プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


中尾相談室のカウンセリング概要
カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
11 ≪│2023/12│≫ 01
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

先生を育てる社会

2007/06/10(Sun) Category : 学校・教育・いじめ
英文科出のお嬢様は、まさか自分が小学校の先生になるとは思わなかった。
第一、子どもが好きではない。
その上、校舎も子どもたちも汚い-自分とは別世界。

しかし、人手不足で引っ張られ、無我夢中で取り組んだ。
教員免許がないのだから、悩んでいる暇はなかった。

ひたむきな姿を子どもたちは見守った。
「先生、字を書いてみて。教えてあげる」
英語は得意だったが、実は漢字の書き順は苦手だった。

「先生、野球やろう!」
男の子は手を引っ張った。
打ったらどちらに走るのかさえ知らない。
しかし、楽しかった!

こうして、子どもたちは自分たちの得意分野で先生を育ててくれた。
<私は、こんなに子どもが好きだったんだ>
いつの間に感自分の中に芽生えていた感情に、自分で驚いていた。



土方仕事をする母親もいた。
近くの現場で仕事をしているとき、昼休みに我が子の姿を見に来ていた。

給食費の300円を一度に払えず、毎週100円づつ持ってくる母親もいた。

先生に迷惑がかかるかも知れないからと、家庭の事情を話してくれる母親もいた。

どの母親も、若輩者の自分を「先生」として接してくれた。



テストは、子どもの成績評価ではなく自分の教え方の評価だった。
バツをつける度に、その子に対して申し訳なく思った。
だから、できなかった子どもたちを集めて補習授業をした。



クラスに一人知恵遅れの子がいた。
ある母親が、授業進度が遅れるからその子を外せ、と主張した。
同じクラスに校長先生の子どももいた。
校長先生の奥さんは、一人の母親として、その子がいることによって学べることがあることを主張した。

その後、校長先生が授業に顔を出すようになった。
そして、その子の隣に座って個別に指導してくれた。
その子も無事、友達と一緒に小学校を卒業した。




教員免許も持たず
子ども嫌いだったその人は、
子どもたちから育てられ、
母親たちから育てられ、
校長先生から育てられ、

そして、
子どもたちに慕われる立派な先生になった。



まだ勤務評定などなく、
人を育てる余裕のあった時代の
昭和30年代頃の
日本という国のお話しである。



私は、
そういう国に行ってみたい。



関連記事
 
Comment2  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

若返ります!

人の感じたことを聴くのは、どれもこれも新鮮です。そして、特に子どもはストレートで曇りがないためにとっても新鮮!
若返りますよね(笑)
子は若返りの薬! 先生って若返りのためにもいい仕事だと思いますよ。本来は♪

 

子どもと追体験する世界

ふだん当たり前のことが、子どもと一緒だと変わって見えます。見るもの、聞くもの、全て。どうして子どもと一緒だと新鮮になるんでしょうね。子どもが「初めて知った」事が大人にも「新しく感じた」事に。
子どものおかげで、人生を二重に生きてるように思えますね。
今思うと、子育てってそれだけが楽しいような気がします(笑)
先生の人生は何重にもなるんでしょうねえ・・・

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
検索フォーム
 
 
著作
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
会場でお会いしましょう(^^)
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
QRコード
 
QRコード