ポリシーの男 桑田真澄
そして、驚くべし1位指名。そこで、進学をやめてプロに。
明確な行動基準。
200勝して名球会に入る夢とともにスタートした野球人生。
ケガを恐れぬ全力野球で右肘断裂
40歳まで野球を続けたいから肘の手術をし
黙々と走り続けたグラウンドには「桑田道」ができた
錚々たる先輩が背負った18番
そのエースナンバーがファームにいてはダメだ
へこたれそうになる気持ちを、自分が背負う先輩達が、そして奥さんが支えてくれた
背負い背負われ支えられ
マウンドへの復帰の感謝の挨拶
そして、反射的に体が動き、ファンが悲鳴を上げた“悔いなきダイビング”の再現
見事復活した!
その後、
不遇の長島時代
意気に答えた原時代
どんな目にあっても、常に前向きに考えるようにしていたんだなぁ…
でも、やっぱり、原監督時代の桑田は輝いていた
人を活かすも殺すも「信頼」
しかし、37歳を超えて勝てなくなる
そして、突然のリタイア宣言(?)
「投げることができれば打てる」
「この角度で入れば打たれない」
それができないことへの、自分への「信頼」がなくなったのか
「何より全力でない自分を見るのがいや」
全力を尽くして尚、ファンの期待に添えない自分が許せないのか
ファームから出られないエースナンバーが重くなったのか…
特集を見て、改めて桑田という人間が好きになった。
彼が野球というものに真摯に向き合っているからこそ、多くの人が彼を支えている。
巨人で出番がなければ他球団でもいいじゃないか。
優先順位の1番は、巨人ではなく「野球」だろう。
あなたは「就社」したのではなく「就職」したのだろう。
そして、その職で200勝したいのだろう。
そのために肘の手術までして、桑田道まで作って、黙々とただひたすら前を向いて…
もちろん、負け続けだとどこに行っても出番はないが、長島&原の時のように相性やチームの雰囲気などもある。野球は一人でやっているのではない。
なんだか、もっとマウンドにいてほしいのだ…。
と、ここまではにわかファンの気持ち… 一方、
『人生の師、藤田さん』そして『祖母』が他界され、『なんか心にぽっかり穴が空いたようなんだよね』…。
よく頑張ってきたよ。もう十分だよ。お疲れ様。ゆっくり休んでよ…そう声もかけたい。
しかし、グリーフワーク(喪の作業)が終われば、また気持ちも復活してくる。
今、重大な決断はせずに、もしこの後休めるのであれば、ただ十分に休んでほしい。
そして、来年は、また新たな桑田投手を見せてほしい気がする。
なんだか、このまま去ってほしくはないのだ……
『桑田真澄のたった一度の野球人生を、大切に、そして誠実に生きたい。』
本当にそうしてほしい。
でも、すべて決めるのは自分。
ただ、見守っています。
・清原和博―心優しき少年の物語
お別れ
読売巨人軍 背番号18。背番号18はエースの証、野球少年の憧れである。彼をはじめてみたのは1983年、TVに映し出される高校1年生の彼の勇姿だった。その後の活躍は皆さんも既知のことと思われますが、彼と今や球界の番長こと清原の出現は野球少年だった小学生の僕 ...