「積み木くずし」の真相
2005/09/04(Sun) Category : TV.本.漫画
「私は大丈夫だから…」
この言葉が切ない。
悲しい。
---------------------------------
娘は、薬の副作用で茶髪になった。
が、父親が俳優だから突っ張ってると勘違いされて目をつけられ、剃刀で顔に傷をつけられた上暴行を受ける。
屈辱、憎しみ、そして怒り…その全ては父親に向けられた。
親を困らせるための人生が始まる。
家庭は崩壊し…
そして、今度は父親に償うため、世間の逆風の中、
懸命に普通の子どもに戻る人生を始める。
離婚した親それぞれを気遣い、見守り、自身は親のために精一杯努力した。当然身体は持たない。
母親は腎臓を提供して娘を救い、そして、
娘に迷惑をかけまいと病弱の身の命を自ら絶った。
生きているからこそ張りがあるのだ。
ラクになりたいから働くのではなく、張りのために働いているのだ。
命は生かし合わなくてはだめだ―
母親からもらった命。
が、不治の病が蝕んで。
しかし誰にも言わず、父親のために最後まで命の炎を燃やし続ける。
そして、その娘もある朝冷たくなっている―
凄絶な「愛情」の物語。
母は生命をかけて娘を守り、
娘は人生をかけて父親に償おうとした。
が、この物語の舞台に、主人公であるはずの父親は登場しなかった…
---------------------------------
妻のことも娘のことも知らなかった。
(だから、娘は荒れ、妻も別れたのだ…)
父親をしていなかったがゆえに
父親としての自信を失った主人公は、
出所後の娘と同居することを拒む。
確執を経た後だけに、おいそれと元の鞘に収まるわけには行かないだろうが、それでも家族が力を合わせれば・・・せんないたわごとである。
元妻の死にも立ち会わず、
娘の癌も知らず、
彼が娘の姿を知るのは、大勢の弔問客からだ。
こんなにも多くの他人が娘のことを知っているのに、唯一の肉親である父親自身が何も知らなかった。
さらに、娘が暴れ始めた理由を知るのは、他人に託された遺書ともいうべき手記を読んでからだった。
---------------------------------
娘は、妻は、ただ愛情がほしかったのだ。
きっかけがどうあれ、
娘は愛情がほしくてぐれ、
妻は愛情を得られないから別れた。
そして
母は娘に愛情を注ぎ、
娘は両親に愛情を注いだ。
また、つくづく思う。
子の親への愛情は、親の子に対する愛情よりもはるかに深い、と。
---------------------------------
この家族の物語は、深く私をえぐる。
ヒプノセラピーをやったときのこと。
ぼんやりとしたイメージから得たメッセージ。
都市国家ポリスの重要な女神像を作る監督のような仕事。
髪の長い屈強な古代ギリシャ人が満足気に完成した町のシンボル―巨大女神像を下から眺めている。
死ぬ場面―まだ死ぬ齢ではない。
周りに集う親類縁者。
不意に強い後悔が襲う。
それは、
自分の身近にいる人のことをよく知らないままに死んでいくことへの後悔だった―
自分が成し遂げたこと、残したもの―それらはどうでもいいことだった。
最も大切なことは、自分の身近にいる人の人生を深く知ること―そう、痛切に感じた。
---------------------------------
私は、何事かを成し遂げたいとは思わないし、名を残したいなんてさらさら思わない。
この世に生きて何が楽しいか。
深くかかわる人間がいてこそ楽しいのである。
ルパンと銭形のように互いがいるから祭りを続けられるのだ。
親しい人間がどんどん死んでいったら、そろそろお暇の時間と思うことだろう。
---------------------------------
しかし、まだ私は妻のことを深く知っているわけではない。
子どもたちの思いも深く知っているわけではない。
そして、父や母の戦時体験や若い頃のこともじっくりとは聞いていない。
それぞれのドラマを聴きたいと思う。
書き留めたいと思う。
ただ、それをする時がいつくるのか。
親からきちんと“引継ぎ”をしなければ。
妻子から、思いをきちんと受け止めなければ。
そう思うのだが、
なかなかね…。
だけど、
この物語のような不幸を繰り返してはならない。
穂積家が教えてくれてた、凄絶な愛情の教訓。
自分に甘えてはいられない。
だが、無理なく進むしかない。
歩みを止めることなく―
【追記】
上記は、「積木くずし真相 〜あの家族、その後の悲劇〜」(フジテレビ)を見て書いた感想ですので、主に父親に焦点が当たっており、背景に隠れている母親のことには触れていません。母親の人生脚本が見えてきた時に、真実の全容が姿を現すでしょう。
本当の真相は下記をご覧ください。↓
【2012.11.27追記】
・「積木くずし 最終章」のメッセージ
この言葉が切ない。
悲しい。
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娘は、薬の副作用で茶髪になった。
が、父親が俳優だから突っ張ってると勘違いされて目をつけられ、剃刀で顔に傷をつけられた上暴行を受ける。
屈辱、憎しみ、そして怒り…その全ては父親に向けられた。
親を困らせるための人生が始まる。
家庭は崩壊し…
そして、今度は父親に償うため、世間の逆風の中、
懸命に普通の子どもに戻る人生を始める。
離婚した親それぞれを気遣い、見守り、自身は親のために精一杯努力した。当然身体は持たない。
母親は腎臓を提供して娘を救い、そして、
娘に迷惑をかけまいと病弱の身の命を自ら絶った。
生きているからこそ張りがあるのだ。
ラクになりたいから働くのではなく、張りのために働いているのだ。
命は生かし合わなくてはだめだ―
母親からもらった命。
が、不治の病が蝕んで。
しかし誰にも言わず、父親のために最後まで命の炎を燃やし続ける。
そして、その娘もある朝冷たくなっている―
凄絶な「愛情」の物語。
母は生命をかけて娘を守り、
娘は人生をかけて父親に償おうとした。
が、この物語の舞台に、主人公であるはずの父親は登場しなかった…
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妻のことも娘のことも知らなかった。
(だから、娘は荒れ、妻も別れたのだ…)
父親をしていなかったがゆえに
父親としての自信を失った主人公は、
出所後の娘と同居することを拒む。
確執を経た後だけに、おいそれと元の鞘に収まるわけには行かないだろうが、それでも家族が力を合わせれば・・・せんないたわごとである。
元妻の死にも立ち会わず、
娘の癌も知らず、
彼が娘の姿を知るのは、大勢の弔問客からだ。
こんなにも多くの他人が娘のことを知っているのに、唯一の肉親である父親自身が何も知らなかった。
さらに、娘が暴れ始めた理由を知るのは、他人に託された遺書ともいうべき手記を読んでからだった。
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娘は、妻は、ただ愛情がほしかったのだ。
きっかけがどうあれ、
娘は愛情がほしくてぐれ、
妻は愛情を得られないから別れた。
そして
母は娘に愛情を注ぎ、
娘は両親に愛情を注いだ。
また、つくづく思う。
子の親への愛情は、親の子に対する愛情よりもはるかに深い、と。
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この家族の物語は、深く私をえぐる。
ヒプノセラピーをやったときのこと。
ぼんやりとしたイメージから得たメッセージ。
都市国家ポリスの重要な女神像を作る監督のような仕事。
髪の長い屈強な古代ギリシャ人が満足気に完成した町のシンボル―巨大女神像を下から眺めている。
死ぬ場面―まだ死ぬ齢ではない。
周りに集う親類縁者。
不意に強い後悔が襲う。
それは、
自分の身近にいる人のことをよく知らないままに死んでいくことへの後悔だった―
自分が成し遂げたこと、残したもの―それらはどうでもいいことだった。
最も大切なことは、自分の身近にいる人の人生を深く知ること―そう、痛切に感じた。
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私は、何事かを成し遂げたいとは思わないし、名を残したいなんてさらさら思わない。
この世に生きて何が楽しいか。
深くかかわる人間がいてこそ楽しいのである。
ルパンと銭形のように互いがいるから祭りを続けられるのだ。
親しい人間がどんどん死んでいったら、そろそろお暇の時間と思うことだろう。
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しかし、まだ私は妻のことを深く知っているわけではない。
子どもたちの思いも深く知っているわけではない。
そして、父や母の戦時体験や若い頃のこともじっくりとは聞いていない。
それぞれのドラマを聴きたいと思う。
書き留めたいと思う。
ただ、それをする時がいつくるのか。
親からきちんと“引継ぎ”をしなければ。
妻子から、思いをきちんと受け止めなければ。
そう思うのだが、
なかなかね…。
だけど、
この物語のような不幸を繰り返してはならない。
穂積家が教えてくれてた、凄絶な愛情の教訓。
自分に甘えてはいられない。
だが、無理なく進むしかない。
歩みを止めることなく―
【追記】
上記は、「積木くずし真相 〜あの家族、その後の悲劇〜」(フジテレビ)を見て書いた感想ですので、主に父親に焦点が当たっており、背景に隠れている母親のことには触れていません。母親の人生脚本が見えてきた時に、真実の全容が姿を現すでしょう。
本当の真相は下記をご覧ください。↓
【2012.11.27追記】
・「積木くずし 最終章」のメッセージ