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「長いお別れ」 8.痴呆症になって父親になった昇平

2019/07/24(Wed) Category : 映画
【「長いお別れ」に見る家族問題】

昇平が痴呆症になったことによる福音-----------------------------------

さて、昇平が認知症になったことは、娘達にとってある意味福音でもありました。それは「話をしても分からない」存在になったことで、逆に話ができるようになったことです。

もしこれが寝たきりになっても話が分かる存在であったとすれば、娘達はそれぞれの「脳内曜子」に監視されて近づけなかったでしょう。けれど、「話をしても分からない」ことが公認されたということは、話をしても繋がれないわけですから、「曜子以外と繋がるな」という禁止令に抵触しないわけです。

だから逆に、父親に胸の内をぶちまける環境が整ったということです。
娘達はその機を逃しませんでした。

痴呆症になって4年目、芙美がついに昇平に向かって「繋がらないって辛いね」と、弱音を吐きましたね。これはいみじくも、「繋がるなという脚本で生きるのは辛い」と吐露したようなものでした。

何故それが言えたか。それは、その2年前にキッチンカーをやろうとしていたときに、昇平が車を見て「立派だ!」と褒め、さらに手伝ってくれたからでした。
この「立派だ!」は嬉しかっただろうなぁとつくづく思います。まるごとの自分を受け止めてもらった―これが初めての「受け止められ体験」だったかもしれません。

また、その後の手伝いは、昇平は先生の頃の習い性で行動していただけですが、それでも曜子から無意識に足を引っ張られている芙美にとっては、もぅ一人の親が直接背を押してくれる大きな力となったのです。(とはいえ、いわゆる「IPの逆襲」に遭って頓挫していくわけですが)

いずれにせよ、言えたということはとても大事で、先に述べたようにこの場面こそが脚本のクライマックスであったとしても、同時にこの言葉をインナーチャイルドの「ふみちゃん」も聴いているわけです。
この後どちらに転ぶかは本人次第。





芙美の「受け止められ体験」------------------------------------------

この後の昇平との意味不明な言葉の掛け合いが面白かったし、大きな意味がありました。
意味不明だけど同じ言葉を繰り返して、何かわかんないけどシンクロしている感じ。それが得も言われぬ喜びになります。

私も1歳半の孫との会話で同じ体験をしているのでよくわかります。相槌を打ちながら黙って聞いていると、一生懸命しゃべってきます。わかるときもありますが、大方わかんない。けれど、そのわかんない言葉を繰り返したり、同じトーンで言ってみたり、すると孫が笑ったり…ともかくこの時間は、ただ喜びの中にあり、充実感がある―そう、楽しいのです。

それに引き換え、単なる情報交換に過ぎないような大人の会話を聞いていると、空虚感しかありません。コミュニケーションとは言葉ではないし、「意思疎通」という単純なものでもないとつくづく思います。

魂と魂が寄り添おうとするのがコミュニケーションなのでしょう。

そういう意味で、芙美の脚本がクライマックスを迎えた後に昇平が魂のコミュニケーションに持ち込みました。言葉を越えた交流がそこには確かにあり、この時互いに「繋がるな」という禁止令を乗り越えているのです。

あぁ、これも芙美にとっての「受け止められ体験」になるなぁと思いました。この時芙美に蒔かれた種は、我知らず育ち、いつしか幹となり、そうなったある日、ふと自分の人生はこれでいいのか迷うときが来るでしょう。そういうときに、自分を深く見つめ直すためにカウンセリングに来られるわけです。





麻里の「受け止められ体験」-------------------------------------------

同じことは麻里にも言えました。
上記の2年後、「繋がらない脚本」を懸命に維持している麻里も、ついに限界を迎えます。

そもそも娘達は、母親のために「繋がらない脚本」を維持していたわけで、その一角が崩れた(弱音を吐いた)ということは、残る一角に重圧がかかるわけで、一人で支えきれなくなるわけです。

もっと正確に言うと、曜子はオールマイティの世界にいて自己完結しているので、娘達がどうあっても無関係に変わることのない佇まいを見せているでしょう。繰り返しますが、母親と繋がりたい子供達が、勝手に「母親以外と繋がらない脚本」を背負ってきたわけです。

まぁいずれにせよ、一人の変化が連鎖しました。
こみ上げてくる感情を口を真一文字に結んでこらえ、けれど腹の底から漏れ出してくる感情(声)の凄まじさとその様子には涙しました。

そして、麻里が夫と共に学校に呼び出された面談時、ついにチャイルド大爆発。「話し合いたい、必要とされたい、キスもしたい!」と叫ぶや立ち上がり、夫の顔をグイとつかんでキスをしました。なすすべなく、ただ茫然自失の夫(笑)。

この後、入院中の昇平とパソコン中継で話をするときが凄かった。なんと、「お父さんと2人にして」と、曜子を遠ざけたのです。わお、革命が起こった―そう、思いました(まぁ、もう一つの側面があるのですが…)。

「私以外と繋がるな」と君臨していた絶対君主を排除して、その目の前で堂々と父親と繋がって見せたのです。とはいえ、繋がれないことが公認されているからですが、それでも大きな一歩でした。

そして、「お父さん、私どうしたらいい?」と泣き崩れます。
この場面こそ、「お母さんでは話にならない」ことを暗に伝えていました。曜子に話をすれば、その応答に空しくガッカリすることが予想できるからこそ、これ以上絶望したくないために我慢するわけです。しかも父親には接近禁止令が出ているので一人で抱え込むしかなかったわけです。

けれど限界を超え、大爆発して人と繋がりたいという「小さいちゃん」の本音を知ることができました。
けれど、「諦めないちゃん」(←「脳内母親」と「脚本ちゃん」を作った大元)は最後まで母親に諦めないから「諦めないちゃん」と私は呼んでいるのであって、そう簡単に諦めませんから、「小さいちゃん」と「諦めないちゃん」の狭間に立って身動きが取れず、「私どうしたらいい?」と苦しむわけです。

しかも、お母さんに絶望したくないから排除した面もあって、現実の曜子に接しなければ「脳内曜子」は温存されるわけで、実際「お父さんとお母さんみたいになりたかった。」と叫んでいましたから、虚構界は健在です。

昇平は、画面の向こうからただ黙ってこちらを見続けました。麻里が泣いて、泣いて、泣き疲れて眠るまで―これが、麻里にとっての「受け止められ体験」になるなぁと思いました。





崇の「受け止められ体験」-------------------------------------------

そこに帰ってきた息子の崇。
パソコンの前で眠りこけている母親。ふと見ると画面にはおじいちゃんが映っています。身じろぎもしないので、静止画? と思いきや、いつかのように片手を挙げてみせると、おじいちゃんも片手を挙げて答えてくれました。

これだよなー。
また1歳半の孫の話ですが、孫が来ると私はずっと眺めています。見飽きないし、見ていたいからです。そして、孫がやっていることを真似ます(ミラーリング)。すると、それに気づいた孫の顔の嬉しそうなこと。

こちらが真似るとどんどん変化し、こちらが変化を付けると孫もそれに応じてきて、まるで二人で協力して作り上げる創作ダンスのごとしです。
「真似ぶ→学ぶ→創造」のプロセスが凝縮されていて、とても楽しい。

幼児は、ノンバーバルコミュニケーションがこんなにも豊かだと気づかせてくれる存在です。

崇が手を挙げるとおじいちゃんも手を挙げる―これでいいんです。崇は、おじいちゃんとの間で2回これを経験しました。

これが、崇にとっての「受け止められ体験」になるでしょう。





二人のチャイルドを救った父親---------------------------------------

父親の役割はただ1つ、母子分離すること(母と子の精神的へその緒を切ること)です。それは、社会人代表である父親が、母親の胎内世界から子供を解放して現実界に送り出すことです。他に何ができなくても、これさえできれば立派な父親だと私は思っています(それがとても困難だからです)。

「受け止められ体験」は、その母子分離の種を蒔いたということ。
自らも母親一神教で母子分離できていない身でありながら、痴呆症になって後、昇平は見事に父親になったと思いました。


昇平が自分のインナーチャイルドと繋がったとき=昇平が自分のインナーチャイルドを救ったとき、親のインナーチャイルドが外在化した存在であるかのような子供達(娘2人)も救われていたのです。

そのことを時空を超えて神が娘達に教えてくれました。
認知症になった昇平の前に現れた二人の女の子―あぁ神の使いだなと感じました。2人は、当時救われた姉妹のメタファ。

昇平の魂は、自分は闇に沈んでいくけれど、子供達はブラックホールである母親の引力圏から脱出させてやりたかったのでしょう。
そして、女の子二人の喜ぶ顔を見て、救ってやれた、父親としての役割を果たしたと、心からホッとした安堵の笑顔だったのかもしれません。

そして、その光景を娘達が見、母親の語るストーリーとの違和感を感じることで、そこから自分たちの囚われている世界に気づけよ、と神がチャンスをくれたように思いました。














【白池悠宙(梶裕貴) 「Dreamers!」】




<続く>



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