この1ヶ月の気になった記事(スポーツ)
2006/08/24(Thu) Category : スポーツ
引っ越しのドタバタの間にいろいろな事件があった。感じたことを記しておこう。
■ジダンの頭突き事件
有終の美を飾りたかった試合。その最後にあのような行為をしなければならなかったことに、何より悔しかったのはジダン本人だっただろうとも思う。この終わり方をジダンが引きずらないことを祈る。
相手をエキサイトさせるための口撃はプロの世界では当たり前と言うが、何事にも限度というものがあろう。言葉は刃(やいば)だ。時にグサリと人をえぐる。トラウマになる可能性もある。スポーツの世界に刃を持ち込むな。
精神的タフネス? それとモラルの問題をはき違えるな。モラル無き刃には、刃で立ち向かうしかない。相手は刀を抜いたのだ。
プロ、アマという前に「スポーツ」である。スポーツならば、子供たちに“公明正大”という夢を見せて欲しい。夢無き社会はつまらない。
■亀田興毅のランダエタ戦
私も見た。そして、見直した。荒削りだがパワーも実力も根性もある。食らいついていく姿に拍手を贈った。よくやったと思う。しかし、判定は負けだろうと思った。そして、これだけの試合をして負けることにより、一皮むけて本当に強くなるだろうと思った。また、尚いっそう人気も出ると思った。
が、判定がすべてを覆した…。亀田興毅がこの騒動を引きずらないことを祈る。
ジダンの件もそう。亀田興毅の件もそう。
選手達がビジネスの世界に毒されている。ビジネスは面白くしようとショーマンシップをあおる。選手もそれに答えようとする。口撃あり、事前のパフォーマンスあり、選手そっちのけの舞台裏の駆け引きあり、だ。私たちはスポーツに政治を求めているわけではない。ジダンも亀田興毅もかわいそうだ。
■露鵬の場外乱闘
大相撲の立ち会い前のにらみ合いは醍醐味だ。しかし、勝負が決した後の口論は…。もっと大きな問題は、その謝り方だ。親方が毎日新聞記者に謝罪する映像を見たが、大きな体で上から見下ろし、しかもその頭をちょこんと振っただけ。当然、露鵬も首振りだ。これで、あなたは謝られた気がするだろうか。
私は、子どもが小さい頃に謝る姿勢を見せた。90度直角だ。相手の気持ちになると、頭が下がる。相手の気持ちになるというその姿を、きちんと子どもや若者に見せる-それが、上に立つ者のすることだ。
親方が深々と頭を下げる姿を見たときに、本当に露鵬は反省したと思うのだ。そして、一回り大きくなったと思うのだ。こういうトラブルが起こったときが、実は人が成長する最大のチャンスなのである。しかし、親方は露鵬が成長するせっかくのチャンスを奪ってしまった。
■欽ちゃん球団
解散の決断は、謝る気持ちがあふれた結果だった。私は見事だと思った。それだけ見事だったから、人々が救ったのだと思う。けじめをきちんとつけたのだから、またやってよ、と人々はエールを贈った。潔い身の処し方が人を動かしたのだと思う。そして、これが社会の良いあり方だと思うのだ。
いつもいつも、“正しい”行動がとれるとは言えない。だって人間だもの。しかし、そこに真心があふれている。それに感じて救いの手を差し伸べる。人の社会はこれでいいのではないかと思う。支え合うのが「人」という字だろう。
完璧ばかりを求めるとても冷たくて窮屈な今の日本に、人間味のある清しい風を吹かせてくれたと思う。
■ジダンの頭突き事件
有終の美を飾りたかった試合。その最後にあのような行為をしなければならなかったことに、何より悔しかったのはジダン本人だっただろうとも思う。この終わり方をジダンが引きずらないことを祈る。
相手をエキサイトさせるための口撃はプロの世界では当たり前と言うが、何事にも限度というものがあろう。言葉は刃(やいば)だ。時にグサリと人をえぐる。トラウマになる可能性もある。スポーツの世界に刃を持ち込むな。
精神的タフネス? それとモラルの問題をはき違えるな。モラル無き刃には、刃で立ち向かうしかない。相手は刀を抜いたのだ。
プロ、アマという前に「スポーツ」である。スポーツならば、子供たちに“公明正大”という夢を見せて欲しい。夢無き社会はつまらない。
■亀田興毅のランダエタ戦
私も見た。そして、見直した。荒削りだがパワーも実力も根性もある。食らいついていく姿に拍手を贈った。よくやったと思う。しかし、判定は負けだろうと思った。そして、これだけの試合をして負けることにより、一皮むけて本当に強くなるだろうと思った。また、尚いっそう人気も出ると思った。
が、判定がすべてを覆した…。亀田興毅がこの騒動を引きずらないことを祈る。
ジダンの件もそう。亀田興毅の件もそう。
選手達がビジネスの世界に毒されている。ビジネスは面白くしようとショーマンシップをあおる。選手もそれに答えようとする。口撃あり、事前のパフォーマンスあり、選手そっちのけの舞台裏の駆け引きあり、だ。私たちはスポーツに政治を求めているわけではない。ジダンも亀田興毅もかわいそうだ。
■露鵬の場外乱闘
大相撲の立ち会い前のにらみ合いは醍醐味だ。しかし、勝負が決した後の口論は…。もっと大きな問題は、その謝り方だ。親方が毎日新聞記者に謝罪する映像を見たが、大きな体で上から見下ろし、しかもその頭をちょこんと振っただけ。当然、露鵬も首振りだ。これで、あなたは謝られた気がするだろうか。
私は、子どもが小さい頃に謝る姿勢を見せた。90度直角だ。相手の気持ちになると、頭が下がる。相手の気持ちになるというその姿を、きちんと子どもや若者に見せる-それが、上に立つ者のすることだ。
親方が深々と頭を下げる姿を見たときに、本当に露鵬は反省したと思うのだ。そして、一回り大きくなったと思うのだ。こういうトラブルが起こったときが、実は人が成長する最大のチャンスなのである。しかし、親方は露鵬が成長するせっかくのチャンスを奪ってしまった。
■欽ちゃん球団
解散の決断は、謝る気持ちがあふれた結果だった。私は見事だと思った。それだけ見事だったから、人々が救ったのだと思う。けじめをきちんとつけたのだから、またやってよ、と人々はエールを贈った。潔い身の処し方が人を動かしたのだと思う。そして、これが社会の良いあり方だと思うのだ。
いつもいつも、“正しい”行動がとれるとは言えない。だって人間だもの。しかし、そこに真心があふれている。それに感じて救いの手を差し伸べる。人の社会はこれでいいのではないかと思う。支え合うのが「人」という字だろう。
完璧ばかりを求めるとても冷たくて窮屈な今の日本に、人間味のある清しい風を吹かせてくれたと思う。