時津風部屋暴行致死事件(1)-心の叫び
『閉鎖的な角界は上下関係が絶対であり、親方や兄弟子の命令を拒める土壌にはない』
【BNN09月27日(木) 17時20分】
『最後に斉藤さんと言葉を交わしたのは死亡する前日。「僕いい子になるから、迎えに来て」。携帯から父に心から訴えるような声だった』
【東京新聞2007年9月28日 朝刊】
やり場のない憤りが湧いてくる。
時津風部屋と父親と、その双方に対して-。
しばし、
書こうにも書けない。
いろいろな気持ちがぶつかり合っている。
心理的な支配に遭ったり、心理的にヘトヘトで体が動かなかったり…その心の窮地を周囲の人間に理解させることはとても難しい。表面的には一見なんでもないように見えるからだ。その上、現代の人間は心を見ようとはしない。
昨夜いただいた電話も、追い込まれている心の状況を理解できない友人や親の壁に阻まれた悲鳴であった。自分でもなぜそうなのかよく分からない心の状況を、周囲が納得できるような理由で説明できるはずもない。
世間体とガンバリズムで“賢く前向きにプラス思考で”生きている人間に、心の声は届かない。なぜなら、彼らは自分たち自身が自分の心の叫びに耳を貸していないからだ。自分の気持ちを救えない人間が、他人の気持ちを拾えるはずもない…。
だから私が、本人もうまく説明できない「心の叫び」の代理人として、大人に分かる言葉で説明をしに行くことになる。
本日行ってきた家族カウンセリングも、源家族との関係で心理的危機に陥っている妻の状況を、夫に心から理解させるものだった。
人を窮地に追い込むのは第三次禁止令―つまり、逃げ場のない状況(言動や環境)である。夫の型にはまった常識的な考え方が、妻の退路を断っていた。
今日1日で、実は妻が瀕死の重傷であったことが深く分かったと思う。普通に見えた妻が一瞬にしてワッと泣き崩れたとき、夫は深く理解したと思う。常識の世界でどうのこうの言えるところにいなかったことが分かっただろう。
私は、魂の叫びの「言語化」をしている。
だから、心が上げている悲鳴に敏感だし、懸命に動いている。
そして、親のエゴと闘っている。
手遅れになっては遅いからだ。
窮地に追い込まれている人の言葉はききながしてはならない。
発せられる言葉には真実しかないからだ。
…だからこそ、この言葉が突き刺さる。
「僕いい子になるから、迎えに来て」
………
【時津風部屋暴行致死事件】
(1)-心の叫び (本稿)
(2)-モラルの崩壊したDV部屋
(3)-強大な支配下でいじめは過激になる
(4)-価値閉塞空間となった角界
(5)-時津風親方隠蔽工作への憤り
(6)-ハラッサーとしての時津風親方