プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


中尾相談室のカウンセリング概要
カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
10 ≪│2018/11│≫ 12
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

スポンサーサイト

--/--/--(--) Category : スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
 
Comment  |  Trackback
 
 

「たけしの日本教育白書2007」~(2)壊れていく教師

2007/10/29(Mon) Category : 学校・教育・いじめ
「保護者をモンスターペアレントにしない」ために過剰に自己防衛する学校。
掲示されている習字の作品に丸をつけず、通知票に欠点を書かない。

たとえば健康診断をしたとしよう。診断結果に何のチェックもされていなかった。そのため、注意すべき所を見過ごしてしまい、生活習慣病に陥ってしまった…。そうなってはこまるでしょ。だから、チェックとは注意を促すためにある。そこに注意を向けさせ、それを改善するための指導をする。

作品に丸をつけることも、通知票に欠点を書くことも、健康診断書のようなものだ。その時点での自分の実態を客観的に表してくれるものに過ぎない。
むしろ、「あぁ、そうなんだ。じゃあこれからはこうしよう」と、自分が変わるためのチャンスを提供してくれるありがたいものなのである。


1)フィードバックとはなにか-------------------------------
そもそも、生物は自分の行為の結果に対するフィードバックを外から得て自己修正していく(サイバネティクス理論)。

たとえば、壁にぶつかれば方向を変える。壁にぶつかった(作用)ときの衝撃を壁から受けて(反作用)、方向を変えるわけだが、この反作用が壁から自分へのフィードバックである。

ある行為をして褒められればその行為は助長され、叱られればその行為をしなくなっていく-この褒めたり叱ったりすることもフィードバックだ。

私のワークショップで、たった3分間ペアの方がアドバイスしただけで、ビフォーアフターで会議の進め方が劇的に変化する。これも観察したことをフィードバックした結果だ。



2)フィードバックを得られなければどうなるか---------------
たとえば、血液製剤に関する関係者からの手紙が野積みにされていた厚労省。使用者からの声が組織にフィードバックされなかった。結果尊い命が多数失われた。


3)間違ったフィードバックを与えるとどうなるか-------------
たとえば、亀田兄弟は、大事なマナーを身につける以前に、ヒールOKというフィードバックをマスコミから返された結果、エスカレートしてしまった。


このようにフィードバックを得られなければ、生命系は自滅するし、
間違ったフィードバックが返ってくると、進む道を間違える。
正しいフィードバックを得ることが、生物が成長する上でとても大切なのである。

さらにもっと言えば、せっかく書いた作品に何の丸もついてなければ、それは「無視」だろう。やる気も何も出てきやしない。


もう一度、難しく(^^;)定義を書いておく。
システム(系)が動いた結果に関する情報がシステムに戻されることをフィードバックという。そして、そのフィードバックによりシステムは自らを制御する(自己修正フィードバック)。



-------------------------------------------------------------
ハイ、難しくなってしまいました(--;)。
わざわざこう書いてしまったのも、教師の皆様に理論武装していただきたいからだ。モンスターペアレントが何か言ってきたら、こういう事を頭に入れながら、きちんと必要性を述べて対応してほしい。それが、成績で子供の尻をひっぱたく保護者の頭を変えることにもつながるだろう。



ただね…
このフィードバックが「評価」になってしまうと、その評価を基に進学する高校や大学が決まったりすることにつながるからおかしなことになる。
私は、この世に評価など不要(フィードバックは必須)と思っているし、評価なくても組織の効率をあげてみせる。
もう一度、古き良き時代の下記の記事を読んでみてほしい。

【ご参考】
★「先生を育てる社会」 
★「何もつなげない手






関連記事
 
Comment2  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

わずか10数年の違いなんですがねぇ

私は、小中高と先生には恵まれましたね(そりゃ、いろんな先生はいましたが)。今ほど管理的ではなかった。

学校は運動会や作品展示会などを見ると、どのような学校かがよくわかります。
懐の深い校長であるとよいですね…娘さんの学校。

 

基の意味を探さなければいけない社会

中尾先生こんばんは。

わたしの娘が来年から小学校に入ります。
わたしの学生生活は、定時制高校を除いて、「教育」の名のもとに、押し付けられ、管理され、強制されてきた記憶しかないので、「自分の子供を監獄に入れる」ような気持ちであることが正直なところです。

先日も書かせて頂きましたが、幼稚園の行事に行く度に、先生の置かれた環境の厳しさを感じます。
幼稚園が小学校を借りて運動会をするとき、常設の遊具には、「子供にあそばせないでください」の張り紙。
「譲り合い席」と云う奇妙な席の設置。
そして、先日の「拍手が起きない保護者席」。
親と先生、「刺すか刺されるか」の如くの環境の中で、あるがままの個性豊かな子供たちを見守らなくてはならない環境。
自分も嘗て、「障害者施設」と云う所で個性豊であるがままの人たちと働いた経験があるので、親との関係とのギャップに苦しむ環境の厳しさがよくわかります。

「親たちが既に基の意味を知らない。」「基の意味を教えてくれる存在だった、祖父母世代も知らない。」
だから、一人一人が自律を勝ち取り、自分で基の意味に辿り着く方法を身につけなくては、流されていては「悪しき維持者」の一人となってしまうのが、日本の社会と云う環境のように思います。

「情報保護」「環境保護」の名のもとに、会社組織が「ISO」と云う規格を借りて、人間をガチガチの管理下に置いて、さらなるロボット化を進めているのが昨今の悪しき流行でしょうか。

ふと、思いついたことですが、70年代、80年代の刑事ドラマで定番となって居た言葉「警察は疑うことが仕事」・・・いや違う。
警察が人を信じないから、「再犯が起きる」「冤罪が起きる」「犯罪が水面下で行われる」「地域の協力が薄くなる」のでは無いかと思いました。
あれを見て育った我々の世代は、そのまま受け入れてしまいそうになる。。。本質を失った情報が溢れる社会・・・いつのまに30代後半に入った自分も他人事にしてる歳ではない。何かしなくては!

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
アルバム(flickr)
アルバム(フォト蔵)
YouTube

・写真はアルバムページに飛ぶようにしてあります。
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード
 
 
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。