しがみついて離れない子
最近学校に行きたがらず、自分にくっついて離れようとしない…。
このようなときに、母親が考えること。
「幼稚園で嫌なことがあったのかしら」
「学校でいじめにでも遭ったのかしら」
そして、「こっちだって朝忙しいのに!」と思いつつ、なだめ、すかし、励まし、ついには怒ってたたき出す。
その後、「なぜこんなに引っ込み思案で弱いんだろう」などと頭を抱えたりする。
ついでに、訳のわかっていない夫が口を出す。
「もっと厳しくしろ。甘やかすからそうなるんだ」
そこに心の声。
<あぁ~、愚痴った私が馬鹿だった。この人は寝に帰ってくるだけ。心配なんかしない人>
こうしてあきらめの夜を迎えては、憂鬱の朝が繰り返される…。
まず、事実を押さえよう。
「家庭のことを顧みない夫と何もかも背負っている妻」
次に、自分の気持ちを把握しよう。
「一人で抱え込んで相談相手もなく一杯一杯」
そして、大原則を思いだそう。
「心のコップ」-一杯になったら人の気持ちを受け止めることはできない。
「安全基地」-気持ちを受け止めてくれる自分の居場所
人は気持ちを吐き出して「心のコップ」を空にできる安全基地があるからこそ、身も心も軽くなって何度でも外に飛び出していける。自己修復できる基地があるから傷つくことも平気になるし、人は外で強くなれるのだ。
その安全基地の本体は母親。つまり、母親が子どもの気持ちを受け止めていれば、子どもは毎朝元気に飛び出していく。
しかし、母親に受け止められ体験がなく「心のコップ」が一杯なら、子どもの気持ちを受け止められない。子どもは自分の気持ちを受け止めてもらえない苦しみと共に母親が一杯であることがわかる。つまり、母親の苦しみを同時に感じているといってよい。
すると、もはや自分の人生どころではない。何しろ、自分が復活できる安全基地そのものに不安があるのだから。外に行っている場合ではない。その間に何かあったらどうしよう…不安が募る。
そう。
子どもをしがみつかせている不安の原因は「外」にあるのではない。「内」にあるのだ。
母親は、子供に対して「困った」と思っているが、
子供は、母親に対して「不安だ」と思っている。
母親は、子供のために学校に行かせようとするが、
子供は、母親のためにしがみついて支えようとする。
真実は?
「子は親の鏡」-子供に映し出されている。
処方箋はシンプル。
母親の「心のコップ」が空になればいい。つまりは、夫に気持ちを聴いてもらうこと。
男は「時間の構造化」をしたがるから、時間と空間を区切って腹を決めさせ、その間役割を果たしたら「聴いてくれてありがとう」と感謝する-そうすることによって、聴くようにし向けていける。
たとえば、ファミレスで毎週土曜日に2時間、アドバイス一切なしでただ話を聴いてもらう。もちろん目を見てね。夫が聴く耳を持っていたとわかるだけでも、妻はとても安心する。
こうして母親が落ち着いてくれば、子供はもう見守っている必要はなくなって、自分の世界へ集中することができるようになる。気づいたときには、毎朝元気に出て行く子供になっているだろう。
つまり…
「しがみついて離れない子」は、片時も離れず母親を見守り支えようとしているのです。
まるで、父親の代わりのように、ね。
子供の代弁。(子供→母親)
「もっとお父さんに話を聴いてもらってよ。お母さんが一人で抱え込んじゃって心配だから、学校に行きたいのにいけないじゃない」
父親口調で子供が言ったとしたら(^^;)…
「もっと家庭のことに目を向けさせろ。甘やかすから会社にばかり引きこもっているんだ。こっちは子供なのに親の心配をしなけりゃいけないじゃないか」
【ご参考】
・ 子育て心理学:第3部 4)登校拒否の理由-「子は親の心の鏡」
・子育て心理学:第3部 5)登校拒否が治ったわけ-「夫婦連合」
・「不登校」の子供に言う言葉
・不登校の子どもたちへ
・子にすがりつく親
・子育ての相談相手を欲している日本の親
Brother in Heaven, Farther of Heathen
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