小朝、泰葉夫妻の離婚-知らぬは夫ばかりなり
「小朝・泰葉離婚:父・三平の命日に「別れてください」 会見要旨」
http://mainichi.jp/enta/geinou/news/20071113mog00m200040000c.html
上記ページから抜粋。
泰葉:
あのですね。すべてが落語に行っちゃうんですね。生活のパターンが。落語の会話をすると5時間でも6時間でも朝まででもするんですが、じゃあ例えばカーテンの色を何色にするとか、普通のこと、生活がないというのが実際でした。全部が落語に向かって行きました。
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小朝:
そうなんですよ。「裏では仲悪いんじゃないか」とか、ないんですよ。今年の夏までの間に2人でいろいろな番組に出たんですね。それも彼女が「出たい」って言ったわけですよ。それでまあ番組によっては仲のいい夫婦大賞なんかもらっちゃったんですよ。そして9月なったら彼女からそういう話が来たので、「じゃあ今までのテレビの番組はなんだったの?」と聞いたら、彼女いわく「思い出をつくってた」と。
泰葉:
私は思い出づくりと思わなかったですけど。その頃はあまり(共に)いる時間が少なかったので、一緒にテレビに出られるというのもうれしかったし、出た時の会話が面白かったので。
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小朝:
正蔵のパレードの時に、僕は彼のことにかかりきりになってる時、彼女が「正蔵と私とどっちが好きなの?」って聞いたんですよ。で「君だよ」って僕が言うじゃないですか。そうすると「うそうそ。絶対正蔵だ」というわけですよ。で今度、いっ平のことで(三平襲名発表など)いろいろありました時に、「いっ平と私とどっちが好き?」というんですよ。で、その辺のところが一つのキーワードであったかもしれないですね。
Q:それは焼きもちなんですか?
小朝:焼きもちです。それは彼女の弟に対する焼きもちなんですけども、何がポイントかというと、これは僕がいけないんですけど、3人の三平師匠の子供たちを「三平師匠から預かっている3人の子供たち」というふうに思ってたんですね。だから僕は3人をとても大事にしてたんですけど、彼女は同列じゃ嫌だったんです、はっきり言えば。妻だから。
【2007年11月13日毎日】
そして、
『“おかみさん業”を休止したいと小朝さんに離婚を申し出た』
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ここにすべて語りつくされている。
二人は夫婦ではなかった。
「思い出をつくってた」と語る泰葉さんが哀しい。
2人でテレビに出る事により、せめて夫婦としての証がほしかったのだろう。
兄弟と自分を比べたくなるくらいに
夫の前で自分の存在感がなかった
小朝さんにとって泰葉さんは空気だったのかもしれない
当たり前の存在…
なくては生きられないくらいに大切な存在なのに
当たり前すぎて感謝もない
なくなって初めてそれがわかる…
泰葉さんにとって、主婦はいつの間にか「仕事」(“おかみさん業”)になってしまっていた。
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人は、自分の一部は分らないものだ。
普段、自分に胃があることさえ分からない
胃に痛みが走って初めて胃があったことを知る
泰葉さんが6年も前から心を痛め悩んでいたことを
小朝さんは、会見当日まで知らなかった
私がよく出遭う現実とオーバーラップする
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自分が順風漫歩でいられるのは、実力ではない
必ず、それを支えてくれている人がいる
上滑りに滑っているとき、病は深く静かに進行している
父親が家庭には何の問題もないと思っている傍らで
妻や子は自殺したいほどに苦しんでいたりする
離婚ならまだしも、
殺意さえ芽生えているかもしれないのだ
男性よ、
仕事は人生のごく一部だ
将来の日本人を育てること
=子育てこそが、本来の大人のやるべき仕事だ
そのために、家庭や地域を作ること
惰眠から目を覚まそう
福留選手は泰葉さんと同じってこたないよなぁ…
ちょっとへこむなぁ…男として,いくら円満でも男がかみさんに離脱されちゃった話を聞くというのは…。 ...