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「キレる大人」の心理(1)-定年退職後、突然キレだした理由

2008/01/25(Fri) Category : 心と感情
NHK「新トーキョー人の選択」という番組で「さらば!キレる大人」と題した特集を見た。

■定年退職後、突然キレだしたKさんの悩み----------------------

「勤め人の時はそうじゃなかったのに…、退職して自由で不満もないし…どうしてキレるかわからない」と、自分でもよく理由がわからないK氏。聞けば、瞬間湯沸かし器的に怒っている。
奥さんは、仕事一筋で趣味もなく友達もいないKさんの、退職後の日常がストレスになっているのではないかと考えている。Kさんの日常は、日中誰とも話をせず、ただ喫茶店に行って新聞をくまなく読むのみ。

そんなKさんの言葉で印象に残ったのは、次の3つ。
1,「これまで全力で笑ったことも、泣いたことも、怒ったこともない」
2,「これでひいたらおしまい。命をかける」
3,「正義で言ってるつもり」





1の言葉は、感情を抑圧して生きてきたことを示している。
子供の時こそ感情を思いっきり表現し、大人になっても活き活きと仕事が出来ることが「幸せ」なのだろうが、現代人でそのような環境にある人は一体どのくらいいるだろう。

自分の胸に手を当てて、「思いっきり笑ったこと」「思いっきり泣いたこと」「思いっきり怒ったこと」-それぞれを思い浮かべてみるとよい。それぞれ幾つかある人は幸い。ない人が圧倒的に多くなっているのではないだろうか。

子供が大声出して遊べる自然環境はなくなったし、叫ぶような遊びもしなくなったし、「大人しい」ことが是とされるようになったし…我が子達も、「腹の底から声を出す」という経験はないのじゃないだろうか…。

人間、自分の限界を知りたいもの。知って初めて次に行ける。それがわからないからもどかしく、どこかに不全感があり、そして…次に行くことが出来ない。

感情=自分自身であるのに、その感情を全力で表現していないということは、自分を全力で生きていないと言うことに等しい。自分の人生なのに、自分を生きていないのである。

当然、その間静かに不満が積もっていく。宮仕えの会社の仕事は作業をこなすように黙々と…。あれこれ言われてただ我慢? 「何様のつもりじゃ」と言うKさんの怒りの言葉は、宮仕えの時に言いたかった言葉をようやく「今」吐き出しているように思える。


怒っているのに怒っていないという人





2の言葉は、ディスカウントされて生きてきたことを示している。
ディスカウントとは、「人の数に入れない」=人として見なさない、無視すること。
人がディスカウントされる場が「崩壊基地」

そもそも、自分の気持ちに我慢をさせて他を優先して生きること自体が、自分の自分に対するディスカウントだ。例えば、自分のことを二の次にして人のことを優先させる性向は、幼い頃の親との関係の中から形成される。

一見ニコニコと従順で穏やかに見えるのだが、自分自身(感情)がないがしろにされているので「怒り」が静かに溜め込まれていく。怒りとは、人間の尊厳を傷つけたれたときに湧く感情なので、ディスカウントされた人、自分の気持ちを抑圧して生きている人は、自分でも気づかぬうちに怒りを溜め込んでいる。

またディスカウントとは、自分の価値を値引きして見られることだから心が傷ついている。その日常が続く間に心は傷つきまくって、もうこれ以上傷ついたら立ち直れない、自分がダメになってしまう…そういうギリギリのところで生きるようになる。

すると、もう髪の毛一筋ほどのニュアンスであっても、そこに自分がないがしろにされた、自分が卑下された、というニュアンスを感じたとき、もうこらえきれず大爆発を起こすのである。そこには、これ以上傷ついたら自分が自分でいられなくなってしまうと言う危機感がある。だから、「命をかける」のだ。

宮仕えでなくなった今、失うものは何もない。K氏は、そういう状況に置かれて初めて「我慢する」ことをやめたのだ。


「ディスカウント」vs「傲慢」





そして…
3の言葉-見事に言ってくれましたという感じだ。
「正義」が怒り爆発のトリガー(引き金)である。

元々吐き出したい怒りが先にある。事が起こって怒るのではない。怒りが、出るきっかけを常に探しているのだ。「袖すり合うも多生の縁」ならぬ「袖すり合うもキレるチャンス」なのだ。チャンスを逃さず吐き出したいのである。

それが証拠に、本当に「正義」ならば穏やかに言えばいい。真っ当なことであれば、穏やかに言っても十分に相手には通じる。「正しいことを言うときは穏やかに言いなさい」-昔の人はそう教えたものだ。

が、「正義」だと思った瞬間に「キレる」-何のことはない、それは怒りを吐き出す正当性を自分が得たと感じるから、ここぞとばかりに怒るのである。最近の大人げない「キレる大人」は、圧倒的にこのパターンが多いのではないかと思う。


人はどのように怒りを吐き出そうとするか?





Kさん。
他人に代償行為として怒りを吐き出している間は、怒りの本体は出て行かない。怒りの根源は何か、時間を得た今こそ、自分と向き合うべきだ。ようやく自分自身と向き合うときがやってきたのである。向き合ってこなかったこと自体が怒りになっているのだから、もう自分からは逃れられない。

トラブルや事件になる前に、自分と向き合ってほしい。



「キレる大人」の心理(2)-感情でものを言われるとキレる理由



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私もそう

私もそうです。
自分では、相手が全面的に間違っていると感じた時に躊躇せず刀を抜く癖がある、と感じていたし、別の時には、尋常ならない怒りを暴力にして相手にぶつけている夢を見て、自分でもびっくりしたこともあります。私はいったい何に対して怒っているんでしょうね…

 

脱洗脳のストーリー!

まずは、脱洗脳おめでとうございます!

気づかないマインドコントロールの凄さがわかります。そこから離脱する過程で極端に振れることはよくありますし、それが必要な場合もあります。

それにしても、よく自力で抜けることができましたね。お疲れ様でした(というのも何ですが…^^;)

おめでとうございます!!


 

ディスカウント

私自身、このディスカウントということに気がつくまで非常に時間がかかりました。気がついた時の心の痛みは言葉で表現できないくらいで、自分が人間ではないような気がしました。生身というよりは自分が一つの無機的な物として生きて来たのだと実感しました。その事に気がつくまで、自分自身を苦しめてまで人のため社会のため組織のために生きることが正論だと信じていました。ところが、ある出来事をきっかけにディスカウントすることを止めました。そのディスカウントされた状態から抜け出すのは大変でした。なぜなら、ディスカウントされた状態から抜け出すことによって、自分自身のために生きることになる。その自分自身のために生きることに罪悪感を感じるからです。つまり、それくらいディスカウントされた状態で生きてきたということだったのだ解釈しています。そこから抜け出すことは、ある意味でこれまで自分がしてきたことや力を注いできたことの大部分を否定することでもあり、中尾さんが良く言っているように自分の親子関係のある部分又は重要な部分を否定することになるからです。でも、それは罪ではないのだということに気がつき、ディスカウントされた状態から抜け出していきました。つらい時期でした。もちろん、その当時はディスカウントという言葉は知りませんでしたが、中尾さんのブログを読み始めてから、ああいう状態をディスカウントと呼ぶんだなとわかりました。

ディスカウントを止めてからの数年は、他の人のために何かをすることを一切止めるようになってしまい、それもまた気持ちの悪い時期でした。困っている人を見ても放っておいて、何かを頼まれても必ず断るという感じの日々でした。それ以前のディスカウントしてきた期間も気持ちが悪かったのですが、この数年間の他人のために何もしない時期も気持ち悪かったのです。それで、まだ何かおかしいなと思って色々と考えてみました。

何がおかしかったかというと、ディスカウントしていた時代は自分の心を殺して他人を助けていた。そして、ディスカウントを止めた後の数年間は自分自身が出来る簡単なことや自分自身を殺さなくても周りの人達のために出来ることまで止めてしまったのです。自分を殺して人を助けるのも気持ちが悪い。そして、自分にとって可能な人助けをしない人生も気持ちが悪い。今になって考えてみると、そういうことだったんだと思います。

それで、それ以降は出来ることであれば自分の感情を殺さない範囲で色々なことを人のため社会のためにもするようになりました。何かを頼まれたり、何か困っている人達がいる。そんな時は「自分に出来るかな?自分の心を殺さない範囲で出来るかな?」なんて考えながら人助けが出来るようになりました。中尾さんの先日のブログにもありましたが、弱者の気持ちを忘れるなという感じかもしれません。こういう風に自分自身をディスカウントしない範囲で人助けや周りの人達のことを考えるようになってから、初めて気持ち良く生きることができるようになりました。

ディスカウントしていた時期は、周りの人に「奇麗な空だね」とか「奇麗な景色だね」とか言われても、「空は空だから、どの空も一緒だろ」と思っていたし「景色に奇麗も汚いもないよ。景色は景色だ」と思っていました。自分自身が対外的に無機的に生きていたので、自分の周りを見る目も無味乾燥になっていたのだと思います。

でも、今は空を見て「今日の空はこうだ」とか「昨日の空はああだった」とか、自然に対して感情のようなものを見い出すことが出来るようになりました。「この木は昨日はああだったけど、今日は少しこうだな」とか、その日その日その時その時の光景に美しさ、悲しさ、はかなさ、華々しさ、力強さ、そういったものを感じるようになりました。そういう時に、自分がどれほど人生の前半でディスカウントしてきたかを実感する日々です。こういう風に周りの物に対して感情を持てるようになったのは、ディスカウントを止めたからだと思います。それと同時に、ディスカウントしないで生きて来た人達のことが羨ましいと思ったのも事実です。でも、そこから抜け出そうとする自分がいたことが嬉しかったのも事実です。これも人生、自分はここから進むしかないと思ったのが本音です。

 
    
 
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