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「自分と向き合う人」、そして「傍にいる人」へ

2007/12/08(Sat) Category : 心の闘い物語
どうしてもわかって欲しい

という親への思いを

手放さざるを得ないこともある



その時に残るのは

積もり積もった“思い”たち



その“思い”をすくい上げることができるのは、自分しかいない

「今の自分」が「過去の自分」を救ってあげるしかない



予期せぬ時に、不意に思いは湧き上がってくるだろう

その時に闇の中へと押し戻さずに

その“思い”を一緒に味わってあげること



とても苦しいが、
それが自分と向き合うと言うこと



自分が向き合った“思い”は

マスター(自分)が受け止めてくれたことに満足して

やがて落ち着いていく





この時に大事なのは、「自分と向き合う人」の「傍にいる人」

嘆き、怒り、苦しんでいる人を見ていることはとても辛い

どうしていいのかわからずにオロオロしたり、
何とかしたいとアドバイスしたり、
いい加減にしろとイライラしたり、
挙げ句、その繰り返しに耐えきれないと音を上げたり…



しかし、苦しいのは「自分と向き合う人」

「自分と向き合う人」は、「傍にいる人」が苦しむと

自分が苦しむことにさえ罪悪感を持つ



「自分と向き合う人」は、「傍にいる人」に何とかして欲しいと思っているわけではない

自分と向き合う苦しい時間を安心して持ちたいだけ

だから、ただ「見守って欲しい」



「自分と向き合う人」は、大きく羽ばたく前の“さなぎ”

「傍にいる人」は“繭”となって、外からの介入を徹底排除して欲しい

「傍にいる人」に求められている役割は、自分が手を出さないだけではなく、外からも手を出させないこと

そして、「自分と向き合う人」が自分と闘う最初から最後までの一部始終を見届けること



繭にこもっている時間は、長い長い時間に思えるかも知れない

しかし、たかが3年

どっぷりつかって7年



脱皮するときは必ず来る

その時、「自分と向き合ってきた人」は「傍にいる人」の前で

強く美しく羽ばたくだろう



20071208朝日



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退行しているように見える

数ヶ月母親とコンタクトしていないと知ると、ほとんどの人は私が母親を受け入れることが、私にとっても良いことだと感じるようで、そんなニュアンスのことを伝えてきます。子を愛さない親はいない、だからあなたの考え方次第だと。
母親と距離を置くことは退行しているように見えるみたいです。もっと前向きに!とアドバイスされます。そんな時には話す人を間違えた!と反省します。退行じゃないもん、さなぎなんだもーん!と叫びたくなります。(^_^)
さなぎ期が終わればこんなことも無くなるのでしょうか。
連鎖を断ち切るのはなかなか孤独な戦いですね。夫が理解してくれていることと、中尾先生と出会えたことが救いです。
さなぎになったばかりなのでまだ先は長いです。

 

じっとしているのは辛い

群り星さん、自分の気持ちと付き合うことは大切です。自分しか自分を救うことは出来ませんから。

でも一人で耐えきれないとき、誰か受け止めてくれる人に気持ちを吐き出してください。誰しも、人に自分のことを受け止めてほしいのです。

人を頼りましょう。頼り頼られ、それが人の世で生きるということです。


 

じっとしていることしか

親への思いを手放したら楽になるかと思っていたのですが本当に苦しいです。
早く抜け出したいけど、じっとしていることしかできないです。
思いが湧き上がってきてどうしようもなくなったとき、このページを読んでいます。
この気持ちを親に解って欲しいと思わなくなっただけでも進歩かな、と思います。

 

スットーン

って、ありますよね(^^;)。
ふと思い出して、「嗚呼!」と叫びたくなるような思いもあったりします。

まぁ、浮かんできたのだから、かみしめてあげるしかないわけで…。書くことは大変で辛いけれど、こういうときに思いっきり書き殴ってみたりするのもよいですよ。思うがままの表現で。それが、気持ちを「認める」ことになります。

特に小さい頃の「気持ち」は言葉を持っていませんから、大人になった自分が代弁してあげるとよいです。それが、自分が自分を救うことにつながります。


 

ブリッジパースン

じゅんさん、コメントする余裕がなかなかありませんがいつも読ませていただいております。
お父さんとの関係がいつも背景にあるようですね。

親子で言えば、子が「自分と向き合う人」で、親が「傍にいる人」。それができる親子関係がベストなのですが…。

人はモデルを見て学びます。自分が自律した存在(Being)であれば、Doingする人もいつか気づくことがあるでしょう。

ブリッジすることも大切な役割です。が、ご無理をせずに。無理があれば、川岸のこちら側で、ただたたずんで(Being)いましょう。

 

タイムリー

ふとしたきっかけで、スットーンと過去を思い出してしまい、心がシクシク痛み、とても辛く苦しい想いになりました。ひたすら過去の自分を(イメージで)抱きしめていますが、心は痛みっぱなしです。そんな時、なんとタイムリーな記事でしょう。

繭を破る日はくるのかな、いや来るんですね。今はちょっと自信喪失、自分が信じられない。だから、中尾先生の言葉を信じます。いつもありがとうございます。

 

違うことの理解

親子が違う考え方を持っている事自体は何ら問題はないと思います。違う考え方や生き方があるにも関わらず、お互いに、親は親の生き方へと、子供は子供の生き方へと導こうと強制する時に問題が出てくるのだと思います。

人間が違う生き方をしている人達と生活すると何か違和感を感じるものだと思います。特に、家族のように毎日一緒に生活している人達であれば、それは顕著に出てくると思います。しかし、違う事自体は悪いことでも何でもなくて、違いを認め合わないことが親子でも他の家族関係を苦しめるのだと思います。

北半球では冬が寒いけど、南半球では夏が寒い。この二つで、冬が寒いのか夏が寒いのかを議論し合ってもしょうがないわけで、その違いを理解して、お互いに違う季節が寒いのだということを理解するのが大切だと思います。人間関係も同じような物だと思ってます。

その時に、どのようにお互いの考え方や生き方が違ううかをしっかり理解することが出来れば、お互いの違いを理解し合って、その違いを尊敬し合って、そして助け合っていけるのだと思います。どういう風に違うのかをしっかりと理解していれば、人同士の距離感は感じないと思います。逆に、全く同じ考え方や生き方をしようとすることは不可能で、不可能であるが故にお互いにイライラしてブツカリ合うのではないでしょうか。万人が全く同じ考え方をするべきだと考えることは、よく原理主義的な宗教的価値観に見いだされますが、それは自分(たち)だけが正しいのだという穿った考え方から生まれてくるのではないでしょうか。

最近は、違う考え方をしている人達に自分の考え方や生き方を理解させようとするのではなくて、その違いという「川」に橋を架けるような人間関係を目指しています。橋を架けることが出来れば、橋のこちら側の人達の生き方も、そして向こう側の人達の生き方も理解できるようになって、違った生き方や考え方が相補的な役割を果たしていくのではないでしょうか。

 
    
 
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