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「親」という字

2007/06/14(Thu) Category : 親の諸相
私は、追い詰められた人々を応援している

受け止め、深め、広げ、
自分の気持ちを取り戻し
自分の人生を取り戻す…

この手に自分を取り戻すために
自分と闘うことを支援している

その人々の中には、加害者もいれば被害者もいる
加害者も被害者も犠牲者だ


繰り返しわき起こるネガティブな感情に付き合うことほど辛いことはない
しかし、その感情もまた自分自身
―可愛い自分なのだ

だから、
自分だけは最後まで自分を見捨ててはいけない
だから、大変だが、
その感情とじっくりと付き合ってもらう





見守る私は
「親」という字を思い出している

「親」とは、「辛」い「木」をそばで「見」ている人だ
辛い木とは、切られたばかりの生木

その切断面はジクジクヒリヒリとして痛ましい
見ていられなくて手当をしたくなる

手当をすれば、自分はやるだけのことはやったと肩の荷を下ろすことができる
しかしそれは、木の自己治癒力を奪い、自分がラクになるだけのこと

だから、木の辛さをともに感じながら傍にいて黙って見守っている
木は長い時間をかけてゆっくりとカサブタができ、やがて治癒していく

見守ってくれている人がいるから、自分の傷と向き合う勇気が湧く
どの人も、人は自分で自分を癒す力を持っている

親とは、そのように相手を信じて見守る人のことだ





私が見守る人の中には、ハラッサー(DV加害者)の方もいる

その方は、自分と向き合うために生育史を書かれた
長い物語だった

その長い物語から、最初に私に響いてきたのは父親への思い

私から見たそのお父さんもまた、怒りを持つ自分と闘い続けた人だった
自分を保つことと、わが子を愛することと、そのせめぎ合いの中で生きていた
限界ギリギリの中で、精一杯の努力をして生きた方だった
―私は、そうお父さんのことを伝えた



書き終えてから変化が始まった
自分をゆるし、自分を癒し、奥さんの傷の深さも十分に理解し、それを受け止めることができ、だから、もう一緒に生活できないということも分かった…

その方は、いろいろな思いをしながらも
体は、無意識のうちにその父親の闘いを学んでいた
だから、自分と闘うことができたのだ





とある日…
奥さんの病のことで心が一杯になり、どうしようもなく、お祈りしているとき
父親が現れたという

生まれて初めて、彼は父親と「対話」した
今は亡き父親と―

…意識の中での対話だ
だが、俯いていた背筋を正してくれたりしたという

嬉しくて、父親と乾杯したという


…私の心に暖かいものが広がり、そしてこみ上げてきた





次の段階に進むときが来たのだろう
今まで気づかなかった「あなたの自律支援.COM」に、ふと気づいたという。

そこには、「人生のヒントと転機の8章」がある。
そこを読まれて助けられたという人も多い。

これからどうすべきか模索していたその人も、
何か救われた気持ちになったという。



『先生に救われるのは何度目でしょうか。
 これからじっくり取り組んでみようと思います』

『少しずつですが、歩いていけたらと思っています。
 本当に有り難うございます』
 


…私は、最近

涙もろい ……







環境としての親


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見守る喜びを伝える者が親なのか

何故辛い木は切られて、辛い木の回復を見守るのかと、

別説があって、辛は入れ墨を入れるのに使う針で、入れ墨を入れる時の苦痛が辛さ。
位牌を作る時、辛を投げて占い、刺さった木を切って作った位牌を近くで見つめるのは親しい人の位牌だからで、親の位牌。
だとすると、親は生の終わり迄を見つめられる者。子に先立たれることも多かったであろう古代では、そうなることを切に願う者が親だったのかもしれない。

辛が刺さって、親の位牌を作る木に選ばれて、切られた木がまた芽吹き傷を癒して行く様を、見届けるのは感慨深いだろうし、縁起が良いことでもあったかもしれない。
回復とその後の成長を願うのなら手を出さずに見守るのが一番良いと、見守る姿で教えてくれる者が親なのだろうか。

 

親という字の話を聞いた話。俗説の方だけど。

これは親という字の俗説の方の話だけど、
父方の祖母が、両親に、木の上に立って見ているのが親だと話てくれた。少し嬉しい気がしたが、祖母が何でその時その話をしたのか、その事情は解らなかった。今もはっきりしない。ホーナイ系の精神科は、今も亡母にコントロールされているところがあると言い、実感出来ないがそういうことかも知れない。キーボードの前にカップ麺や弁当の使い捨て容器のバリケードが出来たりする。
家に帰って、母が祖母のことを話だした。そちらは覚えている。今、振りかえるとそれが母の反応だった訳だ。母の話は、母と父が結婚することになって家を建てる土地を探して、今では高級住宅街になってるところが広くて安くて土地も買い取り。二人とも気に入ってそこにきめたら、祖母がお墓から近い所の土地にしなさいと、こちらは狭くて高くて借地で地代も払わないといけなくて、父が怒ったら、そんな遠くに住むなら〇〇が歯が痛くなって泣いても行ってあげられませんからねと。父が受け入れないと具合が悪くなって寝込んでしまって祖父が父に頼み込んで結局借地の方にしたと。母は毎月地代を納めに行かなければならないのが嫌だったと。

買いたかった方は宅地として整備済みだったけど借地権を買った方は農地転用の許可が必要で農業委員会が威張ってたなんて話も別な時聞いた。借地契約の更新料もあったようだし地価が上がって、底地の買い取りを要求されてローン組んで、その後は随分違う。苦しくなったけどそれでも地代を毎月納めに行く煩わしさから解放されたのは嬉しかったと母は言ったこともある。
母は結婚前姉のくどくどしつこいのが嫌で実家から出たくて仕方がなくて、父には結婚して全然別な生活がしてみたいと言われたと言っていた。

存命中はあまり実感出来なかったけど、父方祖父母が大事に思ってくれたので、生き延びることが出来た面もあると思う。
祖父が毎日私のために祈っていると祖母に言われて驚いたことがある。私の両親も孫に接するようになってそうなった。

野生の動物の親が子離れ出来るのは、親が思いっきり子供を可愛がって、親が満足しているからだと思う。人は親子が接する期間が長くて、子育てに悔いを残す機会が多く、子供を育てあげるだけでは満ち足りることが出来なくて、孫を可愛がって補って安定するのかな。
人は親から自覚出来ないほど強い影響を受けるから、親になって親から受けた影響について自覚出来るのだろう。

 

親の想い…

『手を出さず目をかける』私の持論です

『辛い木を見守る…』
漢字を考えた方、すごいですね…

なぜか、すっきりしました

 
    
 
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