押しつけのパラドックス(5)-本当の自分を映し出す「鏡」
親という頸木(くびき)から解き放された世界で、自分を取り戻す人は沢山いる。
自分の中に棲んでいる「親の目」を消し去ってほしい。
すると、あら不思議。
「暗くひねくれてぼーっとした」子はいなくなる。
あれ? 今まで現実と思っていたあの子は幻想?…
そう、親という歪んだ鏡に映っていた自分の姿。
自分が歪んでいたのではなく、親という鏡が歪んでいたのだ。
まっすぐ映し出してくれればいいものを、鏡の方が特定の部分だけを強調して見せていたのだ。その歪(いびつ)な姿が自分だとすっかり思いこませられてしまっていたのである。
鏡の歪みを正すことは、親子という関係である限り難しい。
それに、大人になったあなたに、もはや親という鏡は必要ない。
取るべき道はふたつある。
1つは、鏡を借りずに自分の目で自分の姿を見ること。
1つは、いろんな鏡に自分を映し出してみること。
自分の目で自分を見る-これが存外に難しい。
自分の目で自分を正しく見るためには、自分の目の曇りをとらなければならない。なぜなら、既に自分の中に親が棲んでいるので、目にもフィルターがかかってしまっているからだ。
どういうフィルターがかかっているかを自分で気づくために行うのが、自分の棚卸しだ。
次に、親がそうであるように、「人」は自分を映し出す「鏡」だ。
人はそれぞれの屈折率で自分の姿を反射してくる。自分に見えない思いもよらない部分を映し出してくれもする。だから、いろいろな人に接すれば接するほど自分の姿が立体的に見えてくる。
できれば、ありのままの自分を映し出してくれる濁りや歪みのない鏡に出逢うことが最も良いだろう。でも…なかなかいない? そう、なかなかいない。外に探そうとしてもね…。
だけど、実は最も身近にいる。
そう、「我が子」だ。
子供の状況が、実は自分の姿を最も正確に現している。
だから私は言っている。
「子供の振り見て、親振り直せ」
と。
・鏡
・子育て心理学:第3部 4)登校拒否の理由-「子は親の心の鏡」
・部屋は心の鏡