なぜ危険運転致死傷罪にならない?-福岡地裁判決への憤り
車自体が凶器だろう。
車に乗るということ自体、「生殺与奪の権」をドライバーが持つということだ。
だから慎重の上にも慎重さが要求される。
にもかかわらず、運動神経を狂わせるお酒を飲む。
飲酒で運転をすると言うこと自体、「未必の故意」があるということだ。
つまり、量の多寡に寄らず、飲んで運転すると言うこと自体が「危険運転」だろう。
なぜそれが、「過失」になる。
福岡地裁の言っていることは、「故意」を「過失」と認定したに等しい。
今回の福岡地裁判決の最も重大な悪影響は、心理学的には
「車に乗るときに酒を飲んでいてもよい」という「許可(パーミッション)」を与えたことだ。
なぜなら、飲んでいようが素面だろうが、罪状は「業務上過失致死傷罪」なのだから。
飲んでいても、“業務上の過失”なのである。
福岡地裁は、この判例の重大性の意味をわかっているのか?!
しかも、ビールに焼酎のロック、ブランデーを飲み、さらに、ろれつが回っていなくても「過失」になり得ることを福岡地裁は示した。要は、かなり酔っぱらって運転しても、言い逃れが出来るという道を示したのだ。
もう一度、問う。
福岡地裁は、この判決の重大性の意味をわかっているのか?!
さらに、この事故で幼い命が3名も奪われ、ご両親、ご親族、友人たち、関係する全ての人の将来を奪った。
人の命の重さ、人の幸せを奪うことの罪の重さをわかっているのか?!
形だけ整えて国民にアピールし、しかし、内実は伴わず機能できない法律。
国民の声と業界からの圧力の狭間で、このような無様な法律になったのではないか。
茶番だ。
法律が人を守るものになっていない。
悪しき行動を自ずから変えていくように導くものになっていない。
むしろ、悪しき状況を維持させるもの(イネイブラー)となっている。
「利益」の前に、人がどんどん片隅に追いやられていく…
「便利」や「効率」の前に、人がディスカウントされる環境が蔓延していく…
なんのための「利益」「便利」「効率」なのか。
この社会は、誰のための社会なのか。
大上夫妻は、控訴しなかった…。
私には納得できないが、いろいろな圧力があったのだろうか。
無念だと思う。
【記事】
2006年8月、飲酒追突により3児が死亡した福岡市の博多湾車両転落事故で、福岡地裁判決は危険運転致死傷罪の成立を否定して業務上過失致死傷罪を適用し、元同市職員今林大被告(23)に懲役7年6カ月の実刑判決。
川口裁判長は判決理由で「事故当時、今林被告が酒に酔った状態だったことは明らかだが、アルコールの影響により正常な運転が困難な状態だったとは認められない」と述べた。
【ご参考】
飲酒運転ー遺族が真実を暴かなければならないのか!
道路から見たこの国の主体
「JR福知山線脱線事故の深層」より
第2部 信楽高原鉄道事故の教訓 (4)イネイブラーとなった裁判所
第4部 「日勤教育」に見る洗脳の仕方 (6)イネイブラーとなった裁判所Part2