自分を変えるとは・・・
2022/12/17(Sat) Category : 見方・考え方・価値観-パラダイム
ふと訪れたエポックのような時間
今まで深入りしなかったジャンルの記事を読んでみた。
『あなたは自分自身しか変えることができないのです。』
―そう、その通り。
では、自分を変えるとはどういうことか?
また、変えるとどうなるのか?
--------------------------------
『あなたがあなたを変えるとき、
あなたはあなたの振動を変え、
あなたの振動を変えるとき、
あなたはあなたの場所を変えます。』
『あなたが何かの見方、考え方、何かに反応する方法を変えるとき、
あなたは異なる現実にシフトしているので、すべてを変えているのです。』
『あなたは、あなたが変わってほしいと思う人、人々、人類全体の異なるバージョンを持っている別の現実に移動します。』
・・・そういえば不思議なことがあった。30年位前かな、煮詰まった挙句突き抜けたことがあった。「すべてを許そう」という精神状態になり、心が晴れて軽くなって帰った時、パートナーが同様に軽く明るくなっていたのだ。唖然とした。
時空を超えて魂レベルでは通じていたんだろうかと不思議で、そういう事例もその後知ったけれど、もしかすると別の現実に移動していたのかもしれない。
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『皆さんは、現在のあらゆる瞬間に、並行した現実性から、別の並行した現実性へと移行しています。』
『これまでに起こったこと、これから起こること、そして舞台裏や影で起こっていることにとらわれ始めたときに考えなければならないことのひとつは、あなたは常にタイムラインを飛び越えているということです。』
『あなたは常に現実を変えているのです。
現実を変えると、その異なる現実には異なる過去と未来があるのです。』
『過去の記憶が変われば、現在と未来も変わります。』
『では、【次の瞬間には別の現実に移ってしまう】のに、今いる現実ですべてを把握しているかどうかで、何か違いがあるのでしょうか?』
『すべてを理解する必要はありません。過去に起きたことや現在起きていることを詳細に知る必要もありません。過去や未来、自分の力ではどうにもならないことに目を向けても、自分の中に目を向けるほどには役に立たないのです。』
『自分の感情を感じ取り、他のほとんどのことを手放す必要があるのです』
・・・これはマンデラ体験をしたときに痛切に感じたことだ。
例えば、WW2で日本がオーストラリア空襲をしていたと知った時の衝撃! 「歴史って何?」と思ってしまった。以前の世界では、それはフェイクだが、現世界では事実だ。
例えば、富士山が以前よりも大きく見えた時の衝撃! 地形さえも変えてしまう神業に「地理・地形って何?」と思ってしまった。
仮に受験の直前に世界線を移動したとすれば、歴史も地理の勉強も意味をなさなかったことになる。体験してつくづく受験システムのバカバカしさを思ったが、この3次元世界に生まれたことの意味も考えた。それが次の言葉に表されている。
『地球は愛と思いやりの振動でいることや存在の本質を学ぶ学校です。存在の本質はその瞬間の感情、フィーリング、思考形態で作られる振動で示されていて、意識で瞬時に変える(選ぶ)ことが可能です。』
そう、地理だの歴史だのの時空が吹っ飛ばされたあとに残った思いは、この3次元の舞台で人や自然との交流の中で感動、愛情を味わうこと以上の学びや至福はないなぁということだった。
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『重要なのは、どちらの現実にシフトするかを決める自分のバイブレーションに注意を払っているかどうかです。』
『テレビの10チャンネルを見たいのに、5チャンネルに合わせていたら、10チャンネルは見れませんね。しかし、願ったり、望んだりしてもチャンネルは変わりません。自主的にリモコンを手に取って、チャンネルを変える必要があります。
貴方は、5チャンネルを見ている時でも、10チャンネルが存在するということを疑ったりはしません。見ていなくても、10チャンネルは存在しています。しかし、多くの方はそれがまだ見えないからという理由で、夢や望みが既に存在しているとは考えません。
考え方は、テレビのチャンネルと同じです。つまり、今、バイブレーションしているチャンネルから、他のチャンネルに変えるだけ。
貴方がバイブレーションを変えると、結果的に気分も変わり、そうすると、全く違った一連の状況や経験に周波数が合うことになります。』
・・・この比喩は、現在の状況にそっくり当てはまるよね。テレビだけを見ていると、テレビ局という組織体が提供する現実しか見ることができない(組織体とは言うけれど、結局はトップ一人の人間の意向だ)。その箱の中の現実に合わせて生きることになる。既に、箱の中に閉じ込められているわけだ。
ネットの世界では、箱の中よりは広く事実を知ることができるため、見える現実が異なってくる。なので、テレビ漬けの人々とは、ほぼ真逆と言っていい現実を生きている。
けれどそこはそこで次なる課題がある。それが次に書かれていることだ。
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『貴方はより低い次元で、ポジティブなものを現実化することはできません。次元とは場所ではなく、共鳴する状態であることを忘れないで下さい。』
『貴方の振動が低い場合、貴方は自分の望みを現実にすることはできません。感情は、振動の最も強い形である為、この自然なプロセスが正しく機能する為には、愛情深く、幸せで、情熱的で、ポジティブな振動を感じる必要があります。』
『貴方の焦点を異なる共鳴エネルギーに移すことは、次元的に移動することです。貴方の夢が叶う為には、高い振動が必要です。』
・・・ここだよね。親族がワクを打っていて衝撃を受けたり、大学時代の学友が亡くなってしまったり―そういう悲劇がいろんな思いを抱かせる。
けれど、そういう波動で状況を変えられないことは日常が教えてくれている。明るくユーモアや笑いがなければ、変化していかないよね。
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『「見る」とは、焦点を合わせ、エネルギーを与え、考えることも意味し、そして、貴方が以下に見るように顕現することに関して、他の意味も持つ広義の言葉です。
ここで重要なのは、宇宙の全てのものが既に創造されており、全てである(Allthatis)量子場、(別名、全ての可能性の波形)に既に存在していることです。』
『貴方は、貴方が見ているものを創り出します。』
『あまりにも多くの方が、目の前で展開されている状況に、気を取られ過ぎています。その状況が、不快なものであるとしたら、そこに意識を集中させることは、貴方にとって好ましくありません。』『貴方が意識を向けたものは、必ず拡張するからです。』
・・・懸念していたのがこれだ。そこに意識を向けることは、その対象にエネルギーを与えることでもある。その通り。(なので、ワク関連の記事、見た人は見たでしょうから削除します)
気付いた人は「舞台から降りよう」「ただ静かに去るのみ」―これは、私自身が言ってきたことだよね。
「舞台に乗るな」と言われることは、乗りたい脚本の人にとっては、自分が乗っていることの逆証明になって(脚本レベルでは)嬉しいだけなのです。
昨年、私がこの騒動に無縁でいられたのは、意識を向けなければならない対象(日々変化し続ける孫と垣根を含む庭)がいたからだ。脚本是正と感染病治療でそれぞれが待ったなしの状況だったので、そこに集中した。そこから多くのことを学んだ。
何より、孫や植物に無条件の愛情を注ぐことの喜びを知った。
結果、孫や庭から感動をもらえる日々がある。
今その現実に居られるのは、次のようなことなのだろう。
『貴方が、敢えて平和や喜び、楽しさに意識を向けると、貴方は自分のバイブレーションを変えることができます。』
『それぞれの人が、意識を向けているチャンネル次第で変わっていくのです。望みを実現する為には、その望みに意識を集中させる必要はなく、望むもののバイブレーション域に居ることが大事なのです。』
『例えば、気分の良いこと、心地良い考えを心掛けると、その域に行けます。それをより頻繁(ひんぱん)に心掛けて、より心地良い思いをして、より良いバイブレーションに身を置き、そのバイブレーションになれるように練習していけば、それに調和した現実が実現するということです。
本当に、シンプルなのです!』
そういう人々が増えることが集合意識を変えていくことになるのだろう。
私は、孫や植物が健全に育っていくための「環境」でありたいと思っている。
今まで深入りしなかったジャンルの記事を読んでみた。
『あなたは自分自身しか変えることができないのです。』
―そう、その通り。
では、自分を変えるとはどういうことか?
また、変えるとどうなるのか?
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『あなたがあなたを変えるとき、
あなたはあなたの振動を変え、
あなたの振動を変えるとき、
あなたはあなたの場所を変えます。』
『あなたが何かの見方、考え方、何かに反応する方法を変えるとき、
あなたは異なる現実にシフトしているので、すべてを変えているのです。』
『あなたは、あなたが変わってほしいと思う人、人々、人類全体の異なるバージョンを持っている別の現実に移動します。』
・・・そういえば不思議なことがあった。30年位前かな、煮詰まった挙句突き抜けたことがあった。「すべてを許そう」という精神状態になり、心が晴れて軽くなって帰った時、パートナーが同様に軽く明るくなっていたのだ。唖然とした。
時空を超えて魂レベルでは通じていたんだろうかと不思議で、そういう事例もその後知ったけれど、もしかすると別の現実に移動していたのかもしれない。
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『皆さんは、現在のあらゆる瞬間に、並行した現実性から、別の並行した現実性へと移行しています。』
『これまでに起こったこと、これから起こること、そして舞台裏や影で起こっていることにとらわれ始めたときに考えなければならないことのひとつは、あなたは常にタイムラインを飛び越えているということです。』
『あなたは常に現実を変えているのです。
現実を変えると、その異なる現実には異なる過去と未来があるのです。』
『過去の記憶が変われば、現在と未来も変わります。』
『では、【次の瞬間には別の現実に移ってしまう】のに、今いる現実ですべてを把握しているかどうかで、何か違いがあるのでしょうか?』
『すべてを理解する必要はありません。過去に起きたことや現在起きていることを詳細に知る必要もありません。過去や未来、自分の力ではどうにもならないことに目を向けても、自分の中に目を向けるほどには役に立たないのです。』
『自分の感情を感じ取り、他のほとんどのことを手放す必要があるのです』
・・・これはマンデラ体験をしたときに痛切に感じたことだ。
例えば、WW2で日本がオーストラリア空襲をしていたと知った時の衝撃! 「歴史って何?」と思ってしまった。以前の世界では、それはフェイクだが、現世界では事実だ。
例えば、富士山が以前よりも大きく見えた時の衝撃! 地形さえも変えてしまう神業に「地理・地形って何?」と思ってしまった。
仮に受験の直前に世界線を移動したとすれば、歴史も地理の勉強も意味をなさなかったことになる。体験してつくづく受験システムのバカバカしさを思ったが、この3次元世界に生まれたことの意味も考えた。それが次の言葉に表されている。
『地球は愛と思いやりの振動でいることや存在の本質を学ぶ学校です。存在の本質はその瞬間の感情、フィーリング、思考形態で作られる振動で示されていて、意識で瞬時に変える(選ぶ)ことが可能です。』
そう、地理だの歴史だのの時空が吹っ飛ばされたあとに残った思いは、この3次元の舞台で人や自然との交流の中で感動、愛情を味わうこと以上の学びや至福はないなぁということだった。
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『重要なのは、どちらの現実にシフトするかを決める自分のバイブレーションに注意を払っているかどうかです。』
『テレビの10チャンネルを見たいのに、5チャンネルに合わせていたら、10チャンネルは見れませんね。しかし、願ったり、望んだりしてもチャンネルは変わりません。自主的にリモコンを手に取って、チャンネルを変える必要があります。
貴方は、5チャンネルを見ている時でも、10チャンネルが存在するということを疑ったりはしません。見ていなくても、10チャンネルは存在しています。しかし、多くの方はそれがまだ見えないからという理由で、夢や望みが既に存在しているとは考えません。
考え方は、テレビのチャンネルと同じです。つまり、今、バイブレーションしているチャンネルから、他のチャンネルに変えるだけ。
貴方がバイブレーションを変えると、結果的に気分も変わり、そうすると、全く違った一連の状況や経験に周波数が合うことになります。』
・・・この比喩は、現在の状況にそっくり当てはまるよね。テレビだけを見ていると、テレビ局という組織体が提供する現実しか見ることができない(組織体とは言うけれど、結局はトップ一人の人間の意向だ)。その箱の中の現実に合わせて生きることになる。既に、箱の中に閉じ込められているわけだ。
ネットの世界では、箱の中よりは広く事実を知ることができるため、見える現実が異なってくる。なので、テレビ漬けの人々とは、ほぼ真逆と言っていい現実を生きている。
けれどそこはそこで次なる課題がある。それが次に書かれていることだ。
--------------------------------
『貴方はより低い次元で、ポジティブなものを現実化することはできません。次元とは場所ではなく、共鳴する状態であることを忘れないで下さい。』
『貴方の振動が低い場合、貴方は自分の望みを現実にすることはできません。感情は、振動の最も強い形である為、この自然なプロセスが正しく機能する為には、愛情深く、幸せで、情熱的で、ポジティブな振動を感じる必要があります。』
『貴方の焦点を異なる共鳴エネルギーに移すことは、次元的に移動することです。貴方の夢が叶う為には、高い振動が必要です。』
・・・ここだよね。親族がワクを打っていて衝撃を受けたり、大学時代の学友が亡くなってしまったり―そういう悲劇がいろんな思いを抱かせる。
けれど、そういう波動で状況を変えられないことは日常が教えてくれている。明るくユーモアや笑いがなければ、変化していかないよね。
--------------------------------
『「見る」とは、焦点を合わせ、エネルギーを与え、考えることも意味し、そして、貴方が以下に見るように顕現することに関して、他の意味も持つ広義の言葉です。
ここで重要なのは、宇宙の全てのものが既に創造されており、全てである(Allthatis)量子場、(別名、全ての可能性の波形)に既に存在していることです。』
『貴方は、貴方が見ているものを創り出します。』
『あまりにも多くの方が、目の前で展開されている状況に、気を取られ過ぎています。その状況が、不快なものであるとしたら、そこに意識を集中させることは、貴方にとって好ましくありません。』『貴方が意識を向けたものは、必ず拡張するからです。』
・・・懸念していたのがこれだ。そこに意識を向けることは、その対象にエネルギーを与えることでもある。その通り。(なので、ワク関連の記事、見た人は見たでしょうから削除します)
気付いた人は「舞台から降りよう」「ただ静かに去るのみ」―これは、私自身が言ってきたことだよね。
「舞台に乗るな」と言われることは、乗りたい脚本の人にとっては、自分が乗っていることの逆証明になって(脚本レベルでは)嬉しいだけなのです。
昨年、私がこの騒動に無縁でいられたのは、意識を向けなければならない対象(日々変化し続ける孫と垣根を含む庭)がいたからだ。脚本是正と感染病治療でそれぞれが待ったなしの状況だったので、そこに集中した。そこから多くのことを学んだ。
何より、孫や植物に無条件の愛情を注ぐことの喜びを知った。
結果、孫や庭から感動をもらえる日々がある。
今その現実に居られるのは、次のようなことなのだろう。
『貴方が、敢えて平和や喜び、楽しさに意識を向けると、貴方は自分のバイブレーションを変えることができます。』
『それぞれの人が、意識を向けているチャンネル次第で変わっていくのです。望みを実現する為には、その望みに意識を集中させる必要はなく、望むもののバイブレーション域に居ることが大事なのです。』
『例えば、気分の良いこと、心地良い考えを心掛けると、その域に行けます。それをより頻繁(ひんぱん)に心掛けて、より心地良い思いをして、より良いバイブレーションに身を置き、そのバイブレーションになれるように練習していけば、それに調和した現実が実現するということです。
本当に、シンプルなのです!』
そういう人々が増えることが集合意識を変えていくことになるのだろう。
私は、孫や植物が健全に育っていくための「環境」でありたいと思っている。