特急電車内女性暴行事件(1)-被害者が失ったもの
怒りに加えて、情けなさと無力感と、仮面のごとき社会に対する嫌悪感-そういうものが湧いてきそうになる。
『女性は車両前方のトイレに連れて行かれる途中、声を上げられず泣いていたが、付近の乗客は植園容疑者に「何をジロジロ見ているんだ」などと怒鳴られ、車掌に通報もできなかったという。』
電車の中で、女性が暴行された。
この女性はどうなるだろうか。
安全であるはずの電車の座席で、いきなり見知らぬ男に脅される。
前後のシートの人間は聞いているはずだ。が、誰も助けに来ない。
連れて行かれる。が、その間も誰も何もしようとしない。
そしてトイレで暴行される。が、結局助けは来ない…。
その間、どのような思いになるか。
その女性は、見知らぬ男にモノ扱いされた。
その女性は、社会から見捨てられた。
夢も希望もあり、普通に生きていたのに、ある日突然、
人間性を抹殺され、社会的に抹殺されたのだ。
その女性は二重に殺された。
まったく普通の日常の現場で。
人を信用できるか。
社会を信用できるか。
できなくなるだろう。
そして、
自分を信用できなくなるだろう。
なぜ、自分がこういう目に遭うのか。
なぜ、こんなやつに出遭わなければならないのか。
自分が罰を受けるような何か悪いことをしたのか。
なぜ、こんなやつが野放しにされているのか。
なぜ、誰も動こうとしないのか。
私は、見向きもされない存在なのか。
夢や希望、これまで努力して築き上げてきたもの
―それら全てが、ある日突然、何の脈絡もなく、一瞬にして断ち切られ突き崩される。
ほんの一瞬前まで自分がやってきたことは何だったのか。
全ては人のため、社会のため、そして自分のため、自分のできることを頑張ってきた。
しかし、社会はその自分をいとも簡単に見捨てた。
人の社会って何だ。
自分はちっぽけだ。
人間はちっぽけだ。
こんな社会に生きる意味がない…
このように、被害にあった人は、人を社会を信用できなくなっていく。
人が怖くなり、そういう人間が野放しにされている社会が怖くなる。
つまり、社会で生きることが怖くなる。
社会的生を否応なしに奪われるのだ。
そこから立ち直るにしても、「理由」がなければきっかけがつかめない。
理由が分からなければ、人は次に進めない。
なぜ?
あらゆることが頭を駆けめぐる。
なぜ、なぜ?
あまりにも理不尽なことに、納得できる回答はどこにも見あたらない。
なぜ、なぜ、なぜ?
問いが頭を支配し、グルグルと無限ループの中に落ちていく。
全てにやる気が失せ、鬱の中に沈んでいく。
トイレに行くのがやっと。
あとは、寝ているだけ…ただ、頭の中は無限地獄―そういう鬱に突入していく。
理不尽なことは消化されない。
その記憶が、自分に同化していかない。
だから、隔離された記憶となって“そこ”に存在する。
そして、いつまでも生々しいフラッシュバックとなって自分を苦しめることになる。
場合によっては、一生苦しむことになる。
「暴行」ではない。
「殺人」だ。
このような事件が起こると瞬時に娘のことを思う。
私は復讐の鬼になるだろう。
だから、その場で行動しているだろう。
既にこの男は、何人か「殺人」を繰り返しているのだろう。
何人か殺しているのであれば、どのような刑になるか。
警察は、それでも殺人鬼を野に放つのか。