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押しつけのパラドックス(5)-本当の自分を映し出す「鏡」

2007/03/26(Mon) Category : 自律(自由と責任)への道
【押しつけのパラドックス】

親という頸木(くびき)から解き放された世界で、自分を取り戻す人は沢山いる。
自分の中に棲んでいる「親の目」を消し去ってほしい。

すると、あら不思議。
「暗くひねくれてぼーっとした」子はいなくなる。

あれ? 今まで現実と思っていたあの子は幻想?…

そう、親という歪んだ鏡に映っていた自分の姿。
自分が歪んでいたのではなく、親という鏡が歪んでいたのだ。
まっすぐ映し出してくれればいいものを、鏡の方が特定の部分だけを強調して見せていたのだ。その歪(いびつ)な姿が自分だとすっかり思いこませられてしまっていたのである。





鏡の歪みを正すことは、親子という関係である限り難しい。
それに、大人になったあなたに、もはや親という鏡は必要ない。

取るべき道はふたつある。
1つは、鏡を借りずに自分の目で自分の姿を見ること。
1つは、いろんな鏡に自分を映し出してみること。

自分の目で自分を見る-これが存外に難しい。
自分の目で自分を正しく見るためには、自分の目の曇りをとらなければならない。なぜなら、既に自分の中に親が棲んでいるので、目にもフィルターがかかってしまっているからだ。
どういうフィルターがかかっているかを自分で気づくために行うのが、自分の棚卸しだ。

次に、親がそうであるように、「人」は自分を映し出す「鏡」だ。
人はそれぞれの屈折率で自分の姿を反射してくる。自分に見えない思いもよらない部分を映し出してくれもする。だから、いろいろな人に接すれば接するほど自分の姿が立体的に見えてくる。

できれば、ありのままの自分を映し出してくれる濁りや歪みのない鏡に出逢うことが最も良いだろう。でも…なかなかいない? そう、なかなかいない。外に探そうとしてもね…。

だけど、実は最も身近にいる。

そう、「我が子」だ。

子供の状況が、実は自分の姿を最も正確に現している。
だから私は言っている。

「子供の振り見て、親振り直せ」
と。







子育て心理学:第3部 4)登校拒否の理由-「子は親の心の鏡」
部屋は心の鏡




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nostalgiaさんが、今の日本の裁判制度が無意識は意識より罪を軽くすることに疑問を呈していらっしゃるのを見てネットのどこかで読んだことを思い出したのだけど、GHQが「修身」を廃止にして「道徳教育」にさせたのは悪意だと。 まあ、実際に教えられた内容の問題は別として、

「修身」は、自ら心を正して自分で身を修められるようになって道徳的に生きられるようになることが授業の目的なのがはっきりしているけど、

「道徳」は
道徳という規範、ルールを覚えさせる。つまり規範、ルールを一方的に押し付けてそれに従わせることを教育の目的にするので、

規範、ルールやそれらの元になっている価値観を一方的に押し付けられたら人間が壊れちゃうから、やってはいけないことを学校の全教科の授業でやれとGHQは命令したのだというようなことでした。

で、そうだとすると、nostalgiaさんの御指摘だけど、
義務教育の「修身」で、身の修め方を学んでいるとなると、無意識に支配されて犯罪を犯すようなことは罪ですよね。「修身」は元々公民教育に必要な教科「らしい?!」とフランス学制から取り入れた教科です。

これが「道徳」だと、
道徳という規範は知ってて、道徳に従わなければいけないことも知ってるから、犯罪を犯してはならないことも知っているけど、無意識に支配されて犯罪を犯してしまったのは罰さないか情状酌量で減刑でないとおかしいですよね。

で、「修身」だったら、中尾先生とかが広めようとしている知識の習得と理解を学習の目的の一つとして、授業で半年分くらいのボリュームになるような内容を教えるように、文科省が学習指導要領に書くなんてことも素直に出来る。

でも、「道徳」だと
同じことするのはちょっと厳しい。教えてもいい、教えた方がいいくらいで、学習の目標にするのは素直じゃない。

一方で「道徳」を教える教科は、道徳という規範を教えればいいんだから、特定宗教の道徳規範を教える教科である「宗教」としてもよいという怪しい理屈を私学が出して押し通し。キリスト教神学部の授業を受けて「宗教」の教員免許を取る制度が作られた。宗教別に私学を見ると憲法違反の私学助成を一番多く受けているのがキリスト教なんで、そういう憲法違反も押し通せたのかなと。GHQも「道徳教育」に宗教教育は重要と認識するよう指示してます。

「修身」だと、自発的に道徳規範に従えるようになる能力を養うのだから、従う道徳規範を自分で適切に決める能力を持たてないといけない。
特定宗教の道徳規範だけ教えることは出来ないし、宗教ごとの道徳規範を教えるなら、その特徴や長所短所等も併せて批判的に教えて、各宗教の道徳規範を自分で評価出来る能力を持つために教えないといけないことになるでしょうか。

 

自分を誇りに思ってください

『優しい子たちに育ってくれている』のであれば、ひめさんが愛情深く心優しい方だと言うことです。

親の否定的な刷り込みにも負けずに「今、ここ」に居る自分をホコリの思ってください。

 

あぁ、よくわかります

nostalgiaさんのその気持ち。

その番組の姿勢もひどいものですね。ものの見方の底が浅い。
混乱を拡大させるだけです。
なにが後押しして、そういう番組が出来たんだろうか?

 

凹んでましたが

親に自分の性格の悪さを散々言われ、かなり凹んでましたが
自分の子供たちはどうにか優しい子たちに育ってくれているので安心しました。
今度、親に性格の悪さを言われたら、子供たちがどう育ってるかを見て!と言ってみます。

 

昨夜のtv asahiの番組を観て

中尾先生のブログ、毎回とても勉強になります。
無意識が状況を生み、そこに置かれた人は、自我を押し殺されていく。仕事や子育てをしていて、そんな構造をよく感じることがあります。
この国の裁判制度では無意識は意識より罪が軽いですが、果たしてほんとうにそうなのか?
と思うこともしばしです。
昨日、大阪で深夜0:00頃に放送されていたtv asahi制作の番組で、名古屋のホームレスの若者に団塊世代ぐらいの「経済ジャーナリスト」と云う肩書きの男が、頭ごなしに自分の価値観を押し付けているシーンを見て、怒りを覚えました。
番組名もこの男の名前も残念ながら失念してしまいましたが、その若者が「なぜその場所に自分の居場所をみつけることになったのか」と云う、当人の状況が無視されており、「若者のホームレス=異常、悪、若者のせい」と云うキーワードに終始し、番組の造りそのものが「団塊の価値観のおしつけ」の連発で、最後にそのジャーナリストは「日本はどうなるのでしょうか」的な無責任な発言で終わりました。

一体誰が創ってきた時代なんでしょう。
そして、これからの時代は、次の世代=我々自身が創ります。団塊の皆さんは、さっさと引退してうしろから黙ってみててください。
と、こころの中で思ったのでした。

 
    
 
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