「18歳軟禁女性」と「スーザン」と「少年A」
それを『3、4歳時に病気にかかり発育不順』と関連させるような記述のニュースもあった。
心理学を学んでいる方は、スーザンという女の子の記録映画「セカンド・チャンス」を見た方もいるだろう。
まもなく2歳になるスーザンという女の子が入院した時、体重は5ヶ月児、身長は10ヶ月児。その上、歩くどころか這うこともカタコトをしゃべることすらもできなかった。
あらゆる検査を行うが、これと言って異常は見つからない。「何がこの子の発達を阻害しているのか?」―原因がわからず困惑した医者は、3週間もの間一度もスーザンに会いに来なかった両親に気づく。医者は両親を呼んで面会し、そしてついに病名をつけた。
『母性的愛情欠乏症候群』
医者は確信した。この子の成長を阻害させているのは機能の問題ではない。「愛情不足」が原因だ!
病院はボランティアで看護士を募り、付きっきりで、なでたりさすったり、抱っこしたり話しかけたりという「ストローク」を与え始めた。
ストロークとは、「その人の存在を認める働きかけ」のことである。
すると、最初は無表情で取り付くしまもなく看護士を敬遠していたスーザンだったが、太陽に当たって急速に溶けていく氷のように表情が解けていった。
そして、乾燥状態の中、固い殻に覆われて成長を止めていたタネが、水を吸って見る見る芽吹くように驚くべき成長を遂げる。わずか2ヶ月で身長は5センチも伸び、そして、一人で病院の廊下を歩き始めるところで映画は終わる。
この症例は、2つのことを教えてくれる。
1つは、「人は無視されると生きる意欲をなくす」ということ。
存在を軽視することを「ディスカウント」という。
人の価値を“値引いて”見るという意味で、ストロークとは対極の概念だ。その最たる行為が殺人であり、無視である。スーザンは、存在を無視されていた。
もう1つは、「心身一如」であるということだ。
ディスカウント(軽視・無視)され、心に愛情という栄養が欠乏したとき、つまり「ストローク飢餓」にあれば体も成長しない。言い換えれば、正常な発育をしないことも、身体に現れた愛情欠乏のサインなのである。
しかし、母親が日常的に暴力を振るっていたわけではなく食事を与えるなどの世話もしていたので、虐待の一種であるネグレクト(養育放棄)とはみなされていない。
私は、「少年A」を思い出した。
一見、溺愛とさえ見える母親の姿はネグレクトには見えない。しかし、Aは母親という『石垣』によってこの社会から隔離され、さらにその石垣の中で心理的にネグレクト(放置)されていた。
母親は外から少年Aを解釈するばかりで、決してAの気持ちを聴こうとはしなかった。気持ちを無視され、親の躾どおりロボットのように動かされる―つまり、日常的にディスカウントされていた。Aも身体が小さく貧弱であり、身体にサインが現れていた。
Aは、自分の気持ちを誰も知る人のない「透明な存在」にならざるを得なかった。絶対零度の孤独。その乾ききって干からびた心の空洞の中に生まれた“ストロークに飢えた鬼(餓鬼)”―それが「酒鬼薔薇」だった…。
私は、酒鬼薔薇が生まれたカラクリを詳細に分析し、そして同じ過ちを犯さぬよう、また自分が無意識にやっているかもしれないことに気づくきっかけとなるためにも、虐待の定義の中に「無意識裡の心理的ネグレクト」を入れるべきだと拙著『あなたの子どもを加害者にしないために』の中で提案した。
意味は、「無意識のうちになされる心理的放置」「心の食べ物であるストロークを与えないこと」。
行動としては、「相手の気持ちを聴こうとしないこと」である。
『発育の遅れ』を理由にする前に、スーザンと同様、遅らせる原因となった母親の心理的ネグレクト(によるストローク欠乏)があるのではないか。
存在感のなかった少年Aの父親と同様、『留守がちだった』という家庭不在の父親のあり方があるのではないか。
『外に出すのが恥ずかしかった』『周囲への迷惑が気になった』という背景に、“普通”を追い求め異質を排除しようとする、狭量な完ぺき主義社会の気風があるのではないか。
そして、地域から切り離されてバラバラになりブラックボックスと化してしまった核家族と、結局ハコはあっても救う機能を持たない社会システムがあるのではないか。
問題が起こるたびに議論が巻き起こる。
が、結局放置されては次の事件に移っていく。なぜ、結果的に“許容”されているのか。
それは、バラバラにし均質にすることが「比較」と「競争」を生むからではないか。多様であれば比較はナンセンスであり、安定したコミュニティがあれば競争ではなく共同&協働に向かう。
行過ぎた効率競争の挙句のJR西日本の事故。
行過ぎたコスト競争の挙句の殺人マンション。
いい加減に気づけ!というサインがこれでもかと現れているにもかかわらず、価値観はなかなか変わろうとしない。サインというものは、気づくまで続きエスカレートしていくものだ…。
誰が犯人なのでもない。
いわば、全員がこの価値観の犠牲者。
犠牲になった時に人は気づく。
これが本当に求めていた幸せだったのかと。
しかし、犠牲者の側に立たなければ価値観の信望者であり続ける。
変わるために必要なものは、「想像力」。
「相手の身になって考えてみなさい」―そういう言葉が日本の家庭から消えて久しい…。
そして、以前書いたように壊れかけている家庭は、今や日本全国にあると思う。
ともあれ、この女性に、スーザンと同じように『セカンド(第2の)チャンス』が与えられんことを祈りたい。それは、ストローク(愛情)をふんだんに与えること。
そして、この社会にセカンド・チャンスが与えられんことを祈りたい。先ず、お父さん。たまには早く帰って、お母さんの気持ちを聴き、そして子どもの様子をニコニコと黙ってみてあげて欲しい。
一人ひとり、できるところから始めよう。
★母性的愛情欠乏症候群』
現在では、「愛情遮断症候群」や「愛情遮断性低身長症」「愛情遮断性小人症」として知られています。
★ディスカウントについて
・子育て心理学:第3部 7)人がディスカウントされる場が「崩壊基地」
★ストローク飢餓について
・子育て心理学:第4部 5)「ストローク飢餓」に陥った人は「ゲーム」を仕掛ける
#242[時事]障害を持つは恥か
最近ニュースやテレビを見ることが減ってしまったため、ここ最近のニュースをネットで色々と見ておりました。そんな中目に飛び込んできたのが1週間ほど前の「母親が18歳の娘を11年以上幽閉してきた」という記事。詳しい内容は知りませんが、どうやら娘には重度の障害 ...