「親」という字
受け止め、深め、広げ、
自分の気持ちを取り戻し
自分の人生を取り戻す…
この手に自分を取り戻すために
自分と闘うことを支援している
その人々の中には、加害者もいれば被害者もいる
加害者も被害者も犠牲者だ
繰り返しわき起こるネガティブな感情に付き合うことほど辛いことはない
しかし、その感情もまた自分自身
―可愛い自分なのだ
だから、
自分だけは最後まで自分を見捨ててはいけない
だから、大変だが、
その感情とじっくりと付き合ってもらう
見守る私は
「親」という字を思い出している
「親」とは、「辛」い「木」をそばで「見」ている人だ
辛い木とは、切られたばかりの生木
その切断面はジクジクヒリヒリとして痛ましい
見ていられなくて手当をしたくなる
手当をすれば、自分はやるだけのことはやったと肩の荷を下ろすことができる
しかしそれは、木の自己治癒力を奪い、自分がラクになるだけのこと
だから、木の辛さをともに感じながら傍にいて黙って見守っている
木は長い時間をかけてゆっくりとカサブタができ、やがて治癒していく
見守ってくれている人がいるから、自分の傷と向き合う勇気が湧く
どの人も、人は自分で自分を癒す力を持っている
親とは、そのように相手を信じて見守る人のことだ
私が見守る人の中には、ハラッサー(DV加害者)の方もいる
その方は、自分と向き合うために生育史を書かれた
長い物語だった
その長い物語から、最初に私に響いてきたのは父親への思い
私から見たそのお父さんもまた、怒りを持つ自分と闘い続けた人だった
自分を保つことと、わが子を愛することと、そのせめぎ合いの中で生きていた
限界ギリギリの中で、精一杯の努力をして生きた方だった
―私は、そうお父さんのことを伝えた
書き終えてから変化が始まった
自分をゆるし、自分を癒し、奥さんの傷の深さも十分に理解し、それを受け止めることができ、だから、もう一緒に生活できないということも分かった…
その方は、いろいろな思いをしながらも
体は、無意識のうちにその父親の闘いを学んでいた
だから、自分と闘うことができたのだ
とある日…
奥さんの病のことで心が一杯になり、どうしようもなく、お祈りしているとき
父親が現れたという
生まれて初めて、彼は父親と「対話」した
今は亡き父親と―
…意識の中での対話だ
だが、俯いていた背筋を正してくれたりしたという
嬉しくて、父親と乾杯したという
…私の心に暖かいものが広がり、そしてこみ上げてきた
次の段階に進むときが来たのだろう
今まで気づかなかった「あなたの自律支援.COM」に、ふと気づいたという。
そこには、「人生のヒントと転機の8章」がある。
そこを読まれて助けられたという人も多い。
これからどうすべきか模索していたその人も、
何か救われた気持ちになったという。
『先生に救われるのは何度目でしょうか。
これからじっくり取り組んでみようと思います』
『少しずつですが、歩いていけたらと思っています。
本当に有り難うございます』
…私は、最近
涙もろい ……
・環境としての親