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しがみついて離れない子

2008/02/05(Tue) Category : アダルトチャイルド
保育園や幼稚園など、家から出すまでが一苦労。時には泣いてしがみつく…
最近学校に行きたがらず、自分にくっついて離れようとしない…。

このようなときに、母親が考えること。
「幼稚園で嫌なことがあったのかしら」
「学校でいじめにでも遭ったのかしら」

そして、「こっちだって朝忙しいのに!」と思いつつ、なだめ、すかし、励まし、ついには怒ってたたき出す。
その後、「なぜこんなに引っ込み思案で弱いんだろう」などと頭を抱えたりする。

ついでに、訳のわかっていない夫が口を出す。
「もっと厳しくしろ。甘やかすからそうなるんだ」

そこに心の声。
<あぁ~、愚痴った私が馬鹿だった。この人は寝に帰ってくるだけ。心配なんかしない人>

こうしてあきらめの夜を迎えては、憂鬱の朝が繰り返される…。





まず、事実を押さえよう。
「家庭のことを顧みない夫と何もかも背負っている妻」

次に、自分の気持ちを把握しよう。
「一人で抱え込んで相談相手もなく一杯一杯」

そして、大原則を思いだそう。
「心のコップ」-一杯になったら人の気持ちを受け止めることはできない。
「安全基地」-気持ちを受け止めてくれる自分の居場所





人は気持ちを吐き出して「心のコップ」を空にできる安全基地があるからこそ、身も心も軽くなって何度でも外に飛び出していける。自己修復できる基地があるから傷つくことも平気になるし、人は外で強くなれるのだ。

その安全基地の本体は母親。つまり、母親が子どもの気持ちを受け止めていれば、子どもは毎朝元気に飛び出していく。

しかし、母親に受け止められ体験がなく「心のコップ」が一杯なら、子どもの気持ちを受け止められない。子どもは自分の気持ちを受け止めてもらえない苦しみと共に母親が一杯であることがわかる。つまり、母親の苦しみを同時に感じているといってよい。

すると、もはや自分の人生どころではない。何しろ、自分が復活できる安全基地そのものに不安があるのだから。外に行っている場合ではない。その間に何かあったらどうしよう…不安が募る。

そう。
子どもをしがみつかせている不安の原因は「外」にあるのではない。「内」にあるのだ。


母親は、子供に対して「困った」と思っているが、
子供は、母親に対して「不安だ」と思っている。

母親は、子供のために学校に行かせようとするが、
子供は、母親のためにしがみついて支えようとする。

真実は?
「子は親の鏡」-子供に映し出されている。





処方箋はシンプル。
母親の「心のコップ」が空になればいい。つまりは、夫に気持ちを聴いてもらうこと。

男は「時間の構造化」をしたがるから、時間と空間を区切って腹を決めさせ、その間役割を果たしたら「聴いてくれてありがとう」と感謝する-そうすることによって、聴くようにし向けていける。
たとえば、ファミレスで毎週土曜日に2時間、アドバイス一切なしでただ話を聴いてもらう。もちろん目を見てね。夫が聴く耳を持っていたとわかるだけでも、妻はとても安心する。

こうして母親が落ち着いてくれば、子供はもう見守っている必要はなくなって、自分の世界へ集中することができるようになる。気づいたときには、毎朝元気に出て行く子供になっているだろう。



つまり…
「しがみついて離れない子」は、片時も離れず母親を見守り支えようとしているのです。
まるで、父親の代わりのように、ね。





子供の代弁。(子供→母親)
「もっとお父さんに話を聴いてもらってよ。お母さんが一人で抱え込んじゃって心配だから、学校に行きたいのにいけないじゃない」

父親口調で子供が言ったとしたら(^^;)…
「もっと家庭のことに目を向けさせろ。甘やかすから会社にばかり引きこもっているんだ。こっちは子供なのに親の心配をしなけりゃいけないじゃないか」







【ご参考】
子育て心理学:第3部 4)登校拒否の理由-「子は親の心の鏡」
子育て心理学:第3部 5)登校拒否が治ったわけ-「夫婦連合」

「不登校」の子供に言う言葉
不登校の子どもたちへ

子にすがりつく親
子育ての相談相手を欲している日本の親



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Comment

 

しがみついて離れない子は、外が不安なのではない、
母親が心配なのだ・・・すごく、分かる気がします。
私も、そうでした。
今も完全には自立できない状態です。
社会に出るのが不安・・・?
違う、外の世界の人は、家族よりもずっと優しい人ばかりだった。
訳のわからない理由で理不尽に責め立てたり、そのことに疑問を持つことすら禁じて無意識の世界に封じ込めてしまうような酷いルールなんて無い。
努力すれば見てくれている人はいるし、そのことを素直に評価してくれたりもする。
とってもシンプルで明快なルール。
でも怖い・・・怖くて、怖くて、たまらない。
私の中にある恐怖心は一体何?

記事を読んでてもしかしたらと思いました。
もしかしたら・・・私が自立したら、お母さんが困るのでは?
うん、近い気がする。
私は、社会に出て働くこと=死ぬことだと思っていた。何故か。
全く自分が生きていくイメージができなかった。死ななければならないんだって思ってた。
それは、生き辛そうな両親の姿を見て、ただでさえ辛いのに、自分ももっとボロボロにならなければいけなくなるのだろうかという恐怖心を抱いていたのかと思っていた。
でも・・・、もしかしたら、私が働いて自立すれば、死んでしまうのはお母さんの方?
支える人がいなくなる・・・今でさえボロボロなのに、私が出て行ったらどうなるの?
そういう恐怖心?

そして、その心すらうちの母には利用されていたんだ・・・


記事の最後の、父親口調で子供が言ったとしたら・・・には笑っちゃいました。

 

家族を守るお父さん

『いつ足元が崩れてもおかしくないような心細さだけ』-安全基地に不安があるとは、こういう心境でしょうね。

妻も子供も安心してゆったりできる、家族を守る強くて優しいお父さんがほしいですね。
その思いが、shinotaroさんの絵に込められているのでしょうか…。

 

頑張りが目に見えるようです

じゅんさんの頑張りが目に見えるようなコメントでした。
個人をサポートするセーフティネットが「社会」でしたが、今や社会が個人を追いつめています。会社の中ですり減っていく自分を取り戻すだけで精一杯ということも、ままあります。

その時は無理せずに、まず自分を回復することに集中してください。


 

私が子供の頃、やはり母親と一緒に
外で近所の人に会ったときに
ちゃんと挨拶ができなかったり、
幼稚園に行っても友達がいつまで
たってもつくれずにぐずぐずして
いる子供でした。

当時はただ漠然と自分をとりまく
環境が自分を守ってくれる場所
ではなく、いつ足元が崩れても
おかしくないような心細さだけが
強く感じられる状況でした。

今振り返ってみますと、私の両親は
仕事にかまけて家庭をかえりみることの
なかった父と、家のことを全て
背負わなければならず、世間体を
常に気にして自分や家族に厳しく
せざるを得なかった母親だったなと
思えてなりません。

 

このこと、良くわかるような気がします。こうやって、自分のために生きるのではなく、親のことに気を使いすぎて生きていく子供達が増えていくのでしょうか。

夫が妻の話を聞く。これは、私自身も最近良くできるようになってきました。

私自身の場合は、妻の話を聞かなかった時は、仕事などに追われてそれどころではないと自分自身で決めて付けている場合。そして、もう一つは、そのことは現時点で解決できないので、話したり聞いたりしても意味がないと勝手に決めつけている場合。解決できない自分を見て不甲斐なく感じるので、それであれば何が問題なのかを聞かない方がいいし、その問題について聞いたり話したりしても意味がないと思っていました。

でも、色々と話てみると、妻は(又は独身の方であれば、彼女は)は、その場で問題を解決して欲しいと思っているわけではなく、取りあえず現時点での状況把握をして欲しいと思っているだけのことがわかりました。問題が今すぐ解決できなくても、「最近、こういうことがありましたよ。」ということを聞いて欲しいだけで、たとえ問題解決できなくても、そのことで私自身のことを不甲斐ないと思う必要がないことがわかりました。中尾さんの言っているコップの例えを使うと、コップが一杯になってきているから、色々と話をしてコップからザーッと水があふれないようにしようよということだと思います。

そういう事に気がついてからは、妻の話を取りあえず聞いてみる。話てみる。今すぐ何か手をうつことが出来れば、やってみる。もし、今すぐ問題解決できなくても、お互いの状況把握をする。中尾さん流に言うと、そうしてコップの水が一杯にならないようなバランスを取っていくような感じだと思います。

ただ、私自身の感想としては、それでも夫婦そろってコップがいっぱいいっぱいになりそうな時があるので、近所の人達や夫婦それぞれの友達というような横のつながりがあると、それが助けになったりします。そこでも、水のやりとりが出来ます。もちろん、中尾さんが続けているブログなども、そういう助けになっているのだろうなと思っています。とても共感したエントリーでした。

 
    
 
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