志を受け継ぐ
2007/04/03(Tue) Category : 人生・世代
73歳で急逝された岡本先生の遺志を受け継ぎ、産業カウンセラー資格者の勉強会をもう一人の仲間と共に引き受けることにした。奇数月第3土曜日に逐語訓練他を行う。
先日お久しぶりにライフスクエアのSさんや「フラッシュバック」を書かれた高橋さんにお会いした。
あの時Sさんは、いつものように私のサイトに来て「突然の訃報」の記事を読み始めた瞬間、パタッとネットを閉じ、胸騒ぎの中、またネットを開き、そしてまた閉じ…そういうことを繰り返していたそうだ…。
Sさんは、つい1週間ほど前に元気な岡本先生に会っていたばかりだった。
そのSさんから、岡本先生の卒論をいただいた。
先生は、1996年に会社を退職された後、放送大学に入学し、爾来10年間(!)「発達と教育」を専攻されて学び続けられたのである。Sさんは、産業カウンセラー受験のために先生からお借りしていたとのこと。棺には放送大学の卒業証書が収められていたそうだ。
その卒業研究のテーマが
「カウンセリングにおける傾聴の意義」
そこには、ご自身がカウンセリングを学び始めた若かりし頃の思いから、今後の抱負に至るまでの人生の縮図が描かれていた。
『当初は1~2年で聴くことが出来るようになるのではないかと、軽い気持ちで始めたが、とても奥が深く簡単なものではないということが、勉強を続けているうちに分かってきた』
『修練を続けていくうちに、少しづつ人の気持ちを受け止めることが出来るようになっていく自分に、喜びを感じるようになっていった』
『学んだものは沢山あるが、一番身についたというか、最も大切なものと感じているのは「傾聴」である』
『カウンセリングの場にあっては、無の心境とでも言うか、これまでの何十年間か培われてきた枠から脱却した素朴で純真な気持ちで、ひたすら聴くことによって、クライエントは初めてしがらみを自覚し、そこから抜け出すことが出来るのである』
『信頼関係ができクライエントが自己防衛する必要がなくなると自己概念を頑なに信じる必要がなくなってくる』
『傾聴は「テクニック」ではなく「心構え」の問題である』
『クライエントが持っている本質的な価値を心から認め、相手を独自の存在として尊重するという心構えがあってこそ、よい聴き手になることができる』
『受講生の殆どが、初めは苦痛だったけれど、この勉強をして本当に良かったと言ってくれるのも、私の生き甲斐やり甲斐になっている』
『(逐語検討は)長年やったからと言って、これで終わりということはない。時が変われば話題も変わり、受け止め方も変わってくる。いつも新鮮な気持ちで集中して聴くことが出来るようになるためには、たゆまず、続けていくしかないと私は思っている』
『私は以前、茶道を習っていた。茶の湯は亭主が誠心誠意客をもてなし、客もまた亭主の心づくしを快く受け、万事慎ましく、控えめがちに動作することに意義があり、この相互の心遣いが一心一体になる。これはカウンセリングの「今、ここでの思い」と相通じるのではないかと思う』
『カウンセリングをアートにまで近づけられたら、本当に素晴らしいと思う。そのために今後とも研鑽を続けていきたいと思っている』
涙がにじんだ。
声が聞こえてくるようだった。
そして、
「倒れて後やむ」
-坂本龍馬を思い出した。
72歳にして尚、『今後とも研鑽を続けていきたいと思っている』-
そのSさんも、『急に「受けてみよう」という気持ちになり』『岡本さんが後押ししてくださって』試験を受け、見事合格された。岡本先生が力を貸してくださったのだと思う。
Sさんもシニア産業カウンセラーを目指されているが、受講資格が得られるのは70歳頃だという。『いろいろな講座などにも、お金と相談しながらなるべく参加しようと思っています』と意気は高い。
人間、年齢は関係ないとつくづく思う。
お二人の先達の前進する姿から勇気をもらった。
「始むるに遅すぎること無し」
気づいたときから、人は新たな人生をスタートさせることができる。
みんな! 生き直しはできるんだよ~!!
先日お久しぶりにライフスクエアのSさんや「フラッシュバック」を書かれた高橋さんにお会いした。
あの時Sさんは、いつものように私のサイトに来て「突然の訃報」の記事を読み始めた瞬間、パタッとネットを閉じ、胸騒ぎの中、またネットを開き、そしてまた閉じ…そういうことを繰り返していたそうだ…。
Sさんは、つい1週間ほど前に元気な岡本先生に会っていたばかりだった。
そのSさんから、岡本先生の卒論をいただいた。
先生は、1996年に会社を退職された後、放送大学に入学し、爾来10年間(!)「発達と教育」を専攻されて学び続けられたのである。Sさんは、産業カウンセラー受験のために先生からお借りしていたとのこと。棺には放送大学の卒業証書が収められていたそうだ。
その卒業研究のテーマが
「カウンセリングにおける傾聴の意義」
そこには、ご自身がカウンセリングを学び始めた若かりし頃の思いから、今後の抱負に至るまでの人生の縮図が描かれていた。
『当初は1~2年で聴くことが出来るようになるのではないかと、軽い気持ちで始めたが、とても奥が深く簡単なものではないということが、勉強を続けているうちに分かってきた』
『修練を続けていくうちに、少しづつ人の気持ちを受け止めることが出来るようになっていく自分に、喜びを感じるようになっていった』
『学んだものは沢山あるが、一番身についたというか、最も大切なものと感じているのは「傾聴」である』
『カウンセリングの場にあっては、無の心境とでも言うか、これまでの何十年間か培われてきた枠から脱却した素朴で純真な気持ちで、ひたすら聴くことによって、クライエントは初めてしがらみを自覚し、そこから抜け出すことが出来るのである』
『信頼関係ができクライエントが自己防衛する必要がなくなると自己概念を頑なに信じる必要がなくなってくる』
『傾聴は「テクニック」ではなく「心構え」の問題である』
『クライエントが持っている本質的な価値を心から認め、相手を独自の存在として尊重するという心構えがあってこそ、よい聴き手になることができる』
『受講生の殆どが、初めは苦痛だったけれど、この勉強をして本当に良かったと言ってくれるのも、私の生き甲斐やり甲斐になっている』
『(逐語検討は)長年やったからと言って、これで終わりということはない。時が変われば話題も変わり、受け止め方も変わってくる。いつも新鮮な気持ちで集中して聴くことが出来るようになるためには、たゆまず、続けていくしかないと私は思っている』
『私は以前、茶道を習っていた。茶の湯は亭主が誠心誠意客をもてなし、客もまた亭主の心づくしを快く受け、万事慎ましく、控えめがちに動作することに意義があり、この相互の心遣いが一心一体になる。これはカウンセリングの「今、ここでの思い」と相通じるのではないかと思う』
『カウンセリングをアートにまで近づけられたら、本当に素晴らしいと思う。そのために今後とも研鑽を続けていきたいと思っている』
涙がにじんだ。
声が聞こえてくるようだった。
そして、
「倒れて後やむ」
-坂本龍馬を思い出した。
72歳にして尚、『今後とも研鑽を続けていきたいと思っている』-
そのSさんも、『急に「受けてみよう」という気持ちになり』『岡本さんが後押ししてくださって』試験を受け、見事合格された。岡本先生が力を貸してくださったのだと思う。
Sさんもシニア産業カウンセラーを目指されているが、受講資格が得られるのは70歳頃だという。『いろいろな講座などにも、お金と相談しながらなるべく参加しようと思っています』と意気は高い。
人間、年齢は関係ないとつくづく思う。
お二人の先達の前進する姿から勇気をもらった。
「始むるに遅すぎること無し」
気づいたときから、人は新たな人生をスタートさせることができる。
みんな! 生き直しはできるんだよ~!!