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「戦争」(家族内殺人)にしないための「戦闘」(親子喧嘩)

2019/07/29(Mon) Category : 家族小景
パーソナルスペースに無断で入られると誰でもイヤですよね。
部屋も1つのパーソナルエリアですから、入るときにはノックするなど家族であっても礼儀は必要となります。

一方、パブリックスペース(公共空間)に、そこにそぐわないモノが置いてあったりすると、そのモノは暗示となって作用することになります(すべからく暗示とは、何らかの違和感や引っかかりが起点となって作用していくものです)。

人が自然の中で自分に返ることができるのは、自然は自然だから=自然(というパブリックスペース)の中には違和感を感じさせるモノがないから、安心して自分をさらけ出せるのでしょう。

だから、子供を伸び伸びと育てるには、親という環境、家という環境共になるべく自然体であることが大事なのでしょう。




気持ちを見たくない人は不快・危険空間を欲する----------------

さて、家の中にもパブリックスペース(玄関、居間、客間、台所、洗面所、浴室、廊下etc)とパーソナルスペース(各部屋、寝室)があります。

(諸事情があってパブリックスペースの中に親や子のパーソナルスペースを設けることはよくある話でしょう。この場合、家族全員がそのことを共有理解していて、そのように扱ってあげることが大切です。)

ところが、そのような認識の共有もなく、パブリックスペースとされている所に親のモノが置いてあったり、子供部屋に親のモノや家具などが置いてあったりすると、それが家族や子供に暗示として作用して、家族メンバーの自我を歪めていくことになります。

私が親と同居するに当たって心したのは、現家族のパーソナルスペースを守ることと、パブリックスペースを安心できる空間に維持することでした。

というのも、父は次の2つを持っていたからです。
1.感情を見たくない人は空間を不快&危険なものに作り変えようとする
2.ストローク飢餓者は空間を侵食しようとする

例を挙げてみましょう。
(若い頃からそうであった部分、加齢と共にするようになった部分、認知症になって出てきた部分といろいろありますが、いっしょくたに書いています)



●1.建物を壊す-----------------------------------------------

建物に不具合箇所があることで、その空間は安心できない空間となりますから、雨戸やガラス戸、床板などを壊そうとします。

雨樋を壊す目論見は阻止しましたが、雨戸は1枚だけ戸車が壊れてガタピシいうようになり、浴室のアクリルガラスは破られて改修しました。(実家は10数年間雨漏りの修理をしていなかったようです)



●2.目の高さくらいの所を汚す---------------------------------

玄関で靴を脱ぐときに壁に手をつく、各部屋の電気のスイッチがある周囲やカーテンなどを汚れた手で触るなどして汚していきます。汚れは、泥の汚ればかりではなく、小水漏れを拭った後の手であったり、傷ついて血が出るとその血を付けたりすることもあります。
また、壁、柱、カーテン、風呂の蓋などに切り傷を付けます。

これらも空間の不快化であると同時に、自分に対しては自己存在の確認であり、他者に対しては存在の主張にもなっていますから、目につく目の高さあたりの所を狙うわけです。




●3.テーブルや床、絨毯を汚す----------------------------------------

お茶っ葉やコーヒーの粉等をこぼしたまま、飲みかけのお茶や急須を置いたまま、ゴミを座っていた周辺に散らしたまま―これは、誰かが片づけることを前提にやっているわけで、それは自分が面倒を見てもらうことの代償行為になっているわけです。

コタツテーブルの足元にお茶が入ったままの湯飲みを置いていたこともありましたが、これはうっかり誰かが倒すことで絨毯を汚すことを狙っていたわけです。

洗面時に水を台に飛び散らせる、風呂上がりに濡れた足で床をビチョビチョにする、トイレの床を小水で汚す、庭に痰を吐く等々、これらは色んな要素が含まれていますが、とにかく床を汚して不快にします。

さらにそれを拭き掃除させようとすると、拭き取るのではなく、表面を撫でて「汚れを拭き広げる」やり方をします。

(呆けさせないためには老人にも家事の分担をして作業をさせるとよいとは言われることですが、後で出てくる食器洗いでも見られる通り、完全なものは壊し、綺麗なものは汚し、汚れは取るのではなく広げますので、任せられないのです)




●4.天井を汚す------------------------------------------------

壁、床と来れば残るは天井。では、天井をどう汚すか…カビですね。
湯を沸かしっぱなしにして結露させたり、浴室ドアだけはきちんと閉めてカビを生やそうとします。

小学生の頃にお母さんの喜ぶ顔が見たくて懸命に浴室のカビ取りをし、帰宅したお母さんにいざピカピカになった浴室を意気揚々と見せたら、「余計なことすんな!!」と激怒されて、それが謎のままトラウマになった方がいらっしゃいましたが、実はシンプルな話し。お母さんが長年かけてせっせと育てたカビを、一瞬で“壊滅”させられてしまったから激怒したわけです。




●5.大気環境を不快にする(温度、臭い、音)------------------

3次元の物理的部分を壊したり汚したりする他に、大気環境も不快なものにしようとします。父の部屋は空気に圧があり、粘つくような臭いがあって、「腐海」のようです。自分の存在を感じられる森のような環境にしていますね。

室温は寒すぎるか暑すぎるか―快適にしようとしません。
トイレを流さずドアを開けて悪臭が漂うようにします。

以前庭にコンポストを置いていましたが、私たちがやるような丁寧で適切な処理を父はしません。瞬く間に腐臭漂い虫がたかる状態になりましたので撤去しました。これも庭環境を不快にするためにやったのでしょう。

あとはテレビを付けっぱなしにしたり、大音量で付けていたり。

こちらが上記のことに気をつけてそれらが自由にできなくなると、対象の空間領域が自分の身体空間に狭まるだけ。冬に薄着をしたり、夏に下着他を重ね着して厚着したり、風呂に入らず、あるいは入っても紙パンツなど汚れた下着を替えずに臭わせたり、要は自分の五感が不快を感じていれば良いのです。




●6.食器類を壊す・汚す----------------------------------------

気持ちが出やすい風呂、トイレは上記のようにカビや小水、臭いなどで不快にしますし、自分の部屋は結界だらけにできますが、父にとっての最大の鬼門は食卓。

そこで、次のような不快になる要素を用意します。まず、噛むときクチャクチャ・コキコキ音を立てる、呑み込むときクッとかゴクンと喉を鳴らす、茶碗を音を立てて乱暴に置く、菓子クズを散らす、食べこぼすなど、「存在自体が五月蠅い」在り方はストローク飢餓者にはよく見られること。
加えて、むせたり、咳やくしゃみをして食べているものを吐き散らすこともあります。(→これで十分、家族をバラバラにすることができます)

さらに、食器自体を不快なものにします。
父が洗った後の食器はヌルヌルしている上にかすが残っていることさえありますし、乱暴に扱って欠けさせますので、父に洗わせることができません。
金ぴかのアルミ鍋を買ったときなど、焦げさせて金だわしで入念に擦りあげ、瞬く間に鉛色の古びた鍋に改装してしまいました。




●7.危険物を放置する------------------------------------------

空間を不快にするだけでは足りず、次のように自分を威嚇するものを至る所に散らばらせます。
・コードや紐類などの長いものは「ヘビ」。
・ペンや箸、釘など尖ったモノは「刺す」。
・鋏や包丁、カミソリなどは「切る」。
・消臭剤や防虫剤などのノズルは「鉄砲」。
・シュレッダー 「砕く、破壊する」。
・入れ歯    「噛む」

これらのモノを、一見無造作に置いてあるように見えて尖った方をこちらに向けて置いたり、何故これがこんなところにとハッとする場所に置いてあったり。一度そういう警戒を経験させれば、家の中が「非安全空間」となって意識は常に警戒するようになるので、感情を封じたい人間にとっては「安心」なのです。




●8.目立つところ、意表を突くところにモノを置く-----------------

置くものは危険物だけではありません。気持ちで生きていない人はモノに人を憑依できるので、自分を見張る代理親か、見られたい自分自身の代用品となる何らかのモノ(それは自分個人のモノに限らず)を置きます。

場所は、玄関出入り口、入って正面、階段、居間、台所、洗面所、浴室、廊下、居間から見える庭の中、冷蔵庫を開けた正面、テレビの横…まぁ、キリがありませんが、視線が行きそうな所です。

(実家では全部屋に父のモノが置かれていましたから、放置すればどんどん浸食してくるわけです。誰かがいなくなった途端に、その部屋が親のモノだらけになっていく現象はよく聞きます)


ちなみに、父の部屋は、部屋の両側の壁3カ所―入り口、中央、ベランダ側―に「目」が置いてあります。入ると右のタンス上に父が彫った仏頭。対する左にかかっている花瓶の花の絵が、大きく両目を見開いた顔(まるでメデューサ)になっています。(この両者で仁王門ですね。なお、時計や花柄は「目」のモチーフとしてよく利用されます。他にお面や剥製など)

中央右の書棚の上の真ん中に、ゴミが詰まった無意味な紙箱がわざわざ逆さに置いてあり、下を向いている動物の目のように見えます。対する左には、招き猫が下を向いています。

奥の右、机の上に卓上電球が一つ目のように寝床の枕元を狙っています。対する左には、巨大な扇風機型暖房具が年中置いてあり、点ければ赤い一つ目となって枕元を狙っています。

奥に行くに従って、人―動物―一つ目となっていくのが面白いですが、心理学や風水やスピリチュアルなど知るよしもない当人がつくっている「結界」ななのです。お金があるならあるなりに、ないならないなりに結界を張っているわけで、人間って凄いですね。




●9.不快にするために生き物を使う-------------------------------

不快にするために用いるのはモノだけではありません。動物も利用します。
我が家でゴキブリを見ることはあまりなかったのですが、父の部屋に出現しました。バナナの皮他食べかすが放置してあったからです。
ナメクジも出現しました。これは父が作物と共に持ち込んできたものです。

ストローク飢餓者が他によく利用する動物は、蚊・蠅・毛虫・蜘蛛・ネズミなど。夜になるとネズミやゴキブリが大運動会をするわけです。

過去実家に帰省した折、干してある布団に大きなスズメバチが止まっていてビックリしたことがありましたが、なんと軒下に大きな巣ができていました。こんな危険なモノを放置していることを見ても、ストローク飢餓者の優先順位が分かりますね。自分の命よりも、危険であること(=自分の気持ちを見ないですむ安心)の方を選ぶわけです。これが命を道具にして生きている人の姿です。





★「子の親」たる自覚を持って自分の親と対峙する------------------

ちょっと並べてみましょう。

1.建物を壊す
2.目の高さくらいの所を汚す
3.テーブルや床を汚す
4.天井を汚す
5.大気環境を不快にする(温度、臭い、音)
6.食器類を壊す・汚す
7.危険物を放置する
8.目立つところ、意表を突くところにモノを置く
9.不快にするために生き物を使う

これが気持ちを見ないように生きる人にとっての「安心空間」です。気持ちで生きている人にとっては「危険空間」ですから、親子であったとしても同じ空間に住めないことが分かるでしょう。

相手は「不快・危険」な中でなければ生きていけないわけですから、理は受け付けません。つまり、父と同居するということは、空間の安全性が損なわれ危険と不安が増大するということにしかならないわけです。

まして同居後に孫が生まれるわけですが、何でも手や口にする幼児にとってはアクシデントが起きてもおかしくない空間になってしまいます。

もしそうなったら、私に一生悔いが残るでしょう。そうさせないためには最初が肝心。父の部屋は好きにさせるとして、2階の私たちの空間には絶対に立ち入らせないこと、危険物の放置はその都度バトルして徹底して取り締まること。
そして、1階のパブリックスペースの浸食も最低限に抑えること―これを肝に銘じて同居に臨みました。





★親子間戦争にならないための1.親の実相を知る---------------------

同居後すぐに父はあらゆることを仕掛けてきました。
(上記は、家庭内の空間に限って関連することのみをピックアップして挙げていますが、これが家の外、イベント、外部の人も関わることなどに広げていくと、さらに信じられないことが出てきますので割愛しますが、上記に挙げた比ではありません)

さて、理を説いてその場で分かったふりをしても、結局聞いてはいません。父にとっては自分の居心地のいい空間を作りたいだけですから、何度でも仕掛けてきます。

これを我慢していたら(=現家族に我慢させていたら)、これまでの空間秩序はどんどん破壊され、不快、不安及び危険要因が増大し、家族中の不満が臨界点を超えて私に向かってくるか、二世帯間戦争になっていたでしょう。


戦争になるのは、「気持ちの分かる人間であって欲しい」という親への期待を捨てきれないからです。
あくまで「気持ちで行動している人間」という前提で接すると、こちらの言うことを完全無視する一方で強引に我を押し通そうとしてくる親に怒りが蓄積し、こちらがどれだけ忍耐しているかを分からせてやろうと日々悶々とし、けれど何をどうしても通じないことに徒労と絶望を抱き…という中で、互いにピリピリした緊張が続き、やがてけんか腰の日々となり、それが極まれば親の子殺し、子の親殺し、あるいはその代償行為としての殺人ということになる可能性があるわけです。

当ブログの「少年犯罪家族事件簿」や 「仮面の家」で取り上げている事例が、まさにそれです。親子なんですが、親=魚類、子=人類と見なせば、子が親を変えようとすることは親の生死に関わってきますから、命をかけたバトルになってしまうわけです。親子なんだけど、最初から関われない生物だったという事実を見つめることです。


自分を追い詰めているのは、親そのものではなく、「諦められない親への思い」だとお気づき下さい。

親がこういう人間なんだと分かることは辛いけれど、現実を直視することです。親は隠しようもなく赤裸々に自分をさらけ出して生きていますので、その言動を子供の側が勝手に解釈せず、まっすぐに見れば親の実相が見えてくるでしょう。

上記1~9の行動は、「気持ちを見たくない人間」は誰でもすることであって人格とは関係ありません。そこをちゃんと分けて考えることです。

といって、心と繋がって生きていませんから人格部分が出てくることは少なく、プログラムされたロボットのようにパターン行動になってしまい、それが自分の親だと思うことができないわけですが・・・そこを、乗り越えましょう。





★親子間戦争にならないための2.時に戦闘をする---------------------

親の実相を見抜いた上で、いずれにせよ親は仕掛けてきますから、そこで必要なことは、絶対に駄目なことはダメと思い知らせること。

そのために、時に激怒してみせ、時にバトル(戦闘)することでした。大の大人が言い合った上で取っ組み合うなどバカバカしいですが、目的はわからせることではありません。

目的はただ1つ、「こういうことをすると面倒なことになるんだな」「こいつはどうにもならない壁だな」「面倒くさい奴」と父が認識すること―そこだけですから、やるときは徹底してやりました。

留意して欲しいのは、「わかれ!わかってくれ!」という衝動に呑み込まれた喧嘩でもなく、怒り(というファーストフード)が欲しい親の仕掛けにまんまと乗せられた喧嘩でもなく、ただ「こういうことをすると面倒なことになるんだな」と親に認識させることだけを目的としている喧嘩であること、及びそれを自覚していることです。

目的を達成するための手段としての喧嘩ですから、手段として大袈裟な演出感情を用いることもありますが、ホンモノ感情ではありませんのでエネルギーの浪費は少なくてすみますし、後を引きません。ここまでやれば「厄介だ」と認識しただろう、と判断したところでスッと追われますし、すぐに平常に戻れます。

ただし、ストローク飢餓者にとっては議論であれ喧嘩であれ誰かが自分に向かってくることは「自分の存在確認」にしかなりませんので、怒りや憎しみなど強い感情が自分に向かってくることも、議論などが長時間になることもウエルカムなのです。ですから、相手の目を見て本気を感じさせることも必要です。

そして、このようなバトル体験が父の行為を抑制することになるわけで、孫が生まれる頃にはパブリックスペースの安全は保たれました。

父は父で自分のテリトリー(居場所)もあり、小さな範囲であれこれやり続けていて変わることはありません。相変わらず毎日仕掛けてもきて煩わしいですが、想定内に収まっていますので、それなりの対応をしています。

このようにして、本来相容れない者同士が同じ空間を住み分けて生きているわけです。




★「戦闘」と「戦争」--------------------------------------------

さて、「少年犯罪家族事件簿」や 「仮面の家」で取り上げている家族内殺人事件を「戦争」と見てみましょう。
戦争にしないために必要なことは2つありましたね。

1つは、「違いを認める」ことです。
生きる構造(エラ呼吸か肺呼吸か)、求める環境(危険空間がいいのか、安全空間がいいのか)、目指す方向(不幸を目指しているのか、幸福を目指しているのか)―それらの違いを見極め、相手の在り方を尊重することです。

そこを無視してこちらの価値観に沿って変えようとすれば、それが親を救うことになると考えているのは子供のエゴ。親にとっては地獄なので、徹底抗戦してくるだけです。

親の在り方を認め、手放せば、自分が自由になるのだとお気づき下さい。
これで戦争は避けられます。


ただ、万が一、同居することが避けられないのであれば、
2.時に「戦闘」が必要になります。

これも上記に書いた通り、相手に分からせたり、相手に復讐したりすることが目的ではなく、「面倒なことになる」という認識を植え付けることが目的ですから、理性でコントロールされた戦闘でありつつ本気を感じさせることが肝心です。最終的には、よい加減の住み分けにもっていくことがゴールです。




★自衛隊が日々行っていること-------------------------------------

さて、JCOMに入ったことをきっかけに自衛隊の活動を紹介する番組を時折見るようになって、水面下で日々頑張っているんだなぁとわかりました。毎日の活動そのものが周辺国への抑止力になっていることも分かりました。

そして、それはまさに私が父に対してやっているようなことだと思いました。

黙っていれば父はどんどん領空侵犯、領土侵犯をしてきますが、それは、支配したい野望があるとかそういうことではなく、自分の存在(代理物)を見せ、自分にとっての「安心領域」を広げようとしているだけなので、ごく自然に当たり前のようにやっています。

それに対し、私は現家族を守る父親として、その都度スクランブル発進して、時に父と戦闘するわけです。これが日常的に続いてようやく、父は自分のテリトリに収まっていくわけですね。

また、流しに包丁を置きっぱなしにしたり、カッターや鋏、ドライバーなどを色んな所に出しっぱなしにした時も徹底してしまわせ、言わば地雷の敷設のようなこともさせませんでした。

私は、ある意味24時間警戒態勢を敷いて時にバトっていたわけですが、そういう水面下の努力で、家という領土の安心と安全が確保されていたことを子供達は知りません。娘が結婚して家を出た後に、何らかのきっかけでチラとこういう話をしたことがありましたが、「そんなことがあったんだ~」と、とても驚いていました(娘の中の祖父像は、私とは全く違うわけです)。


言いたいことは、国家も人間の集合体である以上、やっていることは個人レベルも国家レベルも同じと言うこと。父のような国家もあり、そういう国はまるで本能であるかのように浸食してきます。そういう国から国民(家族)を守るためには自衛隊が必要だということです。






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