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「餓鬼人間」(4)-真綿の支配

2007/05/10(Thu) Category : 存在不安
餓鬼人間→(2)→(3)と進むに従って、「あれ?ハラッサーばかりと思っていたけど、これなら周りにも居そうだなぁ…」と感じ始めたのではないでしょうか。

そう、心が育つ暇もなく「急げ急げ」と突っ走らされ、早く大人になることを急かされている現代。個人の能力だけを伸ばすことに傾斜した「傾斜教育方式」とでもいうような教育がまかり通っている現代。愛情をもらえないままに大人になっている人たちは既にたくさんいるのです。

実は、ハラッサーの裾野はとても広い。
1,DV(肉体的暴力)は目に見えるので分かりやすい(それでも痴話げんかにされてしまう場合がありますが)。
2,モラハラ(精神的暴力)は、ようやく認知され始めたところ。
3,しかし、支配されている方さえも、それが支配だと明確には分からずに受け続ける支配があります。

愛情に飢えた鬼は、何も見るからに怖そうな顔をしているばかりではありません。





子は無条件に親に愛されたい。だから、子は親を見ます。
この時、親がストローク飢餓の「餓鬼」であれば、何を感じるでしょうか。

子どもが自分を認め、求めてくれる…そう、子どもが自分の飢えを満たしてくれる気がするのです。ですから、子どもを手放そうとしません。自分の飢えを満たす道具として子を利用するのです。

一方の子どもは、親から愛情をもらえませんから、いつまでも愛情がほしくて親離れができません。
つまり、親は自分の親を求めつつ子を道具にする。
そして、道具にされて愛情をもらえない子も、いつまでも親を求め続ける…。

こうして、見事に「親の愛情への飢え」の連鎖ができあがります。
その連鎖の中身は、親に対する思慕の情と、道具にされた怒りです。
「愛」と「憎」のダブルバインド(二重拘束)にあって身動き取れないまま人生が流れていきます。





さて、最もよく見られる道具にする仕方は、「子どもを成長させない」ことです。
なぜ? 

自分の「出番」を確保するためです。
出番=自分の存在が認めてもらえる場面ですね。
例を挙げてみましょう。


子が風呂から上がったときに、「風邪引くから早く着なさい」と口では言いながら、待つことができずに、体を拭き寝間着を着せたとします。この時、子どもはなにを理解するでしょうか。
頭では、こういう場合は、このように「言う」んだな、と覚えます。
が、体で理解するのは、「あぁ、僕は自分でやっちゃダメなんだ」という禁止令です。

こういう子どもに自画像を描かせると、ものの見事に「手」を書き忘れます。お母さんが手をやってくれるからです。そして、自分が「手出し」をしてはいけないからです。
怖いのは、「手出しをするな」=「お前が自分でやってはいけない」という禁止令は、風呂上がりだけではなく日常の全ての行動の禁止令として働くと言うことです。

子どもの絵は、本当に自分の置かれた状況を正確に現しますが、最近自分の手を描かない子供が増えています…。そして、この子が育つと、自分の「言っていること」と「やっていること」がバラバラな人間になります。というよりも、言うことはできても行動できない人間になります。私は、嘘のようなほんとの話で「何もできない」大人に出遭ったことがたくさんあります。





少年Aの母親は、Aが悪さをしたときが「出番」でした。
Aがやったことの結果を、言い訳や反撃など大人の世界の交渉ごとに持ち込み、自分でけりを付けました。世間的には、子をかばう母親に見えるだけかも知れません。

しかし、結果をことごとく親に奪われるAは、成果も批判も手にすることができませんから、経験が身にならず善悪の基準もできません。また、母親がAの自我を代行していますので、自我も発達しません。

言い換えれば、自分の出番を確保するためには、Aが悪さをし続ける方が母親にとって都合がよいのです。そのため、Aを成長させず、Aを自分の道具にしたのです(無意識です)。
【詳しくは「あなたの子どもを加害者にしないために」】





たとえば、子が心配だから「いつ帰るのか」と、携帯にメールをするとします。子が成人していてもです。そこで、返事がなければ返事を催促し、その言葉遣いもだんだんと激しくなっていきます。

たとえば、成人した子が夜帰る時、必ず駅まで迎えに行くとします。すると、子は思いっきり遊ぶこともできず、親の身を案じて切り上げて帰らざるを得なくなります。

たとえば、遠方に住む子どもに2日にあけず電話するとします。特に用件はありません。声を聞くだけです。


…まぁ、挙げればきりがありませんが…これらは、一体どういうことでしょうか。
一見、子どものことを心配しているように見えます。
でも、これらの親の行為が伝えているメッセージの本質は、「私はここに(存在して)いる」という存在のアピールなのです。だから、無視されると怒ります。

常に子に自分の存在をすり込み、子どもからの返答で自分の存在を確認しているのです。つまり、子どもは自分の存在確認のための道具なのです。





このような親の元で、子どもは、愛情をもらって普通に成長しているはずなのに「息苦しい」…。何だろうこのイライラは…。何もやる気が起きない。叫びだしたくなる。怖い。眠れない。自分が…ない。
いろいろな症状が出てきます。症状が出てきますが、それがまさか自分と親との関係に根本的な原因があるなどとは思っていません。


親は、無自覚なまま、真綿で首を絞めるように、子どもをじわじわと窒息させているのです。
このような無自覚な支配を、私は「真綿の支配」と呼んでいます。



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真綿の支配

75歳です。100歳の母がいます。娘40歳です。
ずっと読ませていただき、私を避ける娘の態度の基になっていた自分のことが判ってきたような気がします。
娘にも娘がいます。
今、この負の連鎖を切りたいと学習してます。
遅かったけど、
気付かせてくださってありがとうございます。
愛する夫、子供たち、弟妹にごめんね、ごめんね
許されて生きています。
涙がわいてきます
まだまだでしようけど
門口に立てた事、心より感謝します

 

怖い・・・

こんにちは、また過去の記事にコメント失礼します。
先日こちらに辿りついてからというもの、少しずつ記事を拝見していますが、あまりにも当てはまることが多すぎて・・・
読みながら、まだまだ気付いていない自分の色んな感情に向き合っています。

今日はこの・・・絵を描くと、手を描けないというのがあまりにもピッタリ当てはまりすぎて、思わず叫び声を上げてしまいました。
普段真綿でくるまれた親の悪意を直視する瞬間はとても怖いです。恐怖です・・・

私は絵を描いている者なんですが、手が、うまく描けないんですね。
普段他のものを描こうとすると、そのものに相当する感覚が自分の心の中に生まれ、それに従って描くのですが、
手は・・・探ろうとすると、心の中が宙ぶらりんになるといいますか、表わすべき感覚とうまく結び付かないと言いますか・・・
ものの形をとろうとする部分とは別のところでうまく描けなかったんですね。

絵を描くものにとっては致命的なことです。
絵描き仲間には、襟さんは手を描くのが苦手だよねとよく言われました。
(言われたことでより苦手意識が強くなった部分もありますが)
それが自分の大事な部分と結びついている気もして、
何かあるのだろうとは思っていたのですが・・・
やはり・・・そうでしたか・・・
まったく、書かれている通りです。

でも全てを禁止された中でも、確かに自分の心の中に「手」に相当する部分はあるんですよね。
それを表すのはとても難しいことです・・・
一度折られた骨を再生するような作業ですが、
目を凝らせば確かに私の心の中に「手はある」んです。
親がどんなにお前には手なんかない、出すなと洗脳しても、在るんです。
その感覚を出そうと探るのは、生まれたての小鹿が足をぷるぷるさせながら立とうとしているようなものなのかも・・・
でも、どんなに頼りなくとも、この感覚の方が「信じられる私」なのかなあ。
読ませて頂きながら、そういうことを思いました。

単に構造を学べば描けるというものではないなとは思っていましたが、心理に結びついているものなんですね・・・
勉強になりました。

 

わたし。

同じ事をしています。したくないのに。
子どもらは子どもらの人生を自分の足で歩いて言ってほしいのに,私は子どもらを自分の存在を確かめる道具にしています。
辛く,苦しい。
子どもたち本当にごめんなさい。
私は私の事をする。焦るけど焦りません。一歩一歩進んでいく。

 

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

 

こういう人たちの使う「心配」とは

あなたの人生にぺったり張り付いて思い通りにしたい、という意味なんだと思う。
された方としては迷惑きわまりない。毒はじわじわまわる。
ふと同じことを人に求めてしまうとき、親から同じことをされたことにあらためて気づく。

それをしているとき、意識では対象のことを本気で案じてるつもりなのだが、考えてる内容は、そんなこと考えても何にもならない、本人に伝えても害にしかならないこと。
たんに自分の人生から逃げてるだけ。同じものになるものか。

心配されることが愛だと思い込んでいた頃、この状態が苦しいということさえ自覚できなかった。
洗脳に気づかなかった頃「それならば何故あなたは、今苦しんでいるのか」と言われ、これが苦しいということか、とはじめて知った。
それは成人して何年もたってからだ。つい数年前だ。

体中に張りついているなにかを感じられるようになった。
恐れがびっしり体を覆いつくしている。
私が存在するとなにもかも壊してしまうという恐れ。
このときの私って、感情だ、きっと。
だいじょうぶだよって、体を弛める。
前進していると信じたい。

 

支配してくる無自覚な親は切り捨てるしかない。
親という名の悪魔。

 

私が子供のころは手ではなくて、頭を描き忘れていました。

 

ではどうすれば

じゃその子はどうすれば普通になれるのですか?

 

自分の感覚を信じて

意識は、『親の気持ちをありがたく思えない自分がいけない気がしていました』。

感覚は、『何か自分の回りにべたべたと張り付いてくる気分。自分の好きにできない息苦しさ』。

意識はごまかされます。
感覚はごまかされません。

自分自身の感覚のメッセージに従って行動しましょう。

 

「真綿の支配」、その通りです

はじめまして。いつも興味深く読ませていただいています。
わたしの母も、結婚して子どもが出来、別に住んでいても、何かと手や口を出したがります。「好きでやってる」「親だから当たり前」と言って。そういうのが嫌で、でも親の気持ちをありがたく思えない自分がいけない気がしていました。
何か自分の回りにべたべたと張り付いてくる気分。自分の好きにできない息苦しさ。「真綿の支配」というのはぴったりの言葉だと思います。

 
    
 
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