闇の北九州方式の実態
そう日記に書き残して餓死した男性。
人を守るべき行政が、人を見殺しにした。
その人殺し行政の実態が、元職員(ケースワーカー)によって語られた。
藤藪貴治さん。
勇気ある証言だと思う。
『生活保護「ヤミの北九州方式」を糾す―国のモデルとしての棄民政策』という本を出版されている。
氏によれば、毎年生活保護率を下げるための「数値目標」が設定される。
率を下げる=保護対象者を減らす。つまりは、人を切ると言うことだ。
で、ターゲット(標的)が決められるらしい。
「○○は、今年中に“自立”ね!」
(氏によれば、同じ市民(人間)として見ていないので呼び捨て)
発言者は、自分が言ったことの意味を理解しているのだろうか?
自分が道具となって生きている人間は、人の命も軽く扱う。
受給者は語る。
「怠けている、と毎度のように言われると、もうどうでもいいという気になる」
…自尊心をはぎ取り、人を追いつめていく言葉の暴力。
ある時、氏が担当していた80才の老婦人が孤独死した。すると、
「あぁ、1件減ってよかったね!」
人間の言葉だろうか。
「人間を幸福にしない日本というシステム」そのものを見る気がする。
なぜ、ここまで行政に「心」がなくなってしまったのか。
かつて、炭坑閉鎖に伴って北九州は全国一、生活保護者を抱えていた。
それを減らすため、厚労省は30年にわたって中央から人を送り込み、「適正化」の指導をした。
その“指導”の結果生まれたのが、「闇の北九州方式」である。
そして、2006年、厚労省は北九州を高く評価した…。
地方自治体よ、中央のロボットになるな。
ロボットになれば、「心」を亡くす。
行政は、
人々を生かすためにある。
人々を殺すためにあるのではない。
このような当たり前のことを、わざわざ書かなくてはならないことが哀しい。
【今朝のスーパーモーニング(テレ朝)「告発の行方」を見て】
【ご参考】
週刊東洋経済「貧困の罠」特集に見る日本-(2)弱者切り捨て