頑張ってはいけない
岐阜県瑞浪(みずなみ)市の市立瑞浪中学2年、自宅で首をつって自殺した女子生徒の遺書の最後である。
そして、
『この忙しい時に御迷惑をおかけします』
これが冒頭の方に来る。
中学2年生が、『この忙しい時に御迷惑をおかけします』と書く。しかも、自分が死ぬ、という遺書にだ。
「子は親の鏡」「若者は社会の鏡」と言い続けているが、この遺書もそのまま現代日本社会を表しているように思えてならない。
今や、のどかで無邪気な子ども時代を過ごすことのできる幸福な日本人は極めて少ないと思う。早く大人になれとせき立てられて生きている。全ての環境がせき立てる。親はそうではないと言いつつ、やはり期待をする。子は親の期待がわかるから頑張る。勉強もやり、委員もやり、スポーツもやり…。
この子は、この忙しい日本社会のシステムの中で懸命に生きた。
そして、疲れ果てた。
だから、この社会からおさらばした…。
いじめが直接の原因である。
しかし、この子の遺書を眺めていると、それにとどまらないものを感じるのだ。
今や、「利潤・効率・スピード」を追求するこの社会のあり方は、既に尋常じゃないところへ来てしまっている。人々は、思考停止と流されることを強いられている。人と深く関わることなく作業をこなすことを強いられている-何のために?
…そういう質問すら、問うヒマがあればやるべきことをやれと封じられている。なぜなら、「利潤・効率・スピード」を追求することは「是」だから…。
(本当は是ではないよ。念のため。それらは生活を便利にするためにあったのであって、生活がそれに服従するようになったら意味がない)
現代は、社会のペースに合わせていると、放っておいてもオーバーワークになる。だから普通に生活しているつもりでも、心身の疲労が蓄積されている。だから、自分を守るために、意識して頑張らないことだ。そして意識して休養を取ることだ。
これは、なかなか理解されにくいことだと思う。
社会に合わせろ、と躾けられてきたからね。しかし、社会が異常なときは、自分で自分を守らなければならない。
自殺してはいけない、というのは、いろいろな社会をあなたが選択できるからだ。
競争からおりることは不安があるかも知れないが、おりてしまえば違う世界が見えてくる。
自分を自分のままに活かすことのできる世界と、必ず出逢うことができる。
だから、人を消耗品として使い捨てる世界に適応する必要はない。そこでは頑張らずに力を温存しよう。温存した力を離脱のために使おう。
だから、
心ひそかに誓おう。
こっそりとでいい、自分につぶやこう。
「自分の気持ちにうそはつかない」
「親の理想に自分を合わせない」
「周囲の期待で自分のレールを構築しない」
「自分は自分、親は親、友人は友人」
そして、
「自分のペース以上に、頑張らない!」
・「頑張る家族」劇場