「短大生遺体切断事件」2.監獄の子供たちの精神世界
2007/01/20(Sat) Category : 少年犯罪・家族事件簿
【「短大生遺体切断事件」目次】
★3.監獄の中の存在不安と承認欲求----------------------------------
自らが道具として生きている母親は、自分では全く自覚がないままに「人」を「道具」にしてしまいます。気持ちを受け止めてもらえず、やるべきことを押しつけられ管理と監視の中に置かれるということは、「人間の尊厳」を踏みにじられることに他なりません。それは、同じように扱われる場所-そう、監獄を思い浮かべればよく分かると思います。
私は、家という監獄の中で生きることになった子供たちの、凄まじい精神世界を知っています。そこから類推すれば次のようになります。
親の期待を一身に背負った長男に、人生を選択する権利は与えられていません。自分の気持ちを大事にして行動することも許可されていません。この世にようやく生まれてきた赤ちゃんの目の前には、ただ、歯医者になるための課題をこなしていく道だけしか敷かれていないのです。
気持ちとは自分そのものです。
ですから気持ちを受け止めてもらえないということは自分を認めてくれないということと同義であるため、2つの感情がわき起こります。
一つは、あるがままの自分を認めてくれないことに対する不安(存在不安)です。
もう一つは、自分を認めてほしいという強烈な欲求(承認欲求)です。
しかし、子供はそれを抗議する知識も言葉も持ち合わせていません。ときにストレスが高じて感情的に爆発することがあっても、全く自覚がない相手(母親)には、その抗議が通じません。やがて学習性無力症となり、あきらめていくことになります。
★4.緊張と強迫観念の中で発生するいじめ----------------------------
また一つの道以外を親が認めていないということは、その道を踏み外したら親から見放されるということです。親は無意識ですが無言の“脅し”をかけているのと同じです。そのため、常に緊張と強迫観念の中で生きていくことになります。
それはとても苦しいのですが、どのような子供も親に認めてほしい、親に見捨てられまいと思っているので、あきらめと無力感が同居したまま、レールの上を走り続けざるを得ません。
そして、これらの苦しさのはけ口がより弱い者へと向かいます。
ある女の子は、学校でいじめを繰り返し、ある時「ムシャクシャして」同級生の上履きをカッターナイフでズタズタに切り裂きました。切り裂かれた子供は、怖くなって転校しました。
また、ある子は末弟を徹底して標的にしました。間に立たされた2番目の子は、母親がバックについている長子に逆らうことができず、長子の側に立たざるを得ませんでした。そして、成人して以降、なんと高校時代以前の記憶が全く喪失しているのです。
記憶喪失は自己防衛の反応です。その記憶が自分を壊すことになるかも知れないほどに苛酷である場合、人は自分を守るために記憶を消します。つまり、それほど苛酷な“いじめ”があったということを物語っています。
家という監獄の中で、恐らくこのような生き地獄の中に子供たちは置かれていたはずです。実際に記事から見てみましょう。
★3.監獄の中の存在不安と承認欲求----------------------------------
自らが道具として生きている母親は、自分では全く自覚がないままに「人」を「道具」にしてしまいます。気持ちを受け止めてもらえず、やるべきことを押しつけられ管理と監視の中に置かれるということは、「人間の尊厳」を踏みにじられることに他なりません。それは、同じように扱われる場所-そう、監獄を思い浮かべればよく分かると思います。
私は、家という監獄の中で生きることになった子供たちの、凄まじい精神世界を知っています。そこから類推すれば次のようになります。
親の期待を一身に背負った長男に、人生を選択する権利は与えられていません。自分の気持ちを大事にして行動することも許可されていません。この世にようやく生まれてきた赤ちゃんの目の前には、ただ、歯医者になるための課題をこなしていく道だけしか敷かれていないのです。
気持ちとは自分そのものです。
ですから気持ちを受け止めてもらえないということは自分を認めてくれないということと同義であるため、2つの感情がわき起こります。
一つは、あるがままの自分を認めてくれないことに対する不安(存在不安)です。
もう一つは、自分を認めてほしいという強烈な欲求(承認欲求)です。
しかし、子供はそれを抗議する知識も言葉も持ち合わせていません。ときにストレスが高じて感情的に爆発することがあっても、全く自覚がない相手(母親)には、その抗議が通じません。やがて学習性無力症となり、あきらめていくことになります。
★4.緊張と強迫観念の中で発生するいじめ----------------------------
また一つの道以外を親が認めていないということは、その道を踏み外したら親から見放されるということです。親は無意識ですが無言の“脅し”をかけているのと同じです。そのため、常に緊張と強迫観念の中で生きていくことになります。
それはとても苦しいのですが、どのような子供も親に認めてほしい、親に見捨てられまいと思っているので、あきらめと無力感が同居したまま、レールの上を走り続けざるを得ません。
そして、これらの苦しさのはけ口がより弱い者へと向かいます。
ある女の子は、学校でいじめを繰り返し、ある時「ムシャクシャして」同級生の上履きをカッターナイフでズタズタに切り裂きました。切り裂かれた子供は、怖くなって転校しました。
また、ある子は末弟を徹底して標的にしました。間に立たされた2番目の子は、母親がバックについている長子に逆らうことができず、長子の側に立たざるを得ませんでした。そして、成人して以降、なんと高校時代以前の記憶が全く喪失しているのです。
記憶喪失は自己防衛の反応です。その記憶が自分を壊すことになるかも知れないほどに苛酷である場合、人は自分を守るために記憶を消します。つまり、それほど苛酷な“いじめ”があったということを物語っています。
家という監獄の中で、恐らくこのような生き地獄の中に子供たちは置かれていたはずです。実際に記事から見てみましょう。