自分を救うことが子どもを救う
2006/10/05(Thu) Category : 世代間連鎖
本日は10:30帰宅。
家族カウンセリングをしていて思うこと。つらつら思いつくままに、心理学用語でも宗教用語でもなく、自分の実感する言葉で記しておこう。
表面的には、事態が入り組み、しがらみがますます混み合い、状況は悪化しているように見える場合でも、実は魂が相互に支え合っている結果であり、事態はよい方向に向いていること。
他人のことは傍目八目で冷静に見ることができても、自分たちのことは他人に言うようにできないもの-誰しもそのように言うが、それは当然。表面上は自分と子どもとの関係だけに見えるが、心理的には、自分の親と自分-自分と自分の子ども、というように無意識の連鎖の中にいる存在だから。
その時点で関係を切り取って、その断面を見ていろいろと言うことは誰にでもできる。大切なのは、自分がどのような無意識の連鎖の中にいて、それがどのように周囲に影響しているのかを知ること。
無意識には2つあること。
1つは、自分の中に棲んでいる親(そのもの)。
1つは、自分と親との関係から学んだ、タブーやルールやコミュニケーションの仕方。
私から見ると、「自分」は3層に分かれる。
意識している自分。
無意識(上記2つ)の自分。
魂の自分。
意識的には自分が選択した行動であっても、実は、無意識か魂か、どちらかに突き動かされている。脳にビルトインされた無意識は強固に自分を支配するが、魂はその無意識から自分自身を取り戻そうといろいろと画策をしている。
自分の棚卸しをすることで自分の中に棲む親に気づいたとき、無意識が意識化される。すると、自分を動かすものは自分本来の魂だけになるので、そこから自分オリジナルの人生を初めて歩み出すことができる。
そこが本当の親子分離。新しい自分の誕生である(が、こういう誕生を迎えることができる人はそう多くはいないかも)。
この棚卸しの過程の中で、常にそこには「連鎖」と「状況」があるだけだったのだと知る。
その時々の渦中の中で、それぞれの人はただ懸命に生きている。そして、表面的にはいろいろと見えるが支え合っている。
そういう意味で、人は皆健気な存在。
棚卸しをする中で、最初は親を憎み、恨んでいた人も、
状況を立体的に把握したとき、憎しみや恨みの感情は解消され、
なくなって残るのは 親への愛
まるで「パンドラの箱」のよう。
子どもの望みは、母親の幸せ。
なぜなら自分の存在拠点であり安全基地だから。というと、味気ない。要は、子どもはお母さんが大好き!
母親が活き活きとしていることが、子どもの後顧の憂いを無くす。
母親が自律している姿を見せることが、子どもにとっての希望の光となる。
だから、子どもを幸せにしたいのであれば、お母さんは自分の生き甲斐を持って生きなければならない。
だから、救うための優先順位がある。
先ず、お母さん本人。
次に、子ども。
そのために、お母さんは自分と立ち向かわなくてはならない。
自分の弱さと直面化しなければならない。
そして、自分の生き方を変える必要に迫られる。
それは、時に恐怖に近い不安である場合もあるが、
そこを乗り越えなければイバラの人生。
そこを乗り越えればバラ色の人生。
……まだまだあるが、オチが出たところでまたいずれ。
家族カウンセリングをしていて思うこと。つらつら思いつくままに、心理学用語でも宗教用語でもなく、自分の実感する言葉で記しておこう。
表面的には、事態が入り組み、しがらみがますます混み合い、状況は悪化しているように見える場合でも、実は魂が相互に支え合っている結果であり、事態はよい方向に向いていること。
他人のことは傍目八目で冷静に見ることができても、自分たちのことは他人に言うようにできないもの-誰しもそのように言うが、それは当然。表面上は自分と子どもとの関係だけに見えるが、心理的には、自分の親と自分-自分と自分の子ども、というように無意識の連鎖の中にいる存在だから。
その時点で関係を切り取って、その断面を見ていろいろと言うことは誰にでもできる。大切なのは、自分がどのような無意識の連鎖の中にいて、それがどのように周囲に影響しているのかを知ること。
無意識には2つあること。
1つは、自分の中に棲んでいる親(そのもの)。
1つは、自分と親との関係から学んだ、タブーやルールやコミュニケーションの仕方。
私から見ると、「自分」は3層に分かれる。
意識している自分。
無意識(上記2つ)の自分。
魂の自分。
意識的には自分が選択した行動であっても、実は、無意識か魂か、どちらかに突き動かされている。脳にビルトインされた無意識は強固に自分を支配するが、魂はその無意識から自分自身を取り戻そうといろいろと画策をしている。
自分の棚卸しをすることで自分の中に棲む親に気づいたとき、無意識が意識化される。すると、自分を動かすものは自分本来の魂だけになるので、そこから自分オリジナルの人生を初めて歩み出すことができる。
そこが本当の親子分離。新しい自分の誕生である(が、こういう誕生を迎えることができる人はそう多くはいないかも)。
この棚卸しの過程の中で、常にそこには「連鎖」と「状況」があるだけだったのだと知る。
その時々の渦中の中で、それぞれの人はただ懸命に生きている。そして、表面的にはいろいろと見えるが支え合っている。
そういう意味で、人は皆健気な存在。
棚卸しをする中で、最初は親を憎み、恨んでいた人も、
状況を立体的に把握したとき、憎しみや恨みの感情は解消され、
なくなって残るのは 親への愛
まるで「パンドラの箱」のよう。
子どもの望みは、母親の幸せ。
なぜなら自分の存在拠点であり安全基地だから。というと、味気ない。要は、子どもはお母さんが大好き!
母親が活き活きとしていることが、子どもの後顧の憂いを無くす。
母親が自律している姿を見せることが、子どもにとっての希望の光となる。
だから、子どもを幸せにしたいのであれば、お母さんは自分の生き甲斐を持って生きなければならない。
だから、救うための優先順位がある。
先ず、お母さん本人。
次に、子ども。
そのために、お母さんは自分と立ち向かわなくてはならない。
自分の弱さと直面化しなければならない。
そして、自分の生き方を変える必要に迫られる。
それは、時に恐怖に近い不安である場合もあるが、
そこを乗り越えなければイバラの人生。
そこを乗り越えればバラ色の人生。
……まだまだあるが、オチが出たところでまたいずれ。