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20代の心の病~戦争後遺症という視点

2007/09/25(Tue) Category : 世代間連鎖
「人間は環境の動物である」の続きです。


「今」の20代の生きづらさや心の病の背景に一つに、その親、そのまた親-つまり、3世代前の環境が大きく関わっていると言えば、おそらく信じられないかもしれない。何しろ、犯罪が起こる度に精神鑑定まで持ち出して、とことん本人のせいにしてけりをつけようとする「時代」である。

けれど、本人が自分の力だけで生きていると思っている人であっても、人は、連鎖の中で生きている。





さて、「マズローの欲求5段階説」を別枠で開いて見ていただくと分かりやすいと思う。

過酷な戦争を生き抜いてきた世代は生理的欲求を満たすことさえままならなかった。
それで、平和になって安全欲求が満たされた時点でありがたいと思って生きている。

つまり、身体的欲求が保障された時点で欲がなくなり、それよりも高次の欲求に対して感度が鈍い。どころか、自分たちの苦労に比べればそれを求めるのはぜいたくだと感じている。

しかし、愛情欲求・承認欲求は、戦時平時に関わらない、人間の根源的な欲求だ。
むしろ、身近に自然の癒しがあり、地域社会が生きており、兄弟も多く、人が様々な形で支えられていた3世代前よりも、個室で個食の隔離社会となった現代の方が愛情飢餓は深い。

さらに共生社会だった3世代前よりも、競争社会がきわまっている現代の方が、親からの押しつけと急かしに遭い、あるがままの自分とペースで生きることができず、ストローク飢餓も深い。





物質面で豊かになったことで目くらましされているが、精神的飢餓は現代ほどどん底に落ちた時代は、かつての日本にはなかったのではないだろうか。心貧しき時代である。

しかし、心の問題であるために、それが目には見えない。
3世代前は、過酷な環境の中で子どもたちを受け止めないままに生きてきたことに気づいていない。自らが「受け止められ体験」がないために、あるいはそれ以上に戦争という苦労の体験が大きく、気づかないのだ。

次の世代は、自分の親が大変だったために、また親が我慢して生きているために、自分もまた我慢をして生きている。気持ちの出口がないために、「心のコップ」は親に言いたくても言えない自分の感情で一杯一杯だ。

だから、2世代目は、我が子(3世代目)の気持ちを受け止めることができない。心のコップに受け止める余裕がないのだ。むしろ、自分のコップからあふれたものを我が子(3世代目)が懸命に受け止めている。

実は、このように上の世代を気持ちを下の世代が受けている。
3世代目は、上2世代分を受け止めることになる。
だから、3世代目になると、心の病が深刻化する。

つまり、戦争後遺症が今の20代に出てきていると言ってよい。
戦争は終わっていないのである。





自分たちは頑張って生きてきた→今の若者は生ぬるい。
自分たちは我慢してきた→今の若者は我慢が足りない。

違います。

自分たちが頑張ってこられたのは、子どもが支えてくれたから。
そして、その子を孫が支えているから。


親は子の環境である
と同時に


子がその環境を支えて生きているのです


地球が人の環境であり、
その地球環境を人が守ろうとするように





時代が世代間連鎖に与える影響-日本全国版


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Comment

 

第二次世界戦争の戦争状態は、歯舞色丹で日露間で合法に、日本と連合国の間で非合法に、国後択捉で日本と連合国と露の間で非合法に、朝鮮の未独立部分、台湾と澎湖諸島、南樺太と千島、新南群島と西沙群島で日本と連合国の間で合法に続いていて、日本の南極権益も戦争状態の対象です。

日本との平和条約25条21条により、連合国の諸国the Allied Powersと朝鮮は『日本との平和条約2条eの利益を受ける権利』を排他的に独占します。
2条(e)
Japan renounces all claim to any right or title to or interest in connection with any part of the Antarctic area, whether deriving from the activities of Japanese nationals or otherwise.
日本国は、日本国民の活動に由来するか又は他に由来するかを問わず、南極地域のいずれの部分に対する権利若しくは権原又はいずれの部分に関する利益についても、すべての請求権を放棄する。

朝鮮以外の非連合国に対し、日本の南極に対する請求権は完全に有効なままだから、南極が分割される場合、南極に日本領が一応出来て、連合国と朝鮮は日本領南極に対する日本の権利権源請求権に一切拘束されずに日本領南極に属する資源を自由に利用処分出来、連合国は降伏文書ポツダム宣言条項に基づく軍事占領を日本領南極で行う権利が有り、主たる占領国の米が連合国と朝鮮の日本領南極に対する権利を代表して行使する権限を持つ。日本領南極は第二次世界戦争の軍事占領下となり、日本領南極では第二次世界戦争の日本と連合国の戦争状態が合法に続きます。

21条により朝鮮に与えられた『2条eの利益を受ける権利』を行使する資格がある国は、23条により日本との平和条約の主たる締結国の日米が、朝鮮半島唯一の合法政府である朝鮮南半の政府と認める大韓民国政府により代表される韓国。
連合国の諸国も韓国も自国の国体を構成する国民の福利を国家の至上目的とするよう命じる憲法が最高法規だから、米は自国を始めとする連合国の諸国と韓国民の福利のために権限を行使して日本領南極の物的人的資源を利用処分出来ます。

台湾籍民や、朝鮮の未独立部分に属する朝鮮籍民は、台湾と澎湖諸島や朝鮮の未独立部分で合法に継続している日本と連合国の戦争状態の直中です。

 

第三世代の私や、第二世代の母が、愛情や受け止められ体験が薄く、生きづらさの中必死で生きているのに、第一世代の祖父母は「私達は苦労してきた、支えてもらって当然」だと、老いてままならなくなった途端に、離れて暮らしていた母を呼び寄せ、孫というおまけまでついてきて人生楽勝~みたいな思いで生きてやしないかと、つい酷いことを思ってしまう。
だから、ばあちゃん達の面倒を見るのがこんなに窮屈で惨めで腹立たしいのか、と記事を読んでなんとなく理解した。
大事にしたいと思えない。甘えないでくれ、とはねつけたくなる…この衝動を自分で責めていた。冷たい人間だと。

これは、私の性格だからじゃない。
母を大事にしなかった祖父母など、どうして大事にしたいと思えるか。
孫だって親の親の人間性をちゃんと見ている。
これから、どう折り合いをつけていくか考え中。
興味深い記事でした。

 

はじめまして

このブログに出会い、ブログを拝読しながら、自分の信念を書き換えていく、ということをしています。
『楽しいことはいけないこと』までたどり着き、浮かんできたのは『欲しがりません、勝つまでは』
「え、何?これ、私のじゃない。・・・まさか、おばあちゃんの??・・・もしかして、私を苦しめてきたのはこいつ??」と思ってブログをみたら、ちゃんとこちらに書かれていたので、コメントさせていただきました。

 

はじめまして

何年も前の記事で恐縮ですがはじめて拝見させていただきます、29歳の男です
両親教員で生真面目体育会系完璧主義で、ヒステリックな母、子育てせず土日も仕事(部活)にいく父、毎晩のように大声で夫婦喧嘩、奔放な兄と妹、母から出る言葉は父の悪口と愚痴ばかり、その間で親の顔色をうかがい家庭内のバランスを保とうと必死に自分を殺して幼少時代を過ごしました

29歳になった今でも自分の人生を生きている実感がありません
高校あたりからそんな歪みの影響が出て不登校に、その頃には親と何度も衝突しましたが親は一度も正面から私に謝ることはありませんでした、両親から発せられる「親のせいにするな」「なんでこんなことになったんだ」「いじめでもされてたのか」という無神経な言葉。それとまともに高校に通えないという現実が当時の自分にはあまりにも重く、私は自分を責め続けました。
当時は不登校の理由を親にはっきり言いませんでした、自分自身でもよくわからなかったというのが正しいかもしれません
たまりたまったものが急に弾けて行けなくなったのです

学校が合わなかったということにして当時は過ごしました
事実として学校が楽しくありませんでした、しかし今思えばそれ以上に家で安らげていませんでした、例えば部活動で一年坊のためグラウンド整備などで遅くなることがあっても親の説教が待っていました、部活もあまり楽しくなかった上、家に帰っても怒られ、何のために頑張ってるのかよくわからなくなっていました、きっとこっちが主原因だったんだと思います、高校の勉強や部活が大変っていうのは皆一緒だと思いますからね
家に帰っても親が何を言ってくるのか気にしながら監視されてるような安らげない毎日に耐えられなかったんだと思います、兄よりもランクの低い高校に行ったせいで余計に見る目は厳しくなっていたように思います
兄はその頃すでに上京していて両親の視線が自分に一気に向いてしまったため余計にですね
現在は仕事を転々とし震災後から無職です、収入にはなっていませんが野菜作りをしています、完全にお先真っ暗ですね 笑 
でも野菜作りは壊れた心を癒してくれています、今は先の事など考えても落ち込むだけなので考えないように自分ができたことの喜びを素直に感じ自分を認めることにしています

周りに迷惑をかけちゃいけないとか、あれはだめこれはだめと世間に気を使う真面目な人ほど自己評価を低くしがちです、でも自分に自信がなければエネルギーは湧いてきません、エネルギーがなければ何もできません、何もできなければ自信も付きません、そうやってどんどん卑屈になっていきます、超高齢化で不景気な今は尚更ですね、若い人で何をやってもうまくいかないなんて人は大勢いるんだと思います

迷惑かけてもいいから自分が信じたことを実行する勇気を持つべきで、うまくいかなくても恥と思わないこと、この歳になってやっと気づきました、実行できるかは別ですがね・・・
自分語りが長くなってすみません


このブログのような冷静な分析がきちんと世に広まって、大人たち(特に力を持っている世代)がきちんと問題意識を持って社会全体に周知させて私が受けたような負の連鎖を断ち切り、未来の子供たちが連鎖の被害を受けず自由に生きていける世の中になればいいと思いコメントさせて頂きました

今の若い世代にもこのことに気づいてる人たちがちゃんといます、私には何の力もありませんが・・・・
この社会にはまだ光があると信じています

 

長い歳月でした

私も戦争世代の第一世代を支え続けるためだけに生きてきた第二世代。戦争世代は良かったと思う。生き残ること、学校を卒業することが全てであった。しかも、勉強は何もしなくて良かった。軍事教練だけをしておればよかった。戦死した第一世代の肉親のことだけを教えられて生きていた私は、現代に適応できなかった。戦死した私の肉親が学生時代に大陸でして来た事は、ロシア娘の水着の写真を入手すること。そんな暇があれば、数学の勉強でもしておればよかったのだ。

 

まさに三世代目の大学生です。

私は昨年突然全てに無気力になり引きこもりました。
その時、昔私を虐待した父は蔑んだような目で私を罵倒し殴り、母は自身の世間体とお金の心配しかしませんでした。
私はその時からしばらく怒り狂って泣き叫び暴れましたが、こちらのブログのおかげで今だいぶ落ち着き、冷静になっていろいろ考えるとまさに連鎖しているなーと思います。

親を許そうとは思いませんが。

 

時代の影響下の一人の人間

私の父の口癖は、”お父さんの子供のころはなぁ、親のために~したんだぞ。無駄遣いもしない。周りの人からも褒められていたんだ、親孝行だと。弟の面倒も俺一人が見ていた。鳥を飼っても俺の飼ったペットだけは長生きした。それなのに、おまえはなんだ。”でした。遊んだこともなく、友達もなく、自分の喜びのために何かをしたこともなく、私から見ると、口では、優しさとか思いやりをもて、とか言われてきたけれど、まったく情のわからないロボットみたいに見えます。父の両親は必死の状態で、兄弟の中に一人知能障害の子がいて、すべて父が面倒をみなければならなかったそうです。真ん中の子なので放っておかれたみたいです。父の兄は、体が弱かったこともあり、勉強さえしていればいいという具合で勉強だけしていたみたいですし、父の弟も自由にしていたみたいです。そのせいか、父は兄弟の悪口も言うので、子供の頃から誰一人として受け止めてくれなかったのかなぁと思いました。しかも友達もいないのです。結婚してやっと自分の居場所ができた安心感から、娘の私に対して、躾のつもりで、懸命に、俺のことをわかってくれ、褒めてくれ、おまえだけは俺のすべてを受け入れてくれ、ということだったのかなぁと少しだけ理解できました。私はまだまだ理不尽な怒りがありますが、少し楽になりました。ありがとうございます。

 

地域からも離脱を

昔は大変だったとよく言いますが、例えば戦時中、女性達は集まって話しをし支え合う風習が残っていました。
私も地域社会が残る昭和30年代を経験していますので、あの時代がよかったと思います。
人にとって最も苦しいのは、心が孤立無援なこと。そういう意味では、家の中までもが監獄化している今の時代が、最も貧困でかつ息苦しい時代だと言えます。

また、地域社会はいいところばかりではなく、ゆみさんが言われるとおり、逆にそれ自体が監獄としての役目も果たします。
ある地域全体が、同じような価値観の集合体(結界空間)になっていると感じる地域はたくさんあります。
できれば、地域からの離脱もお考えください。

少なくとも、ゆみさんの親の言葉は、人を自律に向かわせる言葉ではありません。










 

全共闘世代が引きこもり

相変わらず鋭いですね。同感です。その予言は的中するでしょうね。

 

納得です・・・

たしかに、そうですね。戦争中に我慢をし、苦労した親の元に生まれた戦後の子供達は、親に受け止められなく、愛情飢餓感で一杯なうえに我慢をせざる得ない時代だったのでしょうね。さらに、世間体に縛られる時代で、自分をさらけ出すことは出来なく、自分自身を見つめる余裕などなっかたのですね。愛情飢餓感で一杯の親の元に生まれた子供を面倒みることで、そんな飢餓感を埋めようとしたのでしょうか?子育ての域を超えて支配になってますよね・・・自分の領域をズカズカ侵入されて、傷づいて、守るために外部と遮断して引きこもりや切れやすい子供が今の時代なんですね。最近の子供は、切れやすいだの我慢が足りないだの親を殺してしまう子供について、評論しているマスコミの話聞いていて、いつも違和感があります。また、一般の人でもこういう理論を話している人に限って、子供を教育という名という支配をしていることに気づかず、反抗したり手に負えないと子育て失敗した!とか言ってるのを聞いたりします。
支配に耐えられなく、そこから抜けよう(自立)とすれば、我慢が足りない、好き勝手やってる、親の苦労を知らないなど、言われてしまう(私の事です)
3代目・4代目に連鎖するなんて考えただけで、おそろしいです。2代分背負ってでも、自分で終わりにしたいと意気込む反面・・・連鎖を絶つ事の周りの批判に負けて、諦めて、井の蛙に居た方が楽かもって思いの葛藤の日々です。
親になって、初めて子を思う気持ちが分かる!子を育てる苦労が分かる!私は、苦労知らずだって日常良く言われます。
そうかなぁぁ??自分がこの歳まで、後遺症を残した、(役立たず・あんたの育て方失敗した・女の屑・などなど)この言葉自分が親になって、どんな苦労を経験すれば子供に言えるのでしょうか??
この場合の苦労は子供を育てる事にあるんじゃなくて、自分の乗り越えられて居ない心の問題なんだって事に気づいて欲しいなと日々思います。連鎖させるんじゃなくて、自分の心に気づけるように、先生のようなきっかけをくれる方が、もっともっと、世の中には必要なのではないかと思わずには、いられません。文章にまとまりがないうえ、長くなり、申し訳ございません。

 

戦後後遺症という視点

心理の世界では、まだ戦後なんだなあと同感です。戦争世代は食事を与え教育を受けさせれば、子育ては終了と考えました。2世代めは我慢した親たちに甘えることはできませんでした。そういう親に育てられた3世代目は今を生きるのに親をたよれず、親を支えています。わが家の3世代目はこのごろ「もう少し経つと
全共闘世代が引きこもりといわれるようになるよ。」予言しています。

 
    
 
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