三菱自欠陥隠し問題から学べ
2008/01/18(Fri) Category : 社会事件簿
三菱自タイヤ脱落死傷事故、 三菱自欠陥車運転手死亡事故に関わる判決が昨年12月13日、そして今年1月17日と相次いで出された。
ハブの破損やクラッチ系統の欠陥を放置してヤミ改修(指示改修)でしのぎつつ、社内におけるクレーム隠し→国に対するリコール隠しを続ける中で、ついに言われなき命を奪ってしまった。この「不作為の罪」とも言うべき事故に対して、裁判所は厳しくその刑事責任を問うた。
三菱自は“何もしなかった”ことにより人の命を奪っただけではなく、「三菱自は絶対に許せない」と怒る亡くなった娘さんの母親や夫、家族まで追いつめられた事故車のドライバー、その他多くの人の人生を不幸に陥れた。
裁判所が断罪したのは、「危険を承知で何もしなかったこと」である。
裏から言えば、ブランドイメージを守り、コスト増大(利潤減少)を避けるために、あえて何もしなかった…。
これは、家族の問題にも言えることだ。
「お家大事」の思想があるために、「身内の恥を外にさらすな」という意識の強い日本。
夫婦や家庭内に問題があっても、外部に相談しようとしない。身内にいる心身の障害者を隠そうとするだけではなく、隔離した上で最初から“いない”ものとして扱う「家」もあるくらいだ。
しかし、何もしない中で感情は煮詰まっていき、ある時、家庭の内外で爆発する。殺人事件の内「家庭内殺人が47%」などと無意味な区分をしているが、被害が内であれ外であれ、その遠因の寄って来たるところは家庭であろう。
いずれにせよ、同居している人は危険を察知していたはずである。危険を察知したのなら、何もしないで放置するのではなく、相談するなどの行動を起こさなければならない。その勇気がないばかりに、内外に犠牲者が出ることになるのだ。
閑話休題-
裁判所が断罪したのは、全ての企業が背負っている(日本が背負っているとも言うべき)「隠ぺい体質」である。
ことは三菱自動車だけの問題ではない。
全ての企業が陥る可能性のある罠である。
三菱自動車を責めて終わるのではなく、この問題を「他山の石」として自らを振り返ってほしい。
全ての事件は、自らを振り返るためにある。
少し振り返ってみたい。
尚、2005年当時のメモを基に先に述べておけば、
元副社長村田有造被告と元品質・技術本部副本部長中神達郎被告の2名は自らの責任を認めご遺族との示談が成立している。
一方、無罪を主張する元社長河添克彦被告と元役員で三菱ふそう元会長の宇佐美隆被告は示談が成立していない。
先のお二人はご遺族の痛みがわかるからこそ自分のやったことを認め、もう2度とやらない、と更生できるのである。
また、自分たちの痛みをわかってもらったということがご遺族にもわかるからこそ、ご遺族もこの2名を信用できるのである。だから、お二人はご遺族と示談することができた。
しかし、自らの罪を認めようとしない後者2名とご遺族の方々との示談が成立しないのは当たり前である。ご遺族の方々が、この2名を信用できないからだ。
最後にモノを言うのは、肩書きでも能力でも地位でもない。
人間としての誠意である。
そして、誠意を示した時、加害者と被害者が再び手を取り合えることを村田氏と中神氏は示している。
ただ、判決メモを見ればわかるとおり、当然ながら量刑は同様に課される。
ならば何故、事故の前に誠意ある姿勢で事に対処できなかったか、と悔やまれる。
そこが、組織に飼われることの怖さである。
この後の分析を、我が身を守るためにも「他山の石」としていただきたい。
【ご参考】
「光市母子殺害事件」(1)-「謝る」意味と謝らない親
「光市母子殺害事件」」(2)-謝罪しない姿から加害者が学ぶこと
ハブの破損やクラッチ系統の欠陥を放置してヤミ改修(指示改修)でしのぎつつ、社内におけるクレーム隠し→国に対するリコール隠しを続ける中で、ついに言われなき命を奪ってしまった。この「不作為の罪」とも言うべき事故に対して、裁判所は厳しくその刑事責任を問うた。
三菱自は“何もしなかった”ことにより人の命を奪っただけではなく、「三菱自は絶対に許せない」と怒る亡くなった娘さんの母親や夫、家族まで追いつめられた事故車のドライバー、その他多くの人の人生を不幸に陥れた。
裁判所が断罪したのは、「危険を承知で何もしなかったこと」である。
裏から言えば、ブランドイメージを守り、コスト増大(利潤減少)を避けるために、あえて何もしなかった…。
これは、家族の問題にも言えることだ。
「お家大事」の思想があるために、「身内の恥を外にさらすな」という意識の強い日本。
夫婦や家庭内に問題があっても、外部に相談しようとしない。身内にいる心身の障害者を隠そうとするだけではなく、隔離した上で最初から“いない”ものとして扱う「家」もあるくらいだ。
しかし、何もしない中で感情は煮詰まっていき、ある時、家庭の内外で爆発する。殺人事件の内「家庭内殺人が47%」などと無意味な区分をしているが、被害が内であれ外であれ、その遠因の寄って来たるところは家庭であろう。
いずれにせよ、同居している人は危険を察知していたはずである。危険を察知したのなら、何もしないで放置するのではなく、相談するなどの行動を起こさなければならない。その勇気がないばかりに、内外に犠牲者が出ることになるのだ。
閑話休題-
裁判所が断罪したのは、全ての企業が背負っている(日本が背負っているとも言うべき)「隠ぺい体質」である。
ことは三菱自動車だけの問題ではない。
全ての企業が陥る可能性のある罠である。
三菱自動車を責めて終わるのではなく、この問題を「他山の石」として自らを振り返ってほしい。
全ての事件は、自らを振り返るためにある。
少し振り返ってみたい。
尚、2005年当時のメモを基に先に述べておけば、
元副社長村田有造被告と元品質・技術本部副本部長中神達郎被告の2名は自らの責任を認めご遺族との示談が成立している。
一方、無罪を主張する元社長河添克彦被告と元役員で三菱ふそう元会長の宇佐美隆被告は示談が成立していない。
先のお二人はご遺族の痛みがわかるからこそ自分のやったことを認め、もう2度とやらない、と更生できるのである。
また、自分たちの痛みをわかってもらったということがご遺族にもわかるからこそ、ご遺族もこの2名を信用できるのである。だから、お二人はご遺族と示談することができた。
しかし、自らの罪を認めようとしない後者2名とご遺族の方々との示談が成立しないのは当たり前である。ご遺族の方々が、この2名を信用できないからだ。
最後にモノを言うのは、肩書きでも能力でも地位でもない。
人間としての誠意である。
そして、誠意を示した時、加害者と被害者が再び手を取り合えることを村田氏と中神氏は示している。
ただ、判決メモを見ればわかるとおり、当然ながら量刑は同様に課される。
ならば何故、事故の前に誠意ある姿勢で事に対処できなかったか、と悔やまれる。
そこが、組織に飼われることの怖さである。
この後の分析を、我が身を守るためにも「他山の石」としていただきたい。
【ご参考】
「光市母子殺害事件」(1)-「謝る」意味と謝らない親
「光市母子殺害事件」」(2)-謝罪しない姿から加害者が学ぶこと