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「長いお別れ」 10.果てない波

2019/07/26(Fri) Category : 映画
【「長いお別れ」に見る家族問題】

三角帽子の意味-------------------------------------------------

ところで、映画の最初のイベントとなる昇平の誕生日と、最後のイベントとなる意識無き昇平の誕生日―その両方でパーティグッズの三角帽子が出てきます。しかも4人全員の頭にかぶせるのです。これがなんとも奇異でした。

お祭り騒ぎをするクリスマスパーティーなんかならまだしも、誕生会だよ?
その人に、「生まれてきてくれてありがとう」と伝える日だよ?
だから、素の自分を祝って欲しいよね。

これを提案したのは昇平だといいます。
色んなことが想起されます。

「子の親」になりたくない親や、子を自分の「代理母」にしたい親は、子供の誕生日を祝いません。誕生会など無かった方も沢山いらっしゃいます。

あるいは、祝うけれど誕生日当日ではない休日だったり、季節の節句と抱き合わせだったり、他の兄弟と抱き合わせだったり、純粋に自分だけのお祝いにはなっていなかったりします。

また、自分の誕生日の日なんだけれど、食事がまずかったり、子供が好きそうな料理じゃなかったり、ケーキが大人向けだったり、常に皆バラバラのケーキでホールケーキではなかったり、プレゼントがなかったり、逆にある意図があるプレゼントだったり…。

我が子をちゃんとお祝いできない親のなんと多いことか…(チコちゃん風)


さて、帽子を被るという本質的な意味は、頭にそれを載せることで違うキャラになるということ。もしかすると、現家族と繋がってはいけない昇平は、帽子をかぶせることで現家族をカムフラージュしたのかもしれません。

また、母親が自分の「代理母」と決めた子(男女問わず)がその家族の「代理母」役となりますから(*)、帽子をかぶせることで長女→代理母、次女→代理父、そして子供達二人(自分と妻)ということにしていたのかもしれません。このことは、「子の母」になりたくない曜子にとってもウエルカムだったので、何故そうするのかを確認せずに続けたのでしょう。

このように何故そうしているのかが分からないままに続けられていることというのは、脚本同士が勝手に利用できるからそうしているわけです。理由が分かれば自分に都合いい物語に落とし込めないので、分からないままにしておくわけです。

(*組織の構成員は役割分担して組織を支えます。家族の場合、父親機能、母親機能を両親が果たせないのであれば、子供達が役割代行します。この時、母親が自分の「代理母」と決めた子がその家族の母役になるわけです)





人体の扱い方で見えること------------------------------------------

入院中の誕生会の場面で、何とか帽子をかぶせようとして昇平の体を足元の方に引きずり下ろすのがビックリでした。同時に、この感覚、父に似ているなぁと感じました。

気持ちで生きていない父にとって、まず自分の体が道具(物体)であり、だからモノにも自分を投影できるのです。なので、人も道具でありモノです。この無意識が言葉に表れたことがありました。

母をデイサービスの車から降ろして車椅子に乗せるときに、父は「積み替える」と言ったのです。それを聞いたデイの方もビックリしていましたが、父の“感覚”を如実に現していました。

全員が気持ちを封じて虚構を生きているこの家族も、無意識に人体を道具のように扱っているんだなぁ、そのことに全員が違和感を感じていないんだなぁと思わせる場面でした。





「まったく関係ありません」-----------------------------------------

映画の最後は、校長に呼び出された崇の面談場面。
ここで、痴呆症のことを英語では「長いお別れ」(ロング・グッドバイ)と表現することが示されます。そして、崇の不登校と祖父の痴呆症に関係があるのかと問われます。

この問いが微妙なんですね~。崇の両親が不登校の件で担任から呼び出されているわけですから、校長も当然担任から両親に問題ありと聞いているでしょう。なので、逆に直接両親のことに触れられないとすれば、遠回りするしかありません。そこで、両親の問題の背景に祖父の認知症があったのかどうか、そこを上記のような問いで確かめたのかもしれません。

崇は、キッパリと次のように答えます。

「まったく関係ありません」

三重に否定したわけです。祖父と自分は悪い関係ではないので、これは明確な否定です。この明確に否定できる気持ちに、次の2つを乗せたわけでしょう。祖父と母親、母親と自分も、全く関係がない。つまり、祖父―母親―自分の間に連鎖はない、と断ち切ったのです。

こう答えるよね~、とリアリティがありました。

というのも、自分は親の影響だけで生きているわけじゃない、他に触れ合った大人や友人も沢山いて、むしろそちらの影響の方が大きい、という自負があったりするからです。

誰しもそうですが(私もそうでしたが)、若いときはこうなのです。
しかも、それもウソではありません。

けれどね、もう生後3週間で虚構に入り始めるし、3ヶ月から性格の鎧は着始めるし、1歳前から脚本ができはじめるのが人間なのです。物心つく頃には本当の自分は封印されて、脚本の自分が脳内母親のために生きており、それが自分と思っています。

親と自分は関係ないと言い切ることで、実は母親をかばっています。
このように思っている間、実は「脳内母親」は温存され続け、脚本人生を歩くことになります。




果てない波の繰り返し
いつか、
安らぐときが来るのでしょうか…








【優河 「めぐる」】





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