりたくないので、目を合わせたくないからです。

もう一つは、脚本(虚構)で生きている人にとっての存在の本体は「脳」(思考)だから、後頭部を見せることが自分を見せることになっているのでしょう。

何しろ自分が生きる世界の全てを作りだしているのが「脳」ですから、「脳」がなければ生きられません(虚構を維持できません)。

父が脳に支配され、脳に傅いて生きていることは、年老いてからの歩き方に現れています。頭が先行し、足は意志なく引きずられるようについて行っています。首から下に存在感が無く、中空を首が飛んでいる感じです。(ICは完全に封じられていますね)

父が作った仏頭―あれも、再度自分に楔を打ち込むために作ったのかもしれません。会社が倒産したときに分岐点が訪れ、彫刻をやりたいチャイルドが顔を出し、その衝動を脚本が利用して「脚本の姿」を彫らせた―このようにチャイルドの衝動を脚本が利用することはよくあります。

できたのは目を閉じて静かに微笑んでいる仏頭でした。それが、まるでさらし首のように板の上に固定されています。それが、父の脚本世界なのでしょう。


ところで、こういう作り物は、その人の現状を現すものになるなぁというのを色んなケースで感じたことがありますが、あるとき、その仏頭の後頭部が茶色のまだら染みになっていて、まるであちこちにゴミがたまっていく脳のようだと思いました。

何故そうなったのか不明ですが、父が汚い手で触り、それが油染みとなっていったのかもしれません。サンドペーパーでこすって綺麗にするよう話し、いくらか綺麗になりましたが、また元に戻っていきました。









【Aimer 「STAND-ALONE」】



<続く>



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