プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


中尾相談室のカウンセリング概要
カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
09 ≪│2019/10│≫ 11
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

「長いお別れ」 4.芙美の人生脚本

2019/07/20(Sat) Category : 映画
【「長いお別れ」に見る家族問題】

長女は自分を見る「目」、次女は自分の「手足」---------------------

さて、以下は、相談事例を元に構成したあくまで架空の物語。

母親と繋がれなかった女性(曜子)は、その母親をかばうために、決して繋がれない男性(昇平)を選びます。もし文句を言って昇平が変わるようであれば、実母に何故それができなかったのかという絶望に繋がりますから、文句を言っても変われないことを見極めて結婚するわけです。

そして、安心して(--;)、繋がれないことに文句を言う代償行為(ガス抜き)をしつつ、それを子供に聞かせることで子を父親から遠ざけることができます。


母親と繋がれなかった曜子が欲しいものが、もう一つあります。それは自分を見守る母親です。が、気持ちを封じて生きている曜子にとっての“母親”とは、自分という存在を見る「目」のことです。

なので、「目」の役の子は自分から切り離し、自分を常に意識させるように持って行きます。いつも心配事を言っていれば、子は母親を気にするようになります。その役を担わせたのが、長女・麻里でした。

(ここで留意して欲しいのは、曜子は単純に「目」が欲しいだけということ。昨日麻里の脚本を見ましたが、麻里は曜子と関わりたいために心配ネタを提供する脚本(不幸の脚本)を作っていましたが、曜子は麻里が不幸になることを望んでいるわけではないということです。
というか、子供がどうであろうが曜子の眼中にはありません。その眼中に入るには心配ネタを提供するしかない、と勝手に思い込んでいるのは子供の方だということにお気づき下さい。脚本は全て「思い込み」です。)

次女は、都合よく使える自分の手足(自分の延長)としたいので、自律を妨げる育て方をしました。それがお金を与えるということです。





母親にお金で雇われている次女・芙美------------------------------------

次女は、お金というルートで母親と繋がれることが分かりますから、そのルートは母親のために死守しなければなりません。自分で稼げるようになったら、お母さんからお金をもらえない=お母さんとの繋がりが断たれる、という恐怖がありますから、お金をちゃんと手に入れることができなくなっていきます。

言い換えると、子に無闇にお金を与える母親は「私があなたを雇っているから他の人に雇われるな」と言っているようなもの。ここから、「自分で稼げるようになってはいけない」「自立してはいけない」という禁止令が出来、金が貯まると散在したり、職場で認められると失敗して見せたり、成功しそうになると転職したり、正社員は断ったりすることになります。

また、「母親以外と繋がるな」の原点は「自分と繋がるな」ですから、自分が本当にしたいことは仕事に選びません。と申しますか、本当にしたいことを選択できない人生は苦しすぎるので、小学生の間に何らかのアクシデントなどでそこに向かう夢を絶ちきるか、はなから向かないと思い込むか、全く記憶から消すか…色々なことをして人生から消し去ります。

本当の思いを捨ててウソの夢にすげ替えたりするのは、上記のようにそれを選べないことが辛いからですが、それ以外に本当の思いがバレたら母親にその道を抹殺される恐怖や、それを無視されることで母親にガッカリしたくないという思いもあります。

例えば、映画の始まりで店の開業準備をしている大事なときに、母親の電話一本で招集されたとき、もしここで母親が娘の状況を訊いてきたり、事情を知って応援したりということがあれば、娘は千人力となって事業を達成していくでしょう。

が、状況も訊かれずに来いと言われることは、「私はあなたの人生など無視しているよ」「自分の人生は放置して常に私の手足となって動きなさい」と言われているようなもの。すると、脚本芙美はここが見せ場とばかりに駆けつけますが、その裏で落胆・絶望・悲しみの中でやる気は削がれ、駄目になる道筋が引かれているわけです。

ですから、そうならないように、本当の夢は地に埋めて守り、完璧に守るためにその埋めたことさえ忘れて生きているとも言えるわけですね。

そして、その大切なものを無くしたことにさえ気づかないまま人生を送っていて、カウンセリングが進んで、「本当は私、これをしたかったんだ」「これが好きだったんだ」と涙される方がなんと多いことか。そういう方々が自分の気持ちと共に全力で生きていたら、どれほど素晴らしい地球になることか―もったいないもったいない、と常に思います。





脚本が仕掛ける一連のストーリー---------------------------------

また、母親以外と繋がってはいけませんので、結婚もしません。けれど、好きで一人でいるのか、母親のために一人でいるのかの違いを(無意識に)分からせたい場合、不倫など絶対に繋がれない相手を選んで挫折します。

これによって、「私は繋がりたいけど、お母さんのために繋がらないんだよ」と証明することができます。つまり、この一連のプロセスの全てが脚本による演出ということです。(←こういう長期にわたる仕掛けを脚本はやります)

バツイチの旧友と出会い、展開がある兆しを見せますが、別れた親子の光景を見て、やはり親子には叶わないと自ら身を引いています。ここも異なる展開があったのではと思いますが、芙美の脚本は引き際となるきっかけを探していたはずですので、脚本的に予定調和だったのでしょう。

「私、またダメになっちゃった。繋がらないって辛いね」と泣く場面が、脚本ちゃん絶好調の場面です。この言葉を「脳内曜子」に聞かせたかった―実は、ここがゴールです。

もちろん本当に辛いのですが、それは脚本舞台上のホンモノ感情です。舞台で迫真の演技をするときにホンモノの涙が出ますが、舞台を下りればそれはニセモノです。それと同じように、この辛さ悲しさも演出感情であり、この演出感情が虚構にリアリティを与えていくわけですね。





母親の回りを回り続けている孤独な衛星---------------------------------

こうして常に独り身にして身軽にしておいて、母親の命令があれば「いさ鎌倉」といつでも駆けつけることができる態勢を維持しているわけです。

父の友人の葬儀に芙美がお供するなど、おかしいでしょう。何故そこに妻である曜子がいない? 完全に曜子と一心同体、別の存在ではなく、曜子の体の一部として生きていることが分かります。

また、曜子が網膜剝離で入院した時に、芙美が父の介護を引き受けましたね。これは致し方ない面もあるように思えますが、あれほど認知症が進むと要介護2か3になっていたでしょう。されば、ショートステイ利用やヘルパーを部分的に頼むなどできたのではないでしょうか。
けれど、手足の役割の“見せ場”ですから、かなり全面的に請け負ったのではないかと思います。

このように、常に母親のことを気にしながら、母親の回りをグルグル回り続けている孤独な衛星―それが芙美の脚本でした。







【光岡昌美 「Doll」】






<続く>



関連記事
 
Comment0  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
アルバム(flickr)
アルバム(フォト蔵)
YouTube

・写真はアルバムページに飛ぶようにしてあります。
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
QRコード
 
QRコード