JR福知山線脱線事故の「深層」を追及する理由
『事故の遺族らでつくる「4・25ネットワーク」の世話人の浅野弥三一さん(65)は(略)「これでは再発防止につながらない。運転士個人の責任になってしまっている」と述べ』再度の開催を求める声が上がった。
【7月8日1時31分配信 時事通信】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070708-00000004-jij-soci
このまま風化させるわけにはいかない。
列車の正面衝突という前代未聞の大事故-信楽高原鉄道事故も風化した結果、企業体質は変わらぬままに福知山線の脱線事故につながってしまった。ご遺族の方々が危機を感じる説明をしているようでは、将来自分の子供が犠牲になってしまうかもしれないのだ。
光市母子殺害事件のご遺族本村洋氏が闘い続けておられるように、加害の真相を突き止め加害者の姿勢が心から変わらなければ闘いをやめるわけにはいかない。再び同じ犠牲者が生まれることになるからだ。
そして、利潤追求のための自由競争、行きすぎた効率化とスピードアップの代償はすべての産業分野で弊害となって現れてくる。このような事故をきっかけに、一つ一つ社会の仕組みを変えていかなければ、社会はますますおかしなところへと向かっていくことになる。
私は、子ども達の生きる未来をあきらめるわけにはいかないのだ。
先ず、事故調の最終報告を俯瞰したい。
次に、問題に対する際の姿勢を提示する。
取り組み姿勢が間違っていれば、間違った対策しか出てこないことを知ってほしい。
そして深層に迫ってみたい。
「真相」ではなく「深層」という言葉を使うのは、深層心理的な要因が大きいからだ。そこを本当に理解しなければ、自分たちのやっていることの“怖さ”に気づかない。人をコントロールすることの怖さが本当に分かれば、直ちに行動が変わるだろう。
それは、経営層の方が自らをがんじがらめにしている呪縛に気づくことにもなる。本稿を読むことは、経営層自らの救いにもつながると思う。
子(社員)が救われるためには、親(経営者)が救われなければいけないのだ。
ところで…
自分たちのやっていることの“怖さ”に気づくためには、どれほど追い詰められたのか、高見運転士の心の内を知る必要がある。しかし、生き地獄から逃れて天国に逝った高見運転士-今や、その心の内は、誰も知ることはできない。
だが、人を追い詰める心理構造やメカニズム、そして追い詰められた人の心理や行動に身近に接している私には、彼の“気持ち”がよく分かる気がする(支配のメカニズムの解明は、家族カウンセリングでいつも行っていることだ)。だから、彼のためにも書かなければと思うのだ。
事故が起こった年の7月に出版した「あなたの子どもを加害者にしないために」。それは、「少年A」の“気持ち”を書くのは自分しかいないと思ったから書いた。他に書く人がいないのであれば、自分がやるしかない。
最近も、亜澄さんの“気持ち”を書かなければ亜澄さんが浮かばれないと思って「短大生遺体切断事件」について書き、親殺しをするまでに追い詰められた子供の気持ちを書くために「福島高3母親殺害事件」を書いた。
私は、常に追い詰められた人々の“気持ち”の代弁者としている。
それが、それらの人の気持ちを理解でき、言葉として書くことのできる私の役割だ。
本稿も、高見運転士そして犠牲者の方々のご冥福を祈るために書こうと思う。無駄死ににはさせはしない。
書くとは言っても、『福知山線尼崎脱線事故-家族カウンセラーから見た2年後の現実』の最下段に掲載したとおり、2005年当時、事故発生直後の4/25~5/3にかけて書いた日記を分かりやすく再構成するものである。2年経っても基本的に当時の見方と変わってはいないからだ。
それでは、人を追い詰める怖さを知ってほしい。
<続く>