「滝川市小6女児いじめ自殺」~大人が子どもに教えていること
私は、教卓に残された7通11枚という遺書の数に圧倒された。
これまでに、どれほどの思いをため込んできたのか。
誰にも言えず、一人で耐えてきたのか…。
そして、市教委へのインタビューを見ていて、一挙に悲しみがこみ上げてきた。遺書の中に、「いじめ」という言葉が出てこないから「いじめではない」-なんという欺瞞!
あなた方には、この子の叫びが届かないのか。
7通もの重みがわからないのか。
ご遺族の悲しみ、苦しみ、後悔…あなたの娘だったらどうするのか。
真実を知りたいだろう!
なぜ、そんな感情のない顔で話しをする。
あなた方の対応を子供たちは見ている。
何よりも真実を知っているのは当事者である子供たちだ。
自分たちに罪があることを知っている。
しかし、あなた方が子供に見せたのは、「隠蔽工作」だ。
真実は隠蔽できることを「学校」が、子供たちに教えたのだ!
しかも、教育委が加担することによって、学校という単体ではなく、「社会」でさえ真実を隠蔽することを教えた。
こうして、無力感とあきらめが静かに広がっていく。
長いものには巻かれろという風潮が広がっていく。
一方、子供たちは、罪の償い方を教わることができなかった。
人の「気持ち」は、その人そのものであり、とてもタイセツナモノだと言うことを教わることができなかった。
こうして気持ちを大事にせず、自分も人も大事にできない風潮が広がっていく。
この事件で、あなたたちが子供たちに学ばせたこと、失わせたものを静かに振り返ってみてほしい。
あなた方は、子供を歪ませたのだ。
誰も責任をとらなくていい無責任社会。その構成員をまたも再生産してしまった。
無気力。無力感。
あなた方は次のように掲げる。「滝川市の教育」↓
『平成17年度 人の輝く教育を求めて~新たな挑戦と再生~』
(滝川市教育委員会)
『平成18年度 人の輝く教育を求めて~夢と知恵を紡ぐ教育の推進~』
(滝川市教育委員会)
ごく一部の大人は、せっせとこしらえたこういう「文書」を見るのだろう。
しかし子供たちは、あなた方、そして私たち大人の「行動」を見ている。
大人達は、子供や若者の無気力を嘆く。
しかし、無力感を植え付け、無気力にさせているのは、他ならぬ我々大人だ!
大人一人一人の責任ない行動が、子供たちから夢や社会に対する希望を失わせているのだ。
あなた方の職務は、子供たちと向き合うことだ。
上を見ずに、真摯に子供たちと向き合ってほしい。
そのためには、文科省、上ばかり見させるような統制は止めよ。現場を信じて統制を手放せ。
教師を信じよ。
フィンランドを見習ってほしい。
【滝川市小6女児いじめ自殺】
1.大人が子どもに教えていること (本稿)
2.見えるのはケンカ、見えないのがいじめ
3.いじめに大人はどう対応すればいいか
4.祈り
滝川市教育委員会 =まあ「体質」ってヤツなんでしょうね=
きのうもこうやって頭下げてたけどさ、本心では申し訳なかったとは思ってないでしょ?だってぼく、いまだに肚の虫が治まらないもの。辰巳 信男とかいう滝川市教育委員会の教育部長さんもさ、きのうも書いたけどさ、まともなコメントしてないでしょ。「会見で言ってた通りで ...