「自分と向き合う人」、そして「傍にいる人」へ
という親への思いを
手放さざるを得ないこともある
その時に残るのは
積もり積もった“思い”たち
その“思い”をすくい上げることができるのは、自分しかいない
「今の自分」が「過去の自分」を救ってあげるしかない
予期せぬ時に、不意に思いは湧き上がってくるだろう
その時に闇の中へと押し戻さずに
その“思い”を一緒に味わってあげること
とても苦しいが、
それが自分と向き合うと言うこと
自分が向き合った“思い”は
マスター(自分)が受け止めてくれたことに満足して
やがて落ち着いていく
…
この時に大事なのは、「自分と向き合う人」の「傍にいる人」
嘆き、怒り、苦しんでいる人を見ていることはとても辛い
どうしていいのかわからずにオロオロしたり、
何とかしたいとアドバイスしたり、
いい加減にしろとイライラしたり、
挙げ句、その繰り返しに耐えきれないと音を上げたり…
しかし、苦しいのは「自分と向き合う人」
「自分と向き合う人」は、「傍にいる人」が苦しむと
自分が苦しむことにさえ罪悪感を持つ
「自分と向き合う人」は、「傍にいる人」に何とかして欲しいと思っているわけではない
自分と向き合う苦しい時間を安心して持ちたいだけ
だから、ただ「見守って欲しい」
「自分と向き合う人」は、大きく羽ばたく前の“さなぎ”
「傍にいる人」は“繭”となって、外からの介入を徹底排除して欲しい
「傍にいる人」に求められている役割は、自分が手を出さないだけではなく、外からも手を出させないこと
そして、「自分と向き合う人」が自分と闘う最初から最後までの一部始終を見届けること
繭にこもっている時間は、長い長い時間に思えるかも知れない
しかし、たかが3年
どっぷりつかって7年
脱皮するときは必ず来る
その時、「自分と向き合ってきた人」は「傍にいる人」の前で
強く美しく羽ばたくだろう
