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5-田口ランディさんの兄

2007/01/06(Sat) Category : 見方・考え方・価値観-パラダイム
【心理学的に見た日米&文明】


■「労働」と「所有」----------------------------

少し、寄り道をしたい。

以前、『労働と所有って…… 』と題する田口ランディさんのコラムを読んだことがある。

それによると、彼女の兄は一切の労働を拒否し、ただ横になったまま餓死したそうである。


『兄が生きていたころ、私や両親が兄に言い続けた言葉。それは「働きなさい」だった。特に父と母は口を開けば「働け、働け、働け」と兄に言い続けた。』

そして、働かず家にいる兄に彼女はこう言った。
『お兄ちゃん、この世の中は働かないと生きていけないんだよ。労働して、お金を稼がないと何もできない。あらゆる場所は誰かの所有物で、家でも土地でも自分で獲得するためには、まずお金がないとダメなんだよ。こうしていても水道代もガス代もかかるんだよ。住民税もかかるんだよ。とにかく働かなかったら……日本では生きていけないんだよ』

自分でそう言った瞬間に次のように思っている。
『そう言って、自分の言葉にびっくりしたのだ。そうだなあ……と、改めて思ったのだ。そして、苦しいなあ……と思った。なんだかすごく息苦しいなあ……って。貧乏な家に生まれるってことは、一生涯働き続けてお金の心配をするってことなのかって 』

そして、兄が亡くなった後、次のように思っている。
『私は、「働いてお金を稼ぐって楽しい」と思って二十代、三十代を生きてきた。「おいしい生活」の時代だったから。だけど、いまは、なんだか怖くなる。生きるために、労働と所有以外の、別の根拠が欲しい。「おかしいのはオマエらの方だ」という兄の言葉が、忘れられないんだ』





この田口ランディさんの疑問の中に、今の社会の不自然さが現れている。

ケルト人やブッシュマン(サン族)、インディアンやアイヌに「所有」の概念はないだろう。なぜなら、人もまた生態系の一部と考えているからだ。
自然に生かされていると考える彼らは、自然が創ったもの(自然の恵み)に感謝し、人が創ったモノだけに価値を置いてはいない。

自然は循環するものであって誰のものでもない。だから、自然の一部を切り取って「所有」するなどと言うことを考えない。「所有」という概念がないのだ。




かつて米ソが対立できたのは、同じ土俵(価値)に立つことができたからだ。それは「所有」という概念だ。そして、「私有」が優秀か、「共有」が優秀かで争ったわけである。「所有」という概念を持たない民族にとって、それらの争いは空しいものであり、土俵に登ることさえしない。

ソ連が倒れたのは、資本(私有)vs共産(共有)の闘いに勝敗がついたことを意味しているのではない。本質的には「所有」の概念の文明が行き詰まったことを示している。
その時点で、「開発」と「所有」の競争はおしまいにしなければならなかった。なぜなら、その競争は循環を壊し、地球の息の根を止めていくだけだからである。




3日「ブランドバーグ」(テレビ東京)を見たが、世界最古の砂漠ナミブ砂漠に住むヒンバ族は、アフリカ一頑固な民族といわれているらしい。なぜ頑固かというと生活スタイルを変えないから。彼らは、40人ほどの部族ごとに、自然と共生し家族とともに暮らしていた。

なぜ暮らし方を変えないのかという問いに長老は答えた。
自然と共にある生活、家族と共に生きる喜び-これに勝るものはないのだ、と。


そして、砂漠の中に屹立するブランドバーグ(炎の山)には、4500万年前の「グラディエーター」という昆虫が現在も生きていた。
また、岩に残る壁画に描かれた人々の様子は、現在のサン族(ブッシュマン)の姿と変わらなかった。サン族の青年が「ご先祖に親近感を覚える」と言った言葉が私にも実感として伝わると共に、感動した!

彼らは太古の昔から自然と共に変わらぬ生を営んでいるのである。
彼らの狩りは労働ではない。
そして、狩りをしていないときは、大人も子供も男も女も一緒になって遊んでいる。

彼らは労働をせずに生活をしている。
生活できるのは、自然に生かされる範囲の中で自然を利用する知恵を身につけているからだ。

私は、彼らの生き方が「美しい」と思った。
どこぞの国の生き方を伴わない形だけのスローガンなど足元にも及ばない。




田口ランディのお兄さんと話したいと思った。
彼の言葉が、響く。

「おかしいのはオマエらの方だ」



<続く>

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拒否→餓死

<家族カウンセリング的に見た日本>■1-ケルトとヤマト ■2-アメリカと日本 ■3-「欠乏欲求」の国アメリカ■4-「自己実現欲求」に近... ...

 
 
 

Comment

 

所有権を対象にする質権や根抵当権等の考え方は日本の方が発達してたくらいなんだけど、所有権を特別重視してもいない。

養老律令で原則公地公民なんだけど天平十五年墾田永年私財法で一部所有OK。明治迄律令格式は有効

女子の財産所有権、財産処分権、財産相続権は古代から認められているけど、系譜は男系系譜で 皇位継承も男系女子の継承は認められ世界一女帝が多いんだけど、皇位継承を財産相続と見做して女系継承することは認められない。血縁が離れていても同じ父系血統の傍系が継承出来て、歴代天皇は全て、父の父と父系を辿ると建国伝承で人皇初代とされる神武に行き着く、父系血統による男系継承で皇位は相続財産ではない。

他の国の男系継承は女子に土地所有権が無いため、国土という財産の女子を飛ばす財産相続であるのがほとんど。

一所懸命の土地と言っても、守るのは荘園の土地の管理と年貢徴収の代行権である地頭職。

官位は原則では一代限りで、慣行として世襲が認められ、ヨーロッパの爵位のように嫡長子が相続権を持つ財産相続とは別者。

人身支配も平安時代の延喜格で奴婢身分を廃止して、奴隷の人身所有による人身支配は公的に廃止。人身支配に人身所有権が必要とは考えてませんね。
実質的な人身売買も人身を使役する権利と使役される義務を(納得ずくか無理矢理に)設定して、それを所有したり売買すればいいという考え方。
海外に奴隷として売り飛ばされた日本人も、自分を他人の所有物とされる奴隷の身分とは考えてなくて、使役される義務が消滅したら自由と考えていて裁判してます。

明治迄の日本は所有権が軽視されていた訳ではないけど、所有権が特別重視される権利だったわけでもない。

 

狩りした!

あたやんは今日狩りデビューしたのである(*^◯^*)

いっぱしやなー
いっぱしのあたやんちゃんやなー
あたやんは、あたやんに惚れ惚れしている

狩りは、潮干狩りな(*^◯^*)

あたやん、出てきてから、
「うー、やー!!」って狩りの真似事して遊んでたのに、
大抵のゲンダイブンメイの人間は、狩りしないらしいと聞いて、マジか!?となった
えりこちゃんが、貝なら簡単に採れるよと教えてくれて、
潮干狩ることになった

狩りに向けて、やる気満々だったあたやん
実は、一週間くらい前にも、行った
その時は時間が合わず、潮の関係で採れなかった
…ので、あたやんは砂遊びを満喫した
砂遊びデビューもまだだったのに、狩りする!と情熱を燃やしてたのだった
1匹、ちっちゃーーい貝は見つけたけど、小さすぎたので、リリースした

貝殻も沢山拾った

小さいえりこちゃんも出て、一緒に遊んで、はしゃぎすぎて、
翌日は大えりこちゃん以外電池切れという、最近にしては逆現象だった(笑


今日も、えりこちゃんのお買い物が長引いて、せっかく早起きしたのに、また一番干潮なってるときを逃した
あたやんとのタイミングの合わせ方、えりこちゃんも勉強中らしい
それで、最初は、諦めて貝殻拾いのあたやんちゃんだった


そして、海と闘った
「うー、やー!!」
チビなりの闘志をぶつけて、非常に満たされた
波は跳ね返ってきて、ビショビショになったが、楽しかった


ところが、適当に掘ってるうちに、ついに見つけた!
あさり!
だと思う!

違った!
調べたら、どうもはまぐりらしい!

2匹ゲットした!!

獲ったどーーー!!

海に向かって叫ぶあたやん

今日は雨のちくもりなので人は居なかった

プライベートビーチ状態で、やりたい放題であった


それから、
海の生き物観察会になった
浅い砂浜でも、ちっちゃいちっちゃい、赤ちゃん貝がいっぱいいることに気づいたねん
あさりかはまぐりのベビーたち
ちょっと掘ったら沢山いた
そんで、砂から外に出たら、体を縦にして、潜ってくねん
めーーっちゃ可愛かった


もちろんその子らは獲ってない
あ、カニさんもいた


あた的には、狩りに道具使うの邪道やけどな、
爪とか大分退化してるみたいやし、
クマデ等の道具も使った
道具使わないで掘ったりもした


あのな、
ここのルール、
他の命を取り入れることで、
自分の命を維持するルールやねんな

あたやんが居たところは、そういうんじゃなかった気がするけどな
でも、ここはそういうシステムらしい


せやから、あたやん、
貝ちゃんには悪いけど、狩りデビューしたねん
いっぱい謝って、ありがとうも言った


今砂抜きしてる
明日食べる

バターで炒めていただく



しんみり真剣にもなるけど、
狩りは素晴らしい


アフリカの砂漠のヒンバ族いいな
あたやんそこ住みにいこか?(*^◯^*)
さすがに、えりこちゃんに止められるか

砂漠やから、貝ちゃんはおらんやろな
何狩るんだろな〜

 

精神的な「所有」っていうのが厄介

その通りですね(↑そのままタイトルに拝借 ^^;)。

すべての「所有」の根っこには気持ちが何かを所有したいというのがあるのでしょう。

自分の所有衝動の背景にどのような空洞があるのかに気づくことが、なかなかできないので厄介です。

 

時々言っておられる「to have or to be (do)」ってことですか? お金の「所有」、不動産の「所有」、モノの「所有」っていうのはわかりやすいんですが、精神的な「所有」っていうのが厄介だと思ってます。上司とう名のもとに部下を「所有」したり、親という名のもとに子供を「所有」したり、夫婦という名のもとに配偶者を「所有」したり、先生という名のもとに生徒を「所有」したり、政府という名のもとに国民を「所有」したり。気がついてみたらそういうことが起きていたら怖いことだなと思っていて、実際にそういうことは良くおきているのだと思います。もし勘違いしていたらすみません。

 
    
 
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