子どもを追いつめる親の「常識」
母親は激怒していた。息子が家を出たのだ。
どんなに大変な思いをして育てたか。
母子家庭だからと世間様から後ろ指指されないように躾もきちんとやってきた。
それなのに、中学に入ってしばらくすると賭けマージャンを始め
大学に入ったもののパチンコ通い…そして…
一体、どんな思いで育ててきたと思っているのか!
S君にとって一日はタイムスケジュールだった。
塾へ行く時間、帰る時間、ご飯を食べる時間、風呂に入る時間、テレビゲームができる時間、果ては寝る時間まで…そう、まるで刑務所のようにいつ何をやるべきかが決まっていた。
友達と遊んでいても遊びに熱中できなかった。刻々、時刻が迫る。遅くなると激怒される。しかし、まだ一緒に遊んでいたい。心の中で葛藤がうずく。
楽しさが勝ったある日、刻限を過ぎた。ええいままよ。生まれて初めて、思いっきり遊ぶことができた。
家が近づくにつれ、緊張で心臓が飛び出しそうだった。
やがて…、嘘をつくことを覚えた。
中学に入って文句を言った。
「私は間違っていない。世間一般の常識を言ってるの。あんたの方がおかしいのよ!」
とりつく島がなかった…。
謝ってほしいことがあった。
「子供になんか謝るわけないでしょ!」
頭にきた…しかし、反論はすべて跳ね返され、もう何を言っても無意味であることを悟った。
マージャンに勝つときが唯一憂さが晴れるときだった。
高校に入ると、なぜかいつもイライラを秘めている自分がいた。
ある時、友人との間の些細なことでキレた。冷静に怒りが爆発した。
それ以降、自分が怖くなった。……
母子家庭ではあったが、楽しい仲間に囲まれた職場、自分が認められる仕事、そして、おしゃべりしてくれる小さいS君がいて、生活は充実していた。
子がわがままでいられるのは、親に対する絶対的信頼があることの証。
子がいい子になっているのは、親に不安があることの証。
母は、子に対する信頼があったために子に対してわがままでいられた。
子は、母に不安があったために、いろいろ話しをする気を使う子になった。
小さいS君は、自分の存在そのものでお母さんを「癒し」、お母さんのわがままを受け入れることでお母さんに「回復」してもらい、話しをすることで積極的にお母さんを支えていた。
つまり、お母さんは、S君から3重の手厚い“支え”をもらっていたのである。S君は、小さな子供であるにもかかわらず、いわば親代わりになってお母さんを支えていた…。
自分が認めてもらえる「事」と「場」、仲間との楽しい「時」、そして「癒しと回復」と「サポート」-お母さんは、その全てを手中にして充実し輝いていた。外でたとえ傷ついても生きてこられたのは、「癒しと回復」と「サポート」-つまり、S君がいたから。
しかし、S君はその全てを剥奪され、監獄の中にいた…。
カウンセリングを重ねる中で、徐々にそういうことがお母さんの中にしみこんでいった。
お母さんにとって、『世間一般の常識』程度のことを言っていたつもりだった。
が、「癒しと回復」の機能が最も重要である家庭の中に『世間一般の常識』を持ち込むことが“間違っていた”。
「お父さんがいいと言ったらいいよ」-父親がいれば、母親は楽ができる。父親がルールだ。
しかし、そのルールは抜けがある。人間だから。
ところが、『世間一般の常識』には抜けがない。世間の垢を落とし、「癒しと回復」ができるはずの家庭の中が「世間」になった。否、むしろ、家の中の方が厳しい-そう、監獄になった。
お母さんは、自分がS君からもらったものを、自分はS君から剥奪したのだ。
S君を世間様から後ろ指指されないように育てるために―。
『息子の悲鳴に訴えに気がつかず、自分は正しいと、・・しなさい!ねばならぬ!と 支配ばかりでした。そして謝れず、息子の言う通りです。
可愛くて、いつも息子の事ばかり考えて、一人前にと言う気持ちは、強かった…気持ちを理解できなかったのは、私の方でした。淋しく悲しかったろうに…』
お母さんは、気づかれた…。
月日が過ぎ、今、それぞれが自律の道を歩まれている。
・「普通」って、何?
・6-5)殴られ続けることが母親への絶望を回避すること(個々人が従う“常識”の正体)
・社会が家族を追いつめている(不登校編)