福知山線尼崎脱線事故-家族カウンセラーから見た2年後の現実
怒りをどこにぶつけていいのか分からない。
怒りをぶつけても、体は元には戻らない。
怒りをぶつけても、愛する人は帰ってこない。
元の私を返せ!
あの人の笑顔を返せ!
時が凍り付いたまま、この2年間を過ごされてきたはずだ。
この2年間で8回もの顔の形成手術をされた女性もいる。
『事故で頭部からアゴまでが裂け、動脈と顔面神経がともに切断』という重傷で、事故後自分の顔を見て我が目を疑った。『約20センチにわたって縫ってはあるが、顔面の左右のバランスが大きく崩れていた。「人間の顔じゃない」。』
後遺症に悩まされる中、「死と隣り合わせになった自分が生き残った意味」に思いを巡らせるようになり、 「助かった者として事故を伝えていくのが私の使命」として、「もう傷跡は隠さない」ことに決めた…。
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/39566.html
それらの被害者の方々の気持ちを少しでも癒すことができるのは、JR西日本の誠意だけである。真摯に反省し、二度とこういう事故は起こさないとする決意と、それに向けての行動だ。
JR福知山線尼崎脱線事故(2005.04.25)から今日でちょうど2年。
『その時の状況に少しでも近づきたい。それが息子に先に逝かれた親として、家族としての務めであり、義務だと思う』-ご遺族代表はそう追悼された。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/22571.html
しかし、溝は深まっている。
『遺族らは「二年は時間の経過に過ぎず、悲しみはむしろ深まっている」と訴えた上で、事故に向き合わないJR西日本の姿勢を批判した』
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000313106.shtml
向き合わない姿勢とは、
『JR西日本の丸尾和明副社長が「日勤教育は有益」などと公述』
『JR西の丸尾副社長は意見聴取会で日勤教育のほか、過密ダイヤやATS-P設置の遅れなどについて正当化する発言を繰り返し、同ネット(遺族らでつくる「4・25ネットワーク」)などが反発』
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000266966.shtml
『遺族の男性は業を煮やし、「土下座すれば(天下りした元役員3名に)会わせてくれるか。こんな頭ならいくらでも下げる」と言い、遺族担当の取締役らの前にひざまずいて手をついた。しかし、JR側は取締役をはじめ、誰一人として起こそうとせず、中にはいすに座ったままの幹部もいた。』
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070422-00000041-jij-soci
土下座したのは遺族の側だ。
臥薪嘗胆。一体どのような思いで土下座したであろう…。
遺族側にここまでの行為をさせると言うことは、それほどまでに鉄面皮に反省の色が見られないと言うことである。
『甲南大法科大学院教授の渡辺修(刑事訴訟法)は、不祥事隠蔽(いんぺい)などが続発する日本企業全体の問題に重ね「刑法は個人の責任を問うものだが、企業も裁けるような法整備が必要。もはや企業のモラルには期待できない」と話し、「地域独占企業の体質を変えるには、利用する市民も痛みを共有する覚悟が必要」と続ける』
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200704kigyou/05.html
つまり、客足が遠のき「赤字」にならなければ企業人は反省しないと言うことである。だから、鉄道以外の交通機関に代える不便をしのんでまで市民が企業に変革を迫らなければ、地域独占企業の体質は変わらないとこの教授は述べている。
実際、文書だけの「安全性向上計画」は誰でも書ける。
『計画を掲げるだけでなく、教訓を生かして、どう実行するか。二十二年前のジャンボ機墜落事故後も、体質は変わらず業務改善命令に至った日航は今、信頼回復へ正念場に立つ。JR西が同じ道をたどらないという保証は、まだない。』
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200704kigyou/02.html
保証がないどころか、体質維持に向かっているようだ。
2001年自殺でJR西の運転士である息子服部匡起さんを失った父親…
『父親の栄(76)は、賠償を求めJR西を提訴。昨年十一月の大阪高裁判決は、日勤(教育)と自殺との因果関係を認めたが「(会社側が)自殺を予見できたとはいえない」と、訴えを退けた。上告中の栄は今年二月二日、佐賀県唐津市の自宅で朝刊を広げ、思わず声を上げた。「JR西はいつまでそんな主張を続けるんや」。記事に自分の裁判の判決が引用されていたのだ。
(略)公述人でJR西副社長の丸尾和明は「(栄と争った)大阪高裁の判決で、日勤教育は有用と認められた」と主張していた。「判決文に日勤の意義を認めた記述はあるが、それを持ち出すなら因果関係を認めたことも語るべきだ」。栄は怒りと悲しみを込め訴える。「息子の自殺も脱線事故も日勤が絡んでいる」』
http://www.kobe-np.co.jp/rensai/200704kigyou/03.html
尼崎脱線事故の1年後、JR西労に所属する運転士と車掌計264人が、日勤教育で人格権を侵害されたとして、大阪地裁に訴訟を起こした。
『日勤教育と呼ばれる再教育を課せられた際、多数の管理者に取り囲まれて罵声(ばせい)を浴びせられたり、教育内容や期間を管理者の一存で決められたりしたため、強い精神的圧迫を受けた』
http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5000/news/20060427it03.htm
…自社を選んで入社してくれた社員は宝だ。家族だ。その身内が自殺し、人格侵害されたと訴えている。それまでにも身内からの声があったはずだ。が、それに耳を貸さず、ついに外に大きな被害を出してしまった。
それでもなお、向き合おうとしないのか。
その被害者の中に、社長、あなたの子供がいたとしたらどうなんでしょう。今と同じ対応をしますか?
…と、書いていて、ふと向き合えないかも知れないなぁ…と思ってしまった。
この構図、機能不全家族と同じだ。
子や配偶者が虐待されたと訴え、あるいは鬱になり、自殺したり、逆に外に被害者を出してしまっても、自分に問題はないと思い続けている親…。
それらの問題の背景には、自分の弱さと向き合おうとせず、自分自身から逃げ続けている親の問題がある。親が自分と向き合わなければ、それらの問題はなくならない……まったく、同じだ。
家族に問題が起こった時、親が自分と向き合い始めると、その家族は救われる。
しかし、親が逃げ続け、自分の問題と直面化するのを避け続けると、その家族は破綻する。
この鉄則は、家族も会社も同じだ。
JR西は、謙虚に、社員及びご遺族の言葉に耳を傾けなければ…正念場に立たされていると思う。
今、国が教育基本法の改正に動いているように、組織の姿勢と教育のあり方は密接に連携している。その意味で、ご遺族も注目する「日勤教育」は、JR西の体質を現しているだろう。
ご遺族は「日勤教育」が人を追い詰めたと見ている。
JR西は「日勤教育」は有用だと主張する。
…これも、最近きわめてよく見る光景だ。
子供を虐待し、心や体に深い傷を負わせておいて
「しつけのつもりだった」
JR西もまた、「日勤教育」は「しつけ」だと言うのだろうか。
…つくづく日本はおかしくなったと感じる。家庭も、会社も。
このまま手をこまぬいているわけにもいかない。
当時、4/25~5/3にかけて書いた日記の中から、事故原因の考察についてコンパクトに再掲載したい。
http://www.jiritusien.com/sosikikaikaku/news/index.htm#jrwest
人を追い詰める社会のあり方、そして仕組みの怖さを知ってほしい。
日勤教育・・・覚えていらしゃいますか?
あの福知山線尼崎脱線事故・・・やっと事故調査委員会は原因を『日勤教育』に認めたらしい。ええと、忘れてしまった方にご説明すると(Wikipedia引用)日勤教育(にっきんきょういく)は、旧国鉄(現JR各社)における社内用語であり、乗務中に何らかのミスを犯した運転士・ ...