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心友Sのこと-10年前の1月

2008/01/20(Sun) Category : 人生・世代
丁度10年前、1998年の1月22日。
私は友人代表として、心の友Sへの弔辞を詠んだ。
96年の3月に、友人代表として彼の結婚式の祝辞を述べて2年もたたない内のことだった…。



学部移行して知り合った彼は、長身色白で、クラシックと日本酒を愛する純朴な秋田人だった。
「お前のような顔は、秋田にはおらんぞ」
「そりゃ日本人は5民族くらいの混交だからな」
などと戯れ言を言っていた。

とある日、窓から覗くと背を向けて何かに熱中している(下宿の部屋は1階)。
大声を出すと、バネ仕掛けのように飛び上がって驚き、腹の皮がよじれるほど大笑いしたことを思い出す。

私の結婚式の時には、彼が友人代表で祝辞を述べてくれた。
学究肌の彼は、東大農学部の博士課程へと進み、助手となり、その後調査などでマスコミと関わっていたが、純真な男にとって社会は辛そうだった。結婚と聞いたときには、「春が来た」と喜んだものだ。





「おう、久しぶり」

唐突に彼から電話がきたのは、1997年の暮れだった。
そろそろ子供の話でも、と思いきや

「実は、大変だったんだ…」

深い疲れをたたえた声だった。
手術し、入院していたと言う。
話し方、声の様子から、その大変さを実感した。


私が、来年東京に転勤になることを告げると、彼は喜び、

「じゃあ、東京で飲もう」

そう言って切れた。
あえて病名は聞かなかったが、私は、その言葉から、もう回復に向かい始めているんだろう―そう、思った。




そして、年賀状が来た。

『東京での再開を楽しみに』

そこには、あいつらしい字で、そう、書いてあった。





当時私は39歳。
自分の棚卸しのため、電話を受けて数日後の晦日からパソコンに向かい始めた。

会社が始まって以降も、帰ってどうにか一息つき、寝る前の少しの間、とにかく10分でも1時間でも2時間でも、書く気力があれば書き続けた。土日もぶっとおしで自分と向き合っていた。



その最中の1月18日だった。

朝8時半。北海道で大学の講師をやっている友人から電話が入った。

「Sが、亡くなったんだ」







最初は、何のことだかわからなかった。
暮れの会話、届いた年賀状…その流れの先には「再会」があるはずだった。
その流れと、耳がきいた唐突な現実が結びつかなかった。

癌だった。

その時、感情が停止していたように思う。
変に冷静だった。
私は事実を否認していたのかもしれない。

「否認」とは、あまりにも大きなショックが襲ったときに、その出来事を自分には無関係と決めこんで、パニック状態にならずにその危機を素通りするために無意識になされる防衛機制だ。心の安定を守るために使われるもっとも原初的な自己防衛のメカニズムである。





1月22日。
葬儀場で、札幌から来た友人と少し言葉を交わした。
私は、冷静だった。
そして、ご親族と向き合う形で着席した。


読経が流れ始めた。


「ご唱和下さい」


その声を聞いた瞬間、
まるで引き金を引かれたように、泪が滂沱と溢れてきた。


眼をきつくつぶっても、閉じた瞼から大量に溢れてくる。
堪えようとした口が、どうしようもなくへの字に曲がった。





私が弔辞を述べる番だった。

棺の前に立った。

気持ちを立て直そうとした。

しかし、こみ上げる嗚咽で言葉を発することが出来ないまま、ただ立ちつくしていた。

私は、全身で泣いていた。






ようやく、私は
全身に力を込め、搾り出すように声を押し出した。

途中で、
何度も何度も、何度も何度も、思いが溢れて
止まらざるを得なかった。

その都度、大声で声を絞り出すために、声がひっくり返ったりした。



泣きながら、途切れ途切れに喚いていた…それに、近かったかもしれない。






長い時間をかけて、
私は、Sに 自分の決意を述べた。

当時、自分の棚卸しをしていた私が、新たな人生に向けて第一歩を踏み出すことを誓った初めての相手-それがSだった。




あれから10年。




私は、Sに誓った道を今、歩いている。






私は、様々な人に導かれて今、この道を歩いている。

中でも、私にくさびを打ち込んでくれたのが、「弱き者への共感を忘れるな」というSの言葉だった。Sから私に贈られたその言葉と、Sに宣言した私の決意(弔辞)を書くことで、没後10年の弔いとしたい。


1月21日-Sからの祝辞
1月22日-Sへの弔辞
を掲載します。





<Sへ>

ありがとう。








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友人Sさんのステキな言葉!

結婚生活22年間ずっと主人から「弱いものは罪や!悪や!」と責められてきましたので、

「弱き者への共感を忘れるな」・・・という中尾先生のご友人Sさんの言葉が胸に優しく響きます。

神様はどうしてこんなにもすばらしい人をあちらの世へ連れていってしまうのでしょう。

ハワイにいる内向的だった息子は大学1年の時初めて友人と思える友に会いました。
しかし彼は出会って数ヶ月で突然肺炎で亡くなってしまいました。

当時息子は息をすることも出来ずパニックになってしまい、学校の先生に病院へ連れて行ってもらいました。

神様を恨んだそうです。友人の少ない僕からなぜ?大切な友人を奪ってしまうのか・・と。

その時に私に泣きながら電話をしてきました。

私が彼に言えることはただ一つでした。
彼は悲しいかな亡くなってしまったけれど、魂はずっと行き続けているのだから、その友人のことをずっと忘れず心でいつも思っていればいいんだよ・・・って。

先生のご友人もそういう意味では幸せですね!

いつも心で思ってくれている友(中尾先生)がいらっしゃる。

きっと天国から先生のご活躍を微笑みながら見ていますね!

 
    
 
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