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何もつなげない手

2007/06/01(Fri) Category : 学校・教育・いじめ
「キレる」という言葉が流行った98年当時、学校におけるナイフによる傷害事件が多発し、ナイフ規制論議が巻き起こった。規制論者の意見を単純化すれば、
「事件が起きた→なぜなら、そこにナイフがあったからだ」ということ。
だから、ナイフをなくせば事件はなくなる。
おめでとう!

…とは、いかないのだ。
ナイフは手段。手段は何でもいい。
先にあるのは、イライラした心だ。


心が押しつけられるから苦しく無気力になり、
心が比較されるから嫉妬やねたみが湧き、
心がモノ扱いされるから相手をモノ扱いしているのに気づかずイライラは連鎖していく

その後ろで
尊厳を踏みにじられた心に、怒りが知らず溜まり続けている


そのはけ口のない感情で一杯になって苦しい心が、手段を探し始めるのだ。そこにナイフがあっただけのこと。

つまり、ナイフが問題なのではなく、ナイフを凶器として使わせる心が問題。
そして、心を追い詰めているのは日常のストレス(=デイリーハッスルズ)。その日常にメスを入れなければ、何も解決しない。



つまり、ナイフを規制したとしても凶器はいくらでもある。
シャープペンでも、カッターでも、彫刻刀でも、コンパスでも…なんでもいい。
それらを「規制」しますか?

では、さらに言おう。
人の手は何にでも武器に出来る。
人の手を「規制」しますか?
手を切り取る…?

結局、ナイフ論議の本質は「人」そのものの規制である。



窮屈でしょう?

人の社会がやらなければならないことは、
人の手を、他の人の手とつなぐことの出来る手にしなければいけないと言うこと
人の手が、我欲をつかむためだけにしか存在しないのは「社会」ではない

その手が金、地位、名誉、栄光…何をつかもうと、人の手のぬくもりを知らない手であれば寂しい人生だ。


手をつなぐ行為が出来るのは、人への信頼があるからだ。
信頼を形成するのは、相手を受け止める行為だ。
受け止め合うことが出来れば、心に刃は生まれない。

そして、ナイフは人を助けるために使われるだろう
かつて、鉛筆を削ってあげたように…






*タイトルは、宇多田ヒカル「Be My Last」より
**尚、銃と剣は、私は同列に考えていません↓
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-642.html

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