プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
04 ≪│2017/05│≫ 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

自分の手を描き忘れる子―自分のことが自分でできない子

2006/12/22(Fri) Category : アダルトチャイルド
【禁止令の怖さ①】
最近、自画像を描くときに無意識のうちに自分の手を描き忘れる子供が増えています。中には「手はどうやって描くの?」と訊く子さえいます。子どもの世界に何が起こっているのでしょうか。

あまりにもよく見られる事例ですので、以下に一つの事例を想定してケーススタディしてみましょう(物語風に ^^)。


■--------------------------------------------------
A君は、帰ってくるなりドアを開けっ放し、ランドセルを床に放り出し、遊びに行くときに「靴紐結んでよ!」

お母さんは、その都度「ドアを閉めなさい」「ランドセルを持って行きなさい」と言いつつ手を出していましたが、靴紐に至ってはさすがに「4年生になったんだから、自分でやんなさい!」

すると、A君逆ギレ「早く、結んでよ!!」
お母さんは仕方なく靴紐を結んでやり、「いつまでたっても自分のことが自分でできないんだから…」とひとくさり。


「お母さんはもしかして、A君が小さい頃に、口では体を早く拭いて着替えなさい、と言いつつ、待ちきれなくて自分が体を拭いて着替えさせたりしてませんでしたか?」
「着替えさせてました」
間髪を入れず、当然のように返事が返ってきた。

やっぱり(--;)。
その結果がこのにぎやかな(?)状況である(笑)。



----------------------------------------------------
「お母さんが着替えに手を貸した時、子供は、『あ、自分でやっちゃダメなんだ』って学ぶんですよ」
「え?そうなんですか?!」
「そうですね…。お母さんの手が動いていますからね。自分の手を使ってはいけないんです」

子は親の態度から学んでいる。
言葉は所詮口先のこと。言い聞かせた事で子は動かない。
なぜなら、お母さんが体を拭き、服を着せることによって、「お前が自分でやっちゃダメだ!」と強い「禁止令」を発しているからだ。仕方なく子供は、なすがまま、じっと立っていることになる。



----------------------------------------------------
「先ほど、ドアを閉めろと言いつつ自分で閉め、ランドセルを片付けろと言う先から自分で持って行かれましたね」
「はい」
「するとA君は、あ、これも自分でやっちゃいけないんだ。お母さんの仕事なんだ、と学ぶんです。だから、わざわざドアを開けっ放しにするし、ランドセルも片付けないんですよ」

A君は、体を拭かれた小さい頃から、自分のことなのにお母さんが手を出すことを体験的に学習している。つまり、「自分のこと」=「お母さんが手を出すこと」になってしまっている。だから、お母さんが「“自分のこと”なんだから~」と言えば、もはや自分でやってはいけないことになってしまっている。

もっと言えば、自分に対して口頭で「指示」がきたことの裏には「禁止令」があることを感じている。だから、指示されたことは「やってはいけないこと」になっていくのだ。



----------------------------------------------------
「なぜ、靴紐の件でA君が逆ギレしたか分かりますか?」
「…わかりません」

「今言ったように、A君は小さい頃からずっと“自分のことを自分でするな”としつけられてきたわけです。本当は人間誰だって自分のことを自分でできるようになりたいんです。例えば靴紐結ぶことができれば、いつでも自由に外に出ることができますよね。つまり自由度が増すわけですね。だから、放っておけば人は誰でも自分のことを自分でできるようになるんです。

でも、お母さんが禁止するから、それに従って自分のことを自分でしないように育ったわけです。不自由だから苦しいですよ。にもかかわらず、4年生になったからと言っていきなりやれはないだろう!できないように育てたのはお母さんだろう。なのに今さらなんだ!いきなり掌を返すなよ、という怒りがあるわけですよ」

そう、A君はお母さんの禁止令に忠実に生きてきたのに文句を言われた―とても理不尽な思いなのである。



----------------------------------------------------
なぜこのようになってしまったのか。
その背景には、お母さんの「存在不安」がある。

存在不安のある親は無意識のうちに“子どもが自律できないように”育てる。自分の孤独を見たくないので、いつまでも子をそばに置いておきたいのだ。だから、子どもが自分のことが自分でできるようになってもらっては困るのである。

子どもが何もできなければ、つねに手をかけたり、気にかけたりしなければならない。意識上では愚痴をこぼすが、深層心理はウエルカムなのである。なぜなら、子どもに意識が向いている間は、自分の内側を見なくてすむからだ。つまり、自分の不安を見たくないが故に、自分の意識を“外”に向ける対象がほしい―それがわが子であり、いつまでも“手のかかる子ども”でいてほしいのである。

でも、それは、子ども(命)を自分の道具にすることで、許されないこと。だから、意識上では「手をかけて子育てしている」と思っている。「○○しなさい」と口で言うことは、いわば「私は子どもを自律に向かわせている」という自己洗脳である。

同時に、自分にも子どもにも、私はこのように「言った」とアリバイを作っていることにもなる。だから、子どもが自律できないことが不都合になったときに、子どものせいにできるのである。

(このように、自分は「言った」。後はそれをしなかった相手のせい―という責任逃れの構図は、今や社会にあらゆるところに見られますね)




■--------------------------------------------------
冒頭で書いた「手を描き忘れる子ども」には、母親が自分の手の代わりをやっているという背景があったのです。絵に現れているのは、手をもがれた子どもの悲鳴です。子どもの作品には、子どもの状況がそのまま表れているとつくづく思います。心して子どもの絵を見てみてください。

それから、「子は親の鏡」です。
あなたは、わが子のことを「手がかかる子」「自分のことが自分でできない子」と思っていませんか。その背景には、上記のように自身の存在不安があります。放置すれば、母子の自我が癒着する「母子カプセル」に移行するでしょう。

この悪循環から抜け出すためには…
1,親が自分の不安と向き合うこと(自分から逃げることをやめること)
2,親がこれまで間違っていたことを認め子に謝ること
3,「これは誰の問題か」を常に考え、人の問題に手出しをしないこと

この事例で分かるとおり、人の問題に手を出すということは、その人の成長のチャンスを奪うということなのです。それはカルマを背負うことになります。子に向けていた意識を、自分のIC(インナーチャイルド)に向けましょう。ICを救うことが、わが子を救うことになります。



関連記事
 
Comment1  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

たすけて

まさに私の弟に対する母です。見事なまでに。
しかし私は母にも弟にも憎しみを抱いてここまで生きていますから、実に愉快で仕方ないしザマアミロとしか思いません。

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード