「本能は悪」のウソ
2008/01/19(Sat) Category : 心と感情
今日は、自主勉強会の日だった。
奇数月に恩師の遺志を受け継ぎ、カウンセリングのロールプレイとその逐語検討や事例検討を行っている。
午前中は、メンバーの持ってきたあるビデオを見た。
箱庭を使って、ある子供が成長していく姿を捉えたドキュメンタリーでとても興味深かった。ただ、解説が西洋流に味付けしてあった。
向こうの基本的な考え方は、本能を悪とみなし、それに振り回される状態を「未発達」もしくは「障害」と見なし、それを制御する精神力を身につけることが成長であるとする見方だ。
フロイト的に言えば、エス(本能)からの衝動を抑え、超自我(スーパーエゴ)の要求する規制に自分を適応させていくことが自我(エゴ)の発達である。自我が未発達で本能を制御できなければ(適応)障害が起こると考える。
ここから次のような考え方が出てくる。
子供は動物であり、躾をしマナーを教えることによって洗練されたレディー&ジェントルマンになる。
女性は男性より感情的になりやすく動物的(=劣る)(←え~あくまであちらの一般的考え方です。私の考えではありません)。
洗練された身のこなしが出来ない自然と共生する人々は「未開人」。
ん~、とっても窮屈。
何故、こういう考え方が出てきたかというと、人間に対して自然が厳しかったから。自然をコントロール(制御、支配)することが人類(理性)の勝利という価値観が生まれた。
穏やかな自然に恵まれた民族からは「あるがまま」を受け入れる思想が育つが、それとは対極に位置する思想だ。
<ご参考↓>
ガイアからの自律
家族カウンセリングをしていれば、子供はお腹にいるときから外の様子を伺っているし、1歳であっても大人の世界を把握しているし、親が赤ちゃんで子供が大人ということもそんじょそこらにあることがわかる。
感情的なのは、「心のコップの状態」の問題であって、それは老若男女問わない。人格者であろうが聖人君子であろうが、気持ちを吐き出せずにコップが一杯になれば感情的になる。
昔ながらの生活様式を守り自然と共生する人々こそが「自律」した大人であり、いわゆる文明人が地球に甘えた子供であることがわかる。
ドキュメンタリーでは、あたかもセラピストが子供の未成熟な自我を成長させて、本能の制御に成功したような印象の解説となっている。そのような解説を聞けば、いかにも難しそうで、専門家の支援を仰がなければならないように思える。
が、事はそう難しくはない。
その子は、セラピストという安心できる「環境」の下で心おきなく自分と向き合い、自分の中に封印していた気持ちをどんどん吐き出していっただけ。気持ちは自分自身であるから、その気持ちを認めていくことが自分の背骨を作っていく。自分は自分の気持ちに気づいた分だけ=自分の気持ちを吐き出した分だけ、人は成長していく。
そもそも、人から見守られているというだけで人はどんどん自分に自信をつけていくものなのだ。
誰しも、人から見守られた中で存分に試行錯誤したいのである。それを存分に出来た人が成長するのだ。
難しい解説も理屈もいらない。
小難しい理論などに振り回されないように。
だって、本来、誰もが人を成長させることが出来るのだから(でなきゃ人類存続していない)。
本来出来ることが出来なくなっているとすれば、それは、人が属している「文明」という器(環境)が曲がっているということ。その環境に精神汚染されてしまっているということ。
特に、西洋思想からは何につけても「コントロール(支配、制御)」の概念が生まれてきやすい。これが全ての不幸と闘いの源になる。
だからみんな、文明に妥協せず巻き込まれず、当たり前のことを当たり前にやろうよ。
【ご参考】
志を受け継ぐ
シニア産業カウンセラーを目指す方の逐語訓練
自分探しでのカウンセラーの選び方
奇数月に恩師の遺志を受け継ぎ、カウンセリングのロールプレイとその逐語検討や事例検討を行っている。
午前中は、メンバーの持ってきたあるビデオを見た。
箱庭を使って、ある子供が成長していく姿を捉えたドキュメンタリーでとても興味深かった。ただ、解説が西洋流に味付けしてあった。
向こうの基本的な考え方は、本能を悪とみなし、それに振り回される状態を「未発達」もしくは「障害」と見なし、それを制御する精神力を身につけることが成長であるとする見方だ。
フロイト的に言えば、エス(本能)からの衝動を抑え、超自我(スーパーエゴ)の要求する規制に自分を適応させていくことが自我(エゴ)の発達である。自我が未発達で本能を制御できなければ(適応)障害が起こると考える。
ここから次のような考え方が出てくる。
子供は動物であり、躾をしマナーを教えることによって洗練されたレディー&ジェントルマンになる。
女性は男性より感情的になりやすく動物的(=劣る)(←え~あくまであちらの一般的考え方です。私の考えではありません)。
洗練された身のこなしが出来ない自然と共生する人々は「未開人」。
ん~、とっても窮屈。
何故、こういう考え方が出てきたかというと、人間に対して自然が厳しかったから。自然をコントロール(制御、支配)することが人類(理性)の勝利という価値観が生まれた。
穏やかな自然に恵まれた民族からは「あるがまま」を受け入れる思想が育つが、それとは対極に位置する思想だ。
<ご参考↓>
ガイアからの自律
家族カウンセリングをしていれば、子供はお腹にいるときから外の様子を伺っているし、1歳であっても大人の世界を把握しているし、親が赤ちゃんで子供が大人ということもそんじょそこらにあることがわかる。
感情的なのは、「心のコップの状態」の問題であって、それは老若男女問わない。人格者であろうが聖人君子であろうが、気持ちを吐き出せずにコップが一杯になれば感情的になる。
昔ながらの生活様式を守り自然と共生する人々こそが「自律」した大人であり、いわゆる文明人が地球に甘えた子供であることがわかる。
ドキュメンタリーでは、あたかもセラピストが子供の未成熟な自我を成長させて、本能の制御に成功したような印象の解説となっている。そのような解説を聞けば、いかにも難しそうで、専門家の支援を仰がなければならないように思える。
が、事はそう難しくはない。
その子は、セラピストという安心できる「環境」の下で心おきなく自分と向き合い、自分の中に封印していた気持ちをどんどん吐き出していっただけ。気持ちは自分自身であるから、その気持ちを認めていくことが自分の背骨を作っていく。自分は自分の気持ちに気づいた分だけ=自分の気持ちを吐き出した分だけ、人は成長していく。
そもそも、人から見守られているというだけで人はどんどん自分に自信をつけていくものなのだ。
誰しも、人から見守られた中で存分に試行錯誤したいのである。それを存分に出来た人が成長するのだ。
難しい解説も理屈もいらない。
小難しい理論などに振り回されないように。
だって、本来、誰もが人を成長させることが出来るのだから(でなきゃ人類存続していない)。
本来出来ることが出来なくなっているとすれば、それは、人が属している「文明」という器(環境)が曲がっているということ。その環境に精神汚染されてしまっているということ。
特に、西洋思想からは何につけても「コントロール(支配、制御)」の概念が生まれてきやすい。これが全ての不幸と闘いの源になる。
だからみんな、文明に妥協せず巻き込まれず、当たり前のことを当たり前にやろうよ。
【ご参考】
志を受け継ぐ
シニア産業カウンセラーを目指す方の逐語訓練
自分探しでのカウンセラーの選び方
お道化た叫び歌
神経に火がついた。気分の高揚。 読めない。計算できない。勉強できない。 眠ることも出来ない。 書 く こ と し か 出 来 な い 。 ***... ...